『恋とか愛とかやさしさなら』一穂ミチ/著▷「2025年本屋大賞」ノミネート作を担当編集者が全力PR

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罪を犯した恋人を〝信じる〟こと


「恋愛小説を書いてください」
 一穂ミチさんに文芸誌「STORY BOX」2022年12月号での執筆を依頼した時、こちらからのリクエストは〝恋愛〟でした。
「Put your camera down」というタイトルがつけられた短編の原稿をいただいた時、声をあげそうになってしまうほど驚いたのを今でも鮮明に記憶しています。

 交際5年。プロポーズしてくれた翌朝、恋人が通勤中に女子高生を盗撮して捕まった――
 そんな信じられないような事件から幕を開けるのが、本作『恋とか愛とかやさしさなら』の前編にあたる新夏編です。
 地獄だな。正直、そう思いました。「別れる」の一択だろう、とも。
 しかし、そんな確信は脆くも崩れ去りました。果たして新夏は恋人の啓久からのプロポーズを受け入れて結婚するのか、それとも別れるのか。読んでいる間ずっと「自分だったらどうする?」という問いを突きつけられ、いままで疑問すら抱いたことがなかった自らの価値観が根底からぐらぐら揺らいでくるのを感じました。

「〝信じる〟という行為には、なぜ100%の純度が求められるのだろう」
 恋愛、というお題に対してかくもハードルの高い設定で執筆をされた理由について、一穂さんはこのような疑問を口にされました。
 人間の感情は決して黒/白はっきりつけられるものではないし、他者への加害性や愛情も常に濃淡や形を変え、明確なものとしてとらえることが難しい。
 最愛の恋人にプロポーズした翌日に〝出来心で〟盗撮をした啓久を愚かだと断罪することは簡単だけれど、自分自身は人生において決して過ちを犯さないと言い切ることができるだろうか。罪を犯した恋人をもういちど信じることが愛情なのか、それとも――

 いただいた原稿をゲラにし、書籍にするまでに一穂さんには何度も何度も改稿をしていただきました。担当編集者としても、人を「信じる」という難しいテーマに真正面から向き合い、戸惑い、苦しみ、直視したくないような自分の醜い感情に気づかされる瞬間も多々ありました。

 ありがたいことに、本作には全国の書店員さんから過去最大級の反響をいただいております。悲鳴にも似た感想のひとつひとつに頷き、涙し、どれだけ励まされたかわかりません。ヒロインの新夏に自らの経験を重ねる人もいれば、罪を犯した啓久や、彼の母親の気持ちが痛いほどわかるという人もいて、立場が変われば世界の見え方がここまで違うのかという驚きがありました。

「共感できる小説」こそが良い小説だとされがちな風潮の中、「共感」というシンプルな感情だけではくくりきれない凄みのある作品が生まれました。直木賞受賞後第1作でこのような小説を書いた一穂ミチという作家は本当に底知れず、自らの限界を超えていくという表現者としての姿勢を心から尊敬しています。

 他者とわかりあうことの難しさを感じている、すべての人へ。
 罪を犯した恋人を「わかりたい」ともがいた新夏、そして新夏の苦しみを「わかろう」とした啓久。ふたりの物語を、ぜひ見届けていただけたらと思います。

『恋とか愛とかやさしさなら』書店訪問写真

──小学館 出版局 文芸編集室 三橋 薫


2025年本屋大賞ノミネート

恋とか愛とかやさしさなら

『恋とか愛とかやさしさなら』
著/一穂ミチ
小学館
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