『十の輪をくぐる』刊行記念対談 辻堂ゆめ × 荻原 浩
小説家にとって一番大事な才能。
全てのパズルが最後にピタッとはまるウルトラCの着地に成功した、今春刊行の連作ミステリー『あの日の交換日記』がスマッシュヒットを遂げ、辻堂ゆめはミステリー作家として一躍名をあげた。最新作『十の輪をくぐる』は、一九六四年と二〇二〇年、二つの東京オリンピックを題材に描く親子の物語だ。新境地となった本作を刊行するタイミングで、ぜひお会いしたいと辻堂が切望したのは、人間ドラマの名手である直木賞作家・荻原浩だった。この日、初対面にして初対談が実現した。
──最初の挨拶ですっかり緊張されていた辻堂さんに、荻原さんは「本当にいい小説でした」と声をかけていらっしゃいましたね。
荻原
辻堂さんの本を読むのは『十の輪をくぐる』が初めてだったんですが、読み終えた時に「あぁ、いいお話を読ませてもらったな」と思ったんです。最後はうるっと、目頭が熱くなりましたよ。
辻堂
本当に嬉しいです。私も荻原さんの小説で、何度も何度も泣かされてきました。以前、荻原さんに勝手にファンレターを送りつけてしまったことがあるんですが……。
荻原
プロの方からファンレターをもらったのは、初めてでした。
辻堂
私もファンレターを作家さんに書いたのは、人生で初めてでした! 手紙にも書かせていただいたんですが、私が今までの人生で読んできた中で一番好きな本は、『明日の記憶』なんです。初めて読んだ時はもう、ボロ泣きでした。
荻原
光栄です。
辻堂
実は『十の輪をくぐる』は、荻原さんの『明日の記憶』から影響を受けている部分も大きいんです。あちらは主人公が若年性アルツハイマーで、私の小説の登場人物は認知症という違いはあるんですが、記憶を失ってしまうことの悲しみや切なさを描いてみたかったんですね。その時に、『明日の記憶』をかつて何度も読んで主人公の葛藤を疑似体験してきたことが、大きな糧になっていたと思うんです。
荻原
不思議ですよねぇ、人の頭の中って。
辻堂
はい。その不思議さも今回書いてみたかったところなんです。
──小説は、二〇一九年一〇月から始まります。スポーツ関連の企業で働く五八歳の泰介は、認知症を患う八〇歳を目前にした母・万津子がオリンピックのニュースをテレビで見ながら「私は……東洋の魔女」、そして「泰介には……秘密」とつぶやくのを耳にします。泰介は母の昔のことを、何も知らなかったんですよね。すると、時間軸は一九五八年九月に飛んで、愛知の紡績工場で働く一八歳の万津子の人生を追いかけ始める。過去と現在を行き来しながら、母が息子に隠してきた「秘密」が少しずつ露わになっていく構成です。
荻原
前半は「いったいどこへ連れていかれるんだろう?」とワクワクさせられて、後半になって「あぁ、そういう話だったのか!」と。このお話、いったいどこから思い付いたんですか?
辻堂
デビューしてすぐの頃、体操をテーマにした青春スポーツものを書いたことがあり、「オリンピックも近づいているし、もう一度スポーツを題材にするのはどうですか?」と、編集者の方からご提案いただいたんです。ただ、例えば単に二〇二〇年のオリンピックを目指すスポーツ選手の話を書くだけでは埋もれてしまう。一九六四年の東京オリンピックにまつわる物語を、現代の物語と何らかの形で重ねて書くことはできないかな、と思ったんです。
昭和三〇年代を生きた女性と現代を生きる定年間近の男性
荻原
辻堂さんはまだ二〇代ですよね。
辻堂
一二月で二八歳です。
荻原
ご出身は、やはり(神奈川県藤沢市)辻堂ですか?
辻堂
そうです。安直なペンネームなんです(笑)。
荻原
作者のプロフィールを何も知らずに読んだら、九州出身の八〇歳の女性が、昔を思い出して書いたんじゃないかって考える人もいる気がする。それぐらい、地方の風土や方言や、昭和三〇年代の時代の空気が非常にリアルに描かれていたと思います。
辻堂
そう言っていただけると本当にホッとします。一九六四年の東京オリンピックそのものを真正面から描くのではなくて、その時代を生きた、若い普通の女の人の人生を描くということに挑戦したかったんです。
荻原
万津子さんは一宮(愛知県)の紡績工場で一五歳から働いているわけですけれども、工場には全国から同世代の女の子たちが集まってきていて、それぞれのお国言葉を使っておしゃべりしている。方言って小説で書くのは大変だけど、読むだけでいいならすごく楽しい(笑)。万津子さんの出身地は大牟田(福岡県)ですよね。
辻堂
父方の祖母の出身地なんです。
荻原
おばあちゃんには、当時のことをいっぱいリサーチしたんですか?
辻堂
根掘り葉掘り聞きました。過去の視点では専業主婦が主人公になるので、どの家電をどう使ってたのか、とか。
荻原
僕は一九五六年生まれなので、その時代のことはよく知っています。ただ、東京オリンピックの時は小学校二年生だったんですが、当時のことは全然覚えていない。テレビは家にあったんですけどね。そうそう、どうしてバレーボールを題材にしようと思ったんでしょうか。
辻堂
一九六四年のオリンピックのことを、女性作家である私が書く意味ってどこにあるだろうと考えた時に、女性が活躍したスポーツに焦点を当ててみたいなと思ったんです。調べてみると東京オリンピックから正式種目になった競技は、バレーボールと柔道でした。最初はどっちにしようかで悩んだんですけれども……。
荻原
まぁ、バレーボールだよね。なにせ東洋の魔女、ですから。
辻堂
私の母は前回の東京オリンピックを直接見ていない世代なんですけれども、それでも「子供の頃は東洋の魔女に憧れていた」と言うんです。それぐらい、多くの女性たちにとって影響力のある存在だったんだなと感じたんですよね。
──現代パートでの、職場の配置転換に苛立ち、悩む泰介の心情もリアルです。
荻原
「あぁ、こういう奴っているよな」と思いましたね。最初は正直、あんまり好きになれなかったんです。昔は良かったみたいなことばっかり言って、若者にぶつぶつ文句を垂れる面倒臭いオヤジって、嫌じゃないですか。僕もサラリーマンを続けていたら確実に、こうなってたと思うんだけど(苦笑)。
辻堂
私は新卒から三年間、社会人と作家を兼業していたんですが、一〇代の頃からスマホをいじっていた若い世代と、デジタル機器をあまり通ってきていない五〇代の間では、ものの考え方や働き方にいろんなギャップがあります。そこで「若い世代のやり方に合わせろ」と言われたら、きっと怖いんじゃないかなと思った経験を基にしています。
荻原
昭和三〇年代の万津子であれ現代の泰介であれ、単に「調べて書いた」では、こういう人物像にはならない。「自分ではないものになる」という小説家にとって一番大事な才能を、辻堂さんはお持ちなんだと思うんです。
辻堂
その才能をお持ちなのは荻原さんです! 男性も女性も、子供や若者や年配の方も、若年性アルツハイマーや反社会性パーソナリティ障害の方々も……。私は『二千七百の夏と冬』が、『明日の記憶』の次ぐらいに好きな荻原作品なんですが、あれは縄文時代の話じゃないですか。どうして二千年以上前の話をこんなにリアルに、登場人物に感情移入できるように描けるんだろうと思って、衝撃を受けたんです。
荻原
縄文時代なら、誰も文句を言わないからね。誰も見たことがないわけだから(笑)。
辻堂
でも、読んでいるうちに「きっとこういう世界だったに違いない」と思わされるんです。
荻原
うん。きっとそうだったんですよ(笑)。
ミステリーであろうとする意識を解いて、人間ドラマを突き詰めた
──辻堂さんがデビュー作から書き継いできたミステリーの流れからは今回、明らかに外れていますよね。胸に隠し持った「秘密」を巡る人間ドラマだ、と感じたのですが。
辻堂
初めて書いた、ミステリーではない作品だと思っています。この話も当初は、ミステリー要素を前面に出そうと考えていたんです。ただ、なかなかうまくいかなかった。編集さんから「無理にミステリーを入れなくてもいいんじゃないですか?」というアドバイスをいただいて、不安な気持ちもあったんですが、今回は思いっきり人間ドラマに振り切って書いてみようと思ったんです。
荻原
大正解でしたね。ミステリーを書いてこられたという経験も、伏線であるとかちょっとした謎が出てくることで先を読み進めたくなる、リーダビリティに貢献している。
辻堂
荻原さんは『噂』や『さよならバースディ』など広義のミステリーに入るものも書かれていますが、ジャンル分けできないような作品もたくさんありますよね。私もそういう作家になりたい、と思っています。
荻原
ミステリーの枷がない方が、ラクでしょう?
辻堂
ラクでした(笑)。ミステリーってどうしても人の心が軽んじられる傾向にあるというか、面白いトリックと人間ドラマって相性が悪いんです。そこをなんとか両立させようと今まで頑張ってきたんですが、ミステリーであろうとする意識を解いたことで、自分が本当に描きたいものを、とことん追求して描けた感覚がありました。
荻原
結末もいいですよね。すべてを放り出したままにはなっていない。でも、全部はわからない。
辻堂
もしもこれがミステリーだったら、ガッチガチに理詰めで結末をつけていたと思います(笑)。荻原さんは最近、漫画も描かれてらっしゃいますよね。『人生がそんなにも美しいのなら』(※今春刊行された〝漫画家〟荻原浩のデビュー単行本)の表題作は、亡くなる間際の九三歳のおばあちゃんが、若かった頃の自分の記憶と交差する話です。あの漫画のラストシーンを読んだ時に、「そのひとが、どういう人生を生きてきたのか?」を描くことだけでも、物語になるんだって感動したんです。人生こそが、一番のミステリーなのかもしれないなって。
荻原
おっしゃる通りだと思います。そう言えば、あの漫画を描いた時、『明日の記憶』を書いた頃のことをちょっと思い出したんですよね。記憶って、おばあちゃんのぬか床みたいなものだなと思ったんですよ。たとえ死んでも、おばあちゃんが毎日こねていたぬか床は残る。ぬか床に触れることで、おばあちゃんが生きていたってことを思い出せるし、秘伝の味も伝わっていくわけじゃないですか。人が死んでも、記憶は残る。死んだら何も残らないというのは一つの真実ではあるんだけれども、僕はそう思いたいんですよね。『十の輪をくぐる』を読んだ時、この作家さんも同じようなことを考えているのかなと思ったんです。
辻堂
たぶん、荻原さんの作品をいっぱい読んだからそうなったんだと思います。
荻原
実は僕も、何年か前にオリンピックが題材の小説を書こうかとちらっと考えたことがあって。一九六四年と二〇二〇年の他に、一九四〇年の幻のオリンピックを加えた、三つの東京オリンピックをぐお話。タイトルは確か『十五の輪をくぐる』だったかな?
一同
(笑)
荻原
もしも書いていたら、ライバルだったかもしれない。対談なんてとんでもなかったですよ。書くのをやめてよかった。
辻堂
読みたかったです!(笑)
辻堂ゆめ(つじどう・ゆめ)
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』など。『あの日の交換日記』は「王様のブランチ」で特集が組まれ、大きな話題に。
荻原 浩(おぎわら・ひろし)
1956年埼玉県生まれ。コピーライターを経て、1997年『オロロ畑でつかまえて』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2005年『明日の記憶』で山本周五郎賞、2014年『二千七百の夏と冬』で山田風太郎賞、2016年『海の見える理髪店』で直木三十五賞を受賞。他、著書多数。
(構成/吉田大助 撮影/浅野 剛)
〈「WEBきらら」12月号掲載〉