武塙麻衣子「一角通り商店街のこと」7. ちとせや一号店・三号店

武塙麻衣子「一角通り商店街のこと」7

〜大学生の雄士とごはんの話〜

7. ちとせや一号店・三号店


 どことどこの店主は犬猿の仲である、という話を耳にすることがある。一角通り商店街には約八十店舗が軒を連ねているのだからそういうこともあるだろう。一昔前の話だが、秋祭りの最中に大乱闘を繰り広げて当時の商店街会長にこっぴどく叱られた片岡かたおか精肉店と魚辰うおたつ鮮魚店それぞれの二代目の話はいまや伝説になっているといっても過言ではない。その乱闘のきっかけは、カラオケ大会でどちらが先に矢沢永吉の「時間よ止まれ」を披露するかという実にどうでもいい内容だったのだとシゲさんは面白おかしく話していたけれど、果たして本当だろうか。精肉店の片岡さんも鮮魚店の辰野たつのさんも六十代半ばといったところで、明るくさっぱりしたとても気持ちの良い人たちである。雄士ゆうじは、常連といえるほどそうしょっちゅう肉や魚を買うわけではないのにそれでもあっという間に雄士の顔を覚えてくれて、店の前を通った時になんだかんだと声をかけてもらえるのが嬉しい。

「まだまだ暑いから力つけとかないとバテるぞ。肉、食べな。豚肉はビタミンB1がたっぷりだよ」

 手招きされて買った豚バラ肉でカレーを作ってみたり(じゃがいもがすっかり煮崩れてしまったけれど、それはそれで美味しかった)、

「戻りカツオ、いいのが入ったから刺し身ちょっと持っていきなよ。にんにくで食うと元気出るぞ」

 と大きな声で呼ばれて脂ののったカツオを試しに少しだけ買ったり(にんにくは喫茶ネムノキでひとかけわけてもらった)。

 

 大学が始まると、夏休み中よりもぐんと食費がかかるようになった。昼食代というのは案外馬鹿にならないものだ。喫茶ネムノキのバイトが入っている日は賄いがついたので昼食代が浮いたけれど、朝から講義がある日の昼休みは友人たちと学食やファストフード店に行くことが多い。前期も似たような過ごし方をしていたはずだけれど、あの頃は今ほど気にしていなかったらしい。無駄な出費とは思わないけれど、節約できるものならそうしたい。

「俺、ちょっと自分で弁当作ってみようかな」

 学食でうどんを食べながらそう言うと、向かいに座っていた中島なかじまは、目を丸くして牛丼をかきこんだ。

「お前って本当にマメだよな」

 その隣でユンくんは、

「いいと思う」

 と頷いた。ユンくんは最近学食でナポリタンを食べることが多く、一度ハマると毎日でも同じ物を食べられるんだよ、と笑っていた。今度、喫茶ネムノキのナポリタンも食べてみてよ、とすかさず勧める。 

「うん。食べに行くね」

 ユンくんはそう言うと、ナポリタンにタバスコをざぶざぶ振りかけた。昼食後はそのまま三人で午後の講義に出て、三時過ぎに正門前で別れた。どうせまた明日すぐに会うのだけれど、サークルだとかバイトだとかデートなんかで最近はみんななにかと忙しい。雄士は一旦アパートに戻り、財布とエコバッグだけを持って商店街に向かった。弁当を作るとなると、必要なものはなんだろう。実家から送ってもらった白米がたっぷりあるので、それを炊いてメインに敷き詰めて、よねさんの惣菜店で買った夕食用のおかずを少しとっておいてそれも入れ、あとはなにか自分で作ってみてはどうだろう。子供の頃、母が作ってくれた弁当には何が入っていたっけ。

「あ、そうだ」

 そもそも家には弁当箱が無い。タッパーじゃだめかな、と思いながら雄士は、夕方の住宅街を歩いた。あちこちの家から様々な匂いが漂ってくるこの時間帯に外を歩くことは楽しい。最近、料理の匂いよりも胸にじんとくるものがあることに気がついた。風呂の匂いだ。シャンプーも石鹸も家ごとにそれぞれまったく違うものを使っているはずなのに、外で嗅ぐとどうしてこうどれもずっと知っている親しいもののように感じるのだろう。不思議なことに、自分のアパートで風呂に入っても銭湯に行ってもこの匂いはしないのだ。もしかすると複数の人間が暮らす家特有のものなのかもしれない。急に実家が懐かしくなった。台所からの料理の匂いならいざ知らず、風呂の匂いをあまり嗅いでいると、怪しいと思われる可能性がある。雄士ははっとして足を速めた。まずは、豊倉とよくら惣菜店に行こう。

「それって明日のお昼にも食べられる?」

 カウンターにはこの時間帯にはめずらしく修太しゅうたが立っていた。よねさんは、商店街の仲間と一泊二日の温泉旅行に行ったらしい。

「冷蔵庫に入れておけば全然食べられると思います」

 修太は、そう言うと手早く肉団子をパックに入れ、はかりに載せて重さを量った。

「180g。三百二十円。二十円はおまけしてあげる」

 パックの蓋をしめ、さっと輪ゴムを巻いてからビニール袋に入れ、端をくるくる巻いて手早くセロテープを貼ってこちらに渡す一連の動作が、よねさんによく似ている。

「タレ、こぼれちゃうからまっすぐ持って」

 この言い方もよねさんにそっくりだ。

「ありがとう。あとマカロニサラダも100gもらえる?」

 ざっす! という元気な返事はよねさん仕込みではなさそうだ。

「そういえば、読書感想文ってどうなったの?」

 修太の夏休みの宿題を手伝ってやったことを思い出した。

「ああ、うん」

「なんだっけ、国語の可愛い先生」

「……若菜わかなちゃん?」

 どうも歯切れが悪い。さっきまでとは打って変わって仏頂面になり、投げやりにマカロニサラダをパックに詰めている。はかりにのせたところで、

「あ、くっそ。160gになった」

 と舌打ちをしたので、雄士は思わず噴き出してしまった。

「いいよ、それで。いくら?」

 笑いながら聞くと、修太がぼそっと言った。

「若菜ちゃん、夏休みに彼氏ができたんだって」

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