「推してけ! 推してけ!」第17回 ◆『コスメの王様』(高殿 円・著)

「推してけ! 推してけ!」第17回 ◆『コスメの王様』(高殿 円・著)

評者=中江有里 
(俳優・作家)

二匹の「子狸」が大化けした物語


 コスメティックスの語源はコスモス=宇宙であると著名な画家から聞いたことがある。人間はこの地球上で自分たちが異質の存在であると知り、化粧(コスメ)をすることで宇宙との同化を試みたという。

 日常的な化粧を壮大な宇宙と絡めて考えることはないが、化粧は単に身だしなみというだけでなく、外部から自身を守るために形を変える、すなわち化ける行為かもしれない。かつて「東洋の化粧品王」と呼ばれた男の一代記である本書は、二匹の「狸」のような子が大化けした物語ともいえよう。

 明治三十三年、神戸花隈で「おちょぼ」と呼ばれる小間使いのハナは、ドブ川で溺れている子供を助ける。利一という名のその子は、故郷山口にいる大勢の家族の食い扶持を稼ぐために神戸へやってきた。一方、貧しさから牛一頭より安い身代で花街に売られてきたハナ。よく似た顔だちの二人の人生は、この後ループを描くように連なっていく。利一は持ち前の実行力と繰り出すアイデアで事業を立ち上げ、ハナは芸妓として売れっ子になっても交流は続いた。

 政治家、士族、土豪、成金などが同じ席に着く接待の場で見る目を鍛えられたハナの言葉は、利一にとって価値のあるものであった。進学できずに、独学で学ぶ利一の姿をまぶしく見つめるハナ。惹かれあう二人であるが、ハナには生活費やお手当を出す旦那の存在がある。

 本書は利一とハナというふたつの視点で語られる。利一が立身出世のため人脈を築きながら大きく羽ばたこうとするのに対し、ハナは花街から離れない。大金持ちの旦那をとって、身代は完済しているが、義理堅い彼女は世話になった楼に居続ける。

 二人は同じ貧しさから思わぬ道を歩むところまでは似ていた。しかし性別が違うだけで道は変わる。どこまでも芸妓としての運命を生きるハナの気持ちが切なく迫る。

 他方、利一は世間のヒット商品の研究を重ねて、独自商品の開発に勤しむ。また、自身の経営する「永山商店」の信念は「真心」とした。そして売り出したのは鉛の入っていない白粉。鉛入り白粉の毒を吸って死者が出たことを知った利一が、日常的に白粉を塗るハナを守るために開発した商品。まさに真心から生まれた商品だ。

 風呂で使われていたぬか袋ではなく、洗浄力と香りにこだわった粉石けんに目をつけ商品化すると瞬く間に売れた。

 しかしヒット商品が出れば、模倣品が出てくる。そこで利一は考える。

(ものが良いことはわかっている。あとは、どうやってできるだけ大勢の人に知らせるかだ)

 オリジナルポスターやいわゆる商品コピーなどの広告宣伝に力をいれ、他の商品との差を示した。現代ではこうした広告は珍しくないが、利一の宣伝のやり方は大がかりだ。本書冒頭の場面で、飛行機から降ってきたビラは大きなインパクトがある。いい商品を作るのは当然、広く知らせるところまで目を配る。商品開発から宣伝販売まで一手に担ったのだ。

 上昇気流に乗った利一だが、度々躓きも経験する。信じていた仲間に裏切られもするが、相手を恨むよりも先に金策に走るなど、どこまでも前向きだ。

 恨むな、憎むな、と自身に言い聞かせて行動する利一にほだされ、やがて「コスメティックの王様にしよう」と利一は人々に担ぎ出されていく。

 現在高級なデパートコスメやドラッグストアでのプチプラコスメなど数えきれないほどの化粧品があるが、この時が、国産コスメティックスの夜明けであったと思うと感慨深い。

 本作は永山利一が東洋の化粧品王となり、その座を退くところまでに、常にハナの存在が陰日向にあったところが肝だ。

 紆余曲折の末、ついに花街から飛び出た彼女が目指したのは、利一の元ではなかった。彼から離れることで守り、そして自身の自由を勝ち取るための旅。山口から単身神戸へやってきて「狸の子」と呼ばれた利一よりも、ハナのほうが大胆に化けたように見えた。

 二人の違う人生の化け方を描くことで、物語は重層的になり、利一の出世物語に収まらず。ハナとの日々とともにウェルメイドなエンディングを迎える。

「永山商店」から「永山心美堂」と名を変え、百年を超える会社としてあり続けた原点は高品質と広告、大事な真心に支えられてきた。毎朝、化粧を施す度に二人のことを思い返しそうだ。

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コスメの王様

『コスメの王様』
著/高殿 円


中江有里(なかえ・ゆり)
1973年大阪府生まれ。法政大学卒。俳優、作家。「納豆ウドン」で第23回「BKラジオドラマ脚本懸賞」で最優秀賞を受賞し、脚本家デビュー。著書に『残りものには、過去がある』『結婚写真』『万葉と沙羅』などがある。

〈「STORY BOX」2022年4月号掲載〉

中山七里『人面島』
『人面島』刊行記念対談 ◆ 谷原章介 × 中山七里