田口幹人「読書の時間 ─未来読書研究所日記─」第45回

「すべてのまちに本屋を」
本と読者の未来のために、奔走する日々を綴るエッセイ
書店に足を運ぶお客さまは、本が1冊、店頭に並ぶまでに、どれだけたくさんの人の手と時間がかかっているのか、そのことをあまり意識しない。コンビニやスーパーに行った際、僕もそんなことを考えて買い物をすることがないので、それはそうだろう。
書店の店頭には、新刊は発売日に並ぶものだし、雑誌は朝になればコンビニに届いているものだと思っている。けれど、その「あたりまえ」は、じつはずいぶん繊細な仕組みのうえに成り立ってきた。
7月16日、日本出版取次協会(取協)が発表した9項目の「出版流通合理化案」を読んで、僕はあらためてそのことを感じた。これは単なる業務改善の話ではなく、本がどうやって地域に届き、これからも届き続けられるのかを考えるための、大きな節目が近づいてきているのだと実感した。
背景にあるのは、「改正物流関連法(「トラック新法」)」によって2028年から本格化する輸送運賃の適正原価設定である。言い換えれば、これまでの物流は、かなり無理をしながら、低い運賃で何とか回してきた部分があったということになる。もちろん、それは出版業界だけの話ではないのだが、出版流通は、多品種少量・低単価・高頻度配送という、もともと厳しい条件を抱えている。しかも、書籍は約33%が、雑誌は約44%が返品されることが前提となる物流網である(経済産業省2026年4月とりまとめ 2024年時データ)。返品率は改善されつつあるが、委託販売制度を採用している以上、必ず返品が伴う。
さらには、発売日厳守、早朝納品に加え、地域ごとの細かな対応といった慣行が長く続いてきた。そうした積み重ねがあったからこそ、全国どこでもほぼ同じタイミングで本が届く仕組みが保たれてきたわけだが、その前提が大きく崩れてしまう可能性があるという点において、これまで以上に危機感を持って業界の動きを注視している。
取協の合理化案は、その現実と向き合うための取り組みとなっている。発売日カレンダーを作って取次の稼働日を減らし、地区別の休配日を全国でそろえ、地域によっては発売日を見直し、輸送日数が1日増えることも受け入れる。さらには、店舗ごとの細かな時間指定をやめ、配達時間帯の目安提示に変え、新刊や週刊誌の搬入を前倒しし、物流量の変動の波を最低限まで減らすことを目指している。
また、これまでは取次や書店などの現場で作業されることの多かった雑誌の本誌と付録の一体化を今後は出版社やメーカーが行う、返品時の産廃費用は出版社やメーカー側が負担するなど、一つひとつを見れば、どれももっともだと思いつつ、ここまでよく持ちこたえてきたな、と感じるくらいだ。
ただ、僕が気になるのは、こうした見直しの影響が、どこにいちばん強く出るのかということである。都市部の大型書店や、比較的流通条件のよい地域なら、多少納品時間がずれても機会損失を吸収できるかもしれないが、地方の小さな書店や、もともと配送条件の厳しい地域ではそうはいかないのではないだろうか。発売日が1日遅れること、配達時間が読みにくくなり、配送頻度が下がることは、一つひとつは小さな変化に見えても、現場にとってはじわじわと重くのしかかってくる。新刊の初速(発売後2週間の売れ行き)が鈍れば売上に響くし、売れ行きが鈍れば返品率も上がる。その少しずつの小さな変化の積み重ねによって、「この店を続けていくのは難しいかもしれない」という空気が濃くなってしまうことを、僕はすごく心配している。
この問題を考えるとき、無書店自治体の現実を抜きにすることはできない。未来読書研究所の調べによれば、2026年6月末に集計された、共有書店マスタ(※書店マスタ管理センターによる日本の書店のデータベース)上の坪数登録において、0~5坪および9999坪(坪面積が狭小あるいは不明の店舗)を除外して算出した場合、有書店自治体数は1187。自治体数1741に対して、無書店自治体率は32%になるという。全国の自治体の約3分の1に、すでに書店がない。こうして数字にしてみると、その重さがあらためて伝わってくる。書店が減っている、というより、地域から本の売場が実際に消えているのだ。
僕はこの32%という数字を、ただの統計として受け止めることができない。書店がないというのは、単に本を買う場所がないというだけではないからだ。子どもが学校帰りにふらりと立ち寄る場所がない。何かを探していたわけではないのに、たまたま目に入った1冊に心を動かされる機会がない。高齢の方が雑誌を手に取りながら世の中との接点を持つ場所がない。地域のなかで、本と出合い、言葉と出合い、考えと出合う場所がないということでもある。
書店は、商品を売る場所であると同時に、地域の文化の窓口でもある。その窓が閉じている自治体が、すでに3分の1に達しているのである。
しかも、この数字は固定されたものではない。放っておけば、さらに増えていく可能性がある。今回の取協の合理化案は、物流を守るために必要な面を持ちながらも、結果として、もともと書店の少ない地域や、小さな書店がぎりぎりで踏ん張っている地域に、より大きな負荷をかけるかもしれない。そう考えると、これは単なる物流の話ではなく、地域文化の基盤がどこまで持ちこたえられるかという話でもあるのだと僕は思っている。
しかし、ここで「本屋を残すこと」そのものを目的にしてしまうと、議論はどうしても店そのものの存続へと寄っていくことになる。もちろん、それぞれの地域に本屋があることの意味は小さくなく、僕自身、本屋のある町の豊かさを信じているし、そこで生まれる偶然の出合いや、「棚」を介したコミュニケーションの価値を何度も見てきた。
けれど、そこで立ち止まってしまうと、少し違う気もするのだ。大事なのは、本屋という形を守ることよりも、どの地域にいても本がきちんと届く状態をどうつくるか、ということではないか。地域の書店も、流通も、販売の仕組みも、そのためにある。本屋を残すかどうかではなく、本と人との接点をどう残していくか。
考えるべきは、たぶんそこなのだと思うのだ。
そう考えると、無書店自治体の問題も、単に「本屋がない」という事実だけで捉えるのでは足りないのだろう。大切なのは、その地域に暮らす人が、どんなふうに本とつながれるのかということだ。店があるかないかは大きな要素ではあるけれど、それがすべてではない。たとえば、注文すれば届くのか。子どもが日常のなかで本を手に取れるのか。高齢の方が無理なく雑誌や文庫にアクセスできるのか。贈り物として本を選べる場があるのか。そうした具体的な接点の総体として、「本が届く地域」ができていくのだと思う。
だからこそ、僕はこの数字を見て、ただ暗い気持ちになるだけではいたくないとも思う。そんな状況のなかでも、地域に本の場を残そうとする動きが、少しずつ形になり始めているからだ。
先日、ポプラ社のホームページ「お知らせ」で 嬉しいニュース を目にした。
福島県内の郵便局4局で、ポプラ社の協力を得て児童書の試行販売が始まった(7月22日~2027年3月31日)というニュースは、その一つとしてとても印象に残った。これは単なる新規事業の話ではなく、無書店地域の拡大という、出版界が長く向き合いながら、なかなか決定打を見いだせずにきた課題に対して、ようやく現場に根ざした一つの答えが見え始めた、そう受け止めていいのではないかと思う。
郵便局は以前から、地域に残る数少ない生活インフラとして、本の流通や販売の拠点になりうるのではないかと期待されてきた。実際、その発想自体は決して新しいものではない。けれど、これまではカタログ販売や申込窓口といった連携にとどまり、「その場で本と出合う体験」を地域に取り戻すところまでは、なかなか届かなかった。もちろん、それにも意味はある。注文できること、取り寄せられること、それ自体は大切だ。けれど、書店の魅力はそれだけではないはずだ。棚の前で立ち止まり、表紙にひかれ、少しページをめくってみる。買うつもりではなかったのに、気づけば手にしている。そういう偶然の出合いがあるからこそ、本はときどき、思ってもみなかった方向へ人を連れていってくれる。
その意味で、郵便局のなかに本を並べ、子どもが手に取り、少し読んで選べる場をつくったことの意義はとても大きい。しかも児童書に絞った判断が、またいい。読書機会の確保という教育的な意味があるのはもちろんだが、それだけではない。郵便局という場所には、祖父母が孫のために何かを選ぶという、独特の生活の流れがある。用事のついでに本を見つけ、これをあの子に送ってみようかな、あるいは今度会うときに渡そうかな、と思える。その自然さは、たぶん普通の売場づくりとは少し違う、やわらかな温度を持っている。
長く構想としては語られながら、実務の壁の前でなかなか形にならなかった郵便局連携が、ようやく実装可能なかたちで動き始めたのだとしたら、それは本当に嬉しいことだと思う。
地域に新しく本屋をつくることが簡単ではない時代だからこそ、すでにある拠点をどう読書の場へと変えていくか。その問いに対する、静かだけれど確かな返答が、ここにはあるように感じる。かくいう僕自身、何度も挑戦しながら形にできなかった案件だけに、ポプラ社がどのような経緯でこれを実現されたのか、ぜひうかがってみたいと思っている。
こうした小さな希望の芽が見え始めているからこそ、今回の合理化案もまた、単なる効率化としてではなく、地域に本を残すための視点とセットで考えなければならないのだと思う。もう少し正確に言えば、「地域に本屋を残す」というより、「地域に本との接点を残す」と言ったほうがいいのかもしれない。
物流の効率化は必要でありそこに異論はまったくない。物流がもたなければ、全国に本を届ける仕組みそのものが崩れてしまうのだから。ただ、その見直しが、結果として本と人との距離をさらに広げてしまうことにならないことを願いたい。
本が1日遅れて届くこと自体は、受け入れられる場面もあるかもしれない。僕も、すべてをこれまで通りに守るのは難しいのだろうと思ってはいるが、その1日の遅れが積み重なって、やがて地域のなかから本の気配そのものが薄れていくのだとしたら、それはやはり見過ごせない。
取協の9項目合理化案は、物流危機への現実的な応答であると同時に、無書店自治体の増加をさらに進めてしまう可能性も残している。だからこそ僕たちは、この案を単なる業界の効率化策としてではなく、「どこに住んでいても本にアクセスできる状態をどう守るのか」という問いとして受け止める必要があるのだと思う。物流を守ることと、書店を守ること。その二つは対立する話ではなく、本来はもっと大きな目的のなかで位置づけ直されるべきなのだろう。
つまり、本と人との接点をどう残すか、という目的のなかでである。
本の流通をめぐる議論は、ともすると業界の内輪話のように見えてしまう。けれど本当は、これは地域の未来の話なのだと思う。どこに住んでいても本に出合える社会を、僕たちはまだ諦めなくていい。そのために必要なのは、無理を前提にした旧来の仕組みをそのまま守ることではなく、現実に向き合いながら、新しい届け方、新しい売り場、新しい出合い方を丁寧に育てていくことなのだろう。郵便局での児童書販売の試みは、その小さくても確かな一歩だ。そしてその一歩を、単発の話題で終わらせず、地域に本の灯りを残すための実践へとつなげていけるかどうか。いま問われているのは、まさにそこなのだと思う。
田口幹人(たぐち・みきと)
1973年岩手県生まれ。盛岡市の「第一書店」勤務を経て、実家の「まりや書店」を継ぐ。同店を閉じた後、盛岡市の「さわや書店」に入社、同社フェザン店統括店長に。地域の中にいかに本を根づかせるかをテーマに活動し話題となる。2019年に退社、合同会社 未来読書研究所の代表に。楽天ブックスネットワークの提供する少部数卸売サービス「Foyer」を手掛ける。著書に『まちの本屋』(ポプラ社)など。

![特別対談 田口幹人 × 白坂洋一[後編]](https://shosetsu-maru.com/wp-content/uploads/2022/10/honmado202211SP_t.png)
![特別対談 田口幹人 × 白坂洋一[前編]](https://shosetsu-maru.com/wp-content/uploads/2022/08/honmado202209SP_t.png)

