凪良ゆうさん『滅びの前のシャングリラ』
世界が滅びても、人は絶望しない
ボーイズラブの分野で確かなキャリアを築き、一般文芸で刊行した初めての単行本『流浪の月』で、凪良ゆうは二〇二〇年本屋大賞受賞の戴冠を得た。
待望の受賞後第一作『滅びの前のシャングリラ』は、地球滅亡が一ヶ月後に決定付けられた世界の物語だ。絶望の中に生きる人々の姿を見つめることで、幸せのあり方を探り当てることに成功した。
その時が来たら自分はどうする
BL時代の代表作『美しい彼』では有名男性芸能人と高校の同級生のおとなしい男の子、一般文芸に初進出した『神さまのビオトープ』では幽霊の夫と彼と暮らし続けることを選んだ妻、そして『流浪の月』では「誘拐事件」の被害者になった少女と加害者の男……。小説家の凪良ゆうは、作品ごとに真新しい関係性を創造し、そこで渦巻く感情を繊細に描き続けてきた。
「私は一〇年以上BLを書いているんですが、しっとり系もあればトンチキなコメディーもありで、作風がまったく安定しない作家と言われてきました(笑)。デビューした時に編集さんから、〝作風を安定させたほうが読者は作家のファンになりやすい〟と言われたんですが、二作目の時点でダメでした。私は〝その時書きたいもの〟しか書けないんです」
最新作『滅びの前のシャングリラ』は、これまで以上にガラッと作風が変貌している。いわゆる「終末もの」なのだ。
「私たちの世代は〝一九九九年、空から恐怖の大王が降ってくる〟というノストラダムスの大予言が脳に刷り込まれています。子どもの頃、自分の生年と照らし合わせて〝何歳になったら地球は滅びるんだ〟と考えたり、〝その時が来たら自分はどうする?〟という想像を当たり前のようにしていたんです。ですから今回の小説の着想はある意味で、子どもの頃から温めていました」
今こそ形にしたい、と決意したのは、編集者との出会いが大きかった。
「地球が滅亡する話はいつか書きたいけれども、まだ自分には書けないなぁとずっと思っていました。これまでとは違う小説の技量も必要になってくるし、私自身の気質として、書いたとしても絶対にヒーローは出てこない。終末もののハリウッド映画みたいに〝みんな助かる〟じゃなくて、〝みんな死ぬ〟という結末にしかならないのは明らかでした。
物語の中であっても人を殺すのは覚悟がいることだし、その結末を読者さんにどう受け取ってもらえるかがあまりに未知数だったんです。
ただ、中央公論新社の編集さんと初めてお会いした時に、好きな映画は、という話になって、『ディストラクション・ベイビーズ』(真利子哲也監督、2016年)を挙げてらっしゃったんですね。暴力描写の激しい、この青春映画を挙げる方なら、どれだけ悲惨なことを書いても大丈夫だ……という確信が、私の中で勝手に芽生えた瞬間でした(笑)。
編集者という一番最初の読者が、このお話を書いたらきっと楽しんでくれそうだぞ。じゃあ、書いてみよう
と思ったんです」
子どもたちは絶望の中で前を向き未来を見つめる
小説は全四章構成で、章ごとに主人公が変わる。
第一章「シャングリラ」の主人公は、広島に暮らす一七歳の男子高校生・江那友樹だ。
ぽっちゃり体型で運動も勉強も苦手、クラスカーストは「下」だと自認する少年は、同級生の井上らにいじめられていた。
〈こいつら全員死んでしまえ。/それが叶わないなら、ぼくがもう死んでしまいたい〉
希望のない未来に絶望していた矢先、テレビから流れてきた首相の記者会見で〈一ヶ月後、小惑星が地球に衝突します〉と耳にする。
〈──ざまあみろ。/空だった人類滅亡フォルダに初めて入ったのは、意外にも『愉快』というファイルだった〉
「具体的に話の構想を始めていった時、一番最初に生まれた登場人物が友樹でした。
今の自分が陥っている状況に絶望して、一足跳びで〝世界なんて滅亡してしまえ〟と願ってしまうのって、一〇代の子たちならではの普遍的な想像力じゃないでしょうか。それが本当に実現してしまうところからスタートして、滅亡までの日付が減っていくうちに、どんどん元気になっていく男の子を書けたら面白いかなと思ったんです」
物語の設計図は事前に思い描いてはいたが、個々の登場人物たちの心理は、実際に書いてみなければわからなかった。
「書く前のイメージでは、救いがないぐらい暗い男の子だったんですよ。そうはならなかったのは、友樹のお母さんである静香は、ちょっと元気な人がいいかなぁと思って書いてみたら、思いのほか元気だったから(笑)。この母親が育てたらただ暗いだけの男の子にはならないな、と相互作用で友樹の人物像が変わっていったんです」
世界が滅亡に向かうなか、友樹は初恋相手である校内一の美少女・藤森雪絵に、二度目の恋をする。
母の心配を知りながら、雪絵を悪意から守るために行動しようと決意するのだ。
〈──お母さん、ごめん。ぼくは今、息子ではなく騎士なのです〉
子どもから大人へのイニシエーションを描く、名場面だ。
「私も大好きなシーンです。一〇代の若い子たちはきっとこういう絶望的な状況にあっても、ちょっと未来を見たり、前を向いたりする。無理に頑張ってそうしているんじゃなくて、その年代の子たちが自然に持っている強さだと思うんです。そして、そういう子どもたちの姿を見ることで、大人たちは否が応でも湧き上がってくるものがある」
友樹の次に作家が創造した人物は、第二章「パーフェクトワールド」の主人公である四〇歳のヤクザ者・目力信士だった。〈昔も今も、俺は変わらずクソなままだ〉と自暴自棄の日々を送っていたところ、兄貴分から殺しを依頼され引き受けてしまうが……。
「信士の章は、前半のあらすじだけ説明したら、単なるクズの話なんです(苦笑)。でも、読み進めていくうちに、憎めないところもあると思ってもらえたらいいなあ、と。その人の普段隠れているような部分をどう引っ張り出せるかが、結局のところ人との出会いであり、関係性なんですよね。地球が滅亡してしまう世界を舞台にしても、私が書くものは結局変わらない。人と人の関係性なんです」
滅亡まで一ヶ月という「中途半端」の面白さ
執筆中、常に意識していたのは、絶望と希望のバランスだったと言う。
「終末ものが書きたいですと伝えた時に、編集さんから読んでおいて欲しいと言われた小説が、新井素子さんの『ひとめあなたに…』と伊坂幸太郎さんの『終末のフール』でした。どちらも小惑星の衝突で地球が滅亡する話なんですが、いつ到来するかによって、物語は変わってくるんですよね。
新井さんの小説は小惑星がやって来るのが一週間後なので、登場人物たちは激情に身を任すことができる。伊坂さんの小説は、八年後に小惑星がやって来ることが決まった世界の五年目の話なので、みんなが激情に駆られていた時期は既にもう昔で、今は静かな諦観に覆われている。私が直感的に選んだ一ヶ月後という設定は、激情を保ち続けるには長くて、落ち着くには短すぎる。中途半端なんですよ。たぶん、私はその中途半端さが書きたかった。
最後の日がいざやってきた時の心境は、人によって見事にバラバラなんだと思う。そのバラバラな光景を、見てみたかった」
その光景の中には、何があったのか? 作家が探し当てたものとは、何か。
「こういう状況になったからこそ幸せになれた人たちを書きたい、という思いは常にありました。各章の終わりを書くのが毎回楽しかったのは、見ようによってはそれまでとても不幸だった彼らが、もしかしたら人生で初めて本当の幸せを獲得する瞬間を描けたからです。その数ページを書くために、毎回息が止まるようなしんどい思いをし続けた(笑)。
冷静に考えると、主人公たちが手にした幸せって、たいした幸せじゃないんですよ。普通の人たちが普通に持っているようなものを、最後の最後にやっとぽっちりともらえただけなんです。
でも、そのささやかさは、このおっきい設定の中だからこそ逆に輝いていくんじゃないか。幸せになるために、お金であるとか名誉とか、何かわかりやすくおっきいものはたぶん要らない」
次回作は、男女のストレートな恋愛小説に初挑戦するそうだ。
「それはそれで、びっくりですよね(笑)。〝振れ幅〟を楽しんでいただける作家になれたら嬉しいです」
中央公論新社
「人類滅亡」がカウントダウンされるなか、高校生の友樹、その母静香、ヤクザの信士らの「関係性」はどう変わるか。それぞれの視点から全四章にて構成される。終末を題材としつつも、パニックとは正反対の「日常」の貴さが伝わってくる。
凪良ゆう(なぎら・ゆう)
滋賀県出身。2006年「小説花丸」冬の号に「恋するエゴイスト」を発表以降、BL作品を刊行。17年、非BL作品となる『神さまのビオトープ』を発刊し、19年に出版した『わたしの美しい庭』とともに読者からの支持を得る。20年『流浪の月』で本屋大賞を受賞。本作は受賞後第一作である。
(文・取材/吉田大助 撮影/藤岡雅樹)
〈「STORY BOX」2020年12月号掲載〉