物語のつくりかた 第10回  大橋秀行さん(大橋ボクシングジム会長)

物語のつくりかた 大橋秀行

 プロボクサーとして、一九八〇年代から九〇年代にかけて活躍した大橋秀行さん。世界タイトルを二度獲得し、引退後は「大橋ボクシングジム」を興して後進の育成にあたっている。世界的な注目を集める井上尚弥(現WBA世界バンタム級チャンピオン)を始め、多くの選手のキャリアをデザインする立場となった今、彼らの物語を作る上で意識していることは何か。日頃あまり語られることのない、プロモーターとしての心情を繙いた。

 ボクシングを始めたのは、四歳上の兄の影響でした。幼少期からおもちゃのグローブでボクシングごっこの相手をさせられているうちに自然とハマり、中学生になってからは街のボクシングジムで練習をするようになったんです。

 その後、高校二年生のときにインターハイで優勝するなど順調にキャリアを積みますが、大学時代にロス五輪の代表を逃したのを機にプロ転向を決意。プロでは六戦目で日本タイトルを獲得し、続く七戦目で僕は早くも世界チャンピオンに挑戦することになりました。

 相手は張正九という韓国の選手で、後に世界タイトルを十五度も防衛する歴史的な名王者です。しかし、当時の僕にはそんなビッグネームに挑戦すること自体が冗談にしか思えず、何がなんだかわからないうちに五ラウンドTKO負けを喫してしまいます。その一年半後に、今度は日本で張正九と再戦することが決まったものの、結果はまたしても八ラウンドTKO負け。正直、もっとすんなり世界チャンピオンになれると思っていたので、甘い世界ではないことを痛感させられましたね。

 三度目のチャンスは、一九九〇年二月に巡ってきました。当時の日本ボクシング界は、世界挑戦二十一連敗中という冬の時代。でも、この連敗を止めればヒーローになれるわけですから、「この状況はオイシいぞ」といっそう燃えていました。

 果たして、僕はWBC世界ミニマム級チャンピオン・崔漸煥に九ラウンドKO勝ちを収め、悲願の世界タイトルを手にします。テレビ中継の効果もあり、反響は想像以上のものでした。なにしろ試合の翌日、横浜駅から東横線に乗ろうとしたら、ホームで僕に気づいた人々が殺到し、電車がストップしてしまったほどです。その数日後には、首相官邸に招かれ、当時の海部俊樹首相からネクタイピンをプレゼントされました。まさに我が世の春でしたね。

 しかしこのタイトルは、二度目の防衛戦でリカルド・ロペスという若き無敗のメキシコ人選手に奪われてしまいます。ロペスはアマ・プロを通じて無敗という前評判の高い選手で、だからこそぜひ戦ってみたいと、自ら指名した挑戦者でした。

 試合は五ラウンドTKO負け。試合後、周囲からは「なぜ、わざわざあんな強い挑戦者を選んだんだ」という声もあがりました。しかし、ロペスはその後、十二年間もタイトルを守り、無敗のままキャリアを終え、歴史に名を刻みます。せっかくそんな偉大な選手が同時代にいるのなら、戦っておかなければもったいないというのが僕の考えでした。おかげで今でも海外の試合会場へ行くと、「おお、お前があの時ロペスと戦ったチャンピオンか!」と、誰もが握手やサインをせがんでくるんです。これは大きな財産でしょう。

 ボクサーにとって、本当に大切なのは勝ち負けではありません。負けを恐れて無難にキャリアを積むよりも、リスクを冒して果敢に挑戦したほうが長い人生の糧になることを、僕は身をもって学んだわけです。

 その後、一九九二年に今度はWBA世界ミニマム級のタイトルを手にします。本当はロペスに雪辱できれば理想的でしたが、結果的にWBCと合わせて二本のベルトを揃えることができたので、これはこれで良かったのかもしれません。

マッチメイクは選手を育てる要

 一九九三年の二月にその二本目のベルトを失うと、僕は一年ほど進退を保留することになりますが、実は引退してジムを開くことは早々に決めていました。水面下で物件探しなどの準備を進め、ラストファイトからちょうど一年後に会見を開き、引退と大橋ジム設立を同時に発表したんです。このタイミングで告知するのが最も宣伝効果が高いだろうと計算してのことでした。おかげで最初から多くの会員が集まり、ジム経営は順調なスタートを切ることができました。

 現在はジムの経営、選手の指導、そして試合のマッチメイクが僕の主な仕事。とくにマッチメイクというのは、選手にどのような経験を積ませ、どう育てていくかを決める重要な仕事です。

 大橋ジムの門を叩くボクサーはさまざまで、未経験の素人もいれば、アマチュアから鳴り物入りでやってくる選手もいます。トレーナーが不足していた当初は、選手を強くすることよりも、いかに楽しくボクシングを続けさせるかを重視していました。そんな雰囲気が変わり始めたのは、現役時代の後輩にあたる松本好二トレーナーが加わった頃からです。指導体制が整い、選手の実力が上がってくると、自然にチャンピオンを目指したいという向上心を持つ選手が増えてきたのです。

 印象深いのは、ジム初の世界チャンピオンになった川嶋勝重(元WBC世界スーパーフライ級チャンピオン)のケース。彼は未経験から始めた上に不器用で、何度も「お前にボクシングは向いていない。危険だから諦めろ」と諭したほどです。これは命を預かる立場として、当然の助言でした。

 ところが、努力する才能に恵まれていた川嶋は、時間をかけて実力と肉体を磨き、ついに世界に到達してしまいます。これはまったく想像できなかった結果で、指導者として本当にいい勉強をさせてもらったと思います。

納得できるキャリアをいかに仕上げていくか

 対照的に井上尚弥は、子供の頃から天才的なセンスの持ち主で、将来世界チャンピオンになるのは当然だと確信していました。それほどの逸材ですから、どのように育てていくかが腕の見せ所。そこで本人の強い希望もあり、プロデビュー後はとにかく強い相手とのマッチメイクにこだわりました。

 その結果、順調に三階級を制覇するものの、今度は強すぎるあまり対戦相手が見つからないという状況に陥ってしまいます。世界ランキングに名を連ねている選手に順番に声をかけても、片っ端から断られてしまう始末。

大橋秀行さん 文中

 気が気じゃなかったのは昨年末の試合で、会場もテレビ中継の枠も決まっているのに、一向に相手が見つからない。そこで最後の手段として、たまたまフェイスブックで売り込みがあったフランスの選手と、翻訳アプリを駆使して直接交渉したんです。お互いにカタコトの英語でどうにか条件をすり合わせて契約にこぎ着けたものの、ちゃんと予定通りに来日してくれるのか不安で、最後まで胃の痛い思いをしましたね。

 同じく三階級制覇を達成した八重樫東の場合は、もう三十五歳の大ベテランですから、彼のキャリアをいかに納得のいく形で仕上げてやるかが僕の使命だと思っています。練習方法ひとつをとっても、とにかく彼のやりたいことを優先し、そのために必要な環境づくりを全面的にバックアップしています。目指すのは、日本人男子初の四階級制覇です。

 他方、ロンドン五輪の銅メダリスト・清水聡のように、すでに十分な実績を持って入門する選手もいます。それでも彼の場合、ボクシングが非常に荒削りであったため、まだまだプロでの伸び代は大きいと直感していました。すでに東洋太平洋チャンピオンとして三度の防衛を果たしていますが、そろそろ勝負の時期だと考えています。プロ転向が遅く、清水もすでに三十二歳ですから、あとはタイミングを逃さず世界タイトル挑戦の機会を作ってやることが重要ですね。

 気がつけば、ジムを設立して二十四年になりました。最近ではかつての所属選手が子連れで顔を見せてくれるようなことも多く、OBが幸せな第二の人生を送っていることに安心しています。

 ボクシングは命の危険を伴うスポーツですから、本人がどれだけ試合を望んでも、時には毅然とNOを突きつけるのが僕の責任。中にはそうしてボクサーの道を諦めた後、別の仕事で成功を収め、今ではジムのスポンサーになってくれているような子もいます。ボクシングを通して出会った人材の人生を、少しでもいい方向に導くのが指導者。強くすることだけが目的ではないんです。

(構成/友清 哲 撮影/黒石あみ)

大橋秀行(おおはし・ひでゆき)
1965年神奈川県生まれ。専修大学中退。中学時代から地元の協栄河合ジム(現・神奈川渥美ボクシングジム)に所属後、ヨネクラジムに所属しプロデビュー。「150年に一人の天才」と評され、ミニマム級・ライトフライ級で活躍、90年にWBC世界ミニマム級王者、92年にWBA世界同級王者となる。94年に引退。戦績は24戦19勝(12KO)5敗。引退後は大橋ボクシングジムを開設、男女合わせて4人の世界王者を輩出するなど後進の育成に尽力している。

大橋秀行さんをもっと知る
Q&A

Q1. 夜型? 朝型?

A1. 時と場合により、両方ですね。ジムへ来るのは午後ですが、海外の選手とマッチメイク交渉をする場合などは、時差の都合で早朝から稼働することも。

Q2. 犬派? 猫派?

A2. 猫派です。自宅に3匹います。

Q3. お酒は飲みますか?

A3. たくさん飲みます。最近はもっぱら焼酎ばかり飲んでいます。

Q4. 仕事上の必需品は?

A4. 必ず持ち歩いているのはスマートフォンくらいでしょうか。

Q5. 憧れの人物は?

A5. 国内最大手、帝拳ジムの本田明彦会長でしょう。プロモーターとしてのいろはをすべて教わりました。

Q6. 現役時代、目標にしていた選手は?

A6. シュガー・レイ・レナード。世界タイトルを5階級制覇した、ボクシング史上最高のボクサーの1人です。

Q7. 休みの過ごし方は?

A7. ひたすら寝てます。たまに本を読んで、うとうとしてきたらまた寝て。その繰り返しこそが至福のひとときですね。

Q8. 愛読書は?

A8. 最近になって人から勧められ、夏目漱石など古い作品を読み漁っています。

Q9. 趣味は?

A9. ボクシングが趣味みたいなものです(笑)。

Q10. もしボクシングをやっていなければ、今どんな仕事をしていたと思いますか?

A10. 昔は花屋になりたかったのですが……。今は井上尚弥や八重樫東など、抱えている選手一人ひとりが、最高の花を咲かせてくれていますよね。


世界チャンピオンを多数輩出する名門
『大橋ボクシングジム』

大橋秀行さん インフォ

横浜駅近く、約150坪のフロアに公式リング2面のほか、コンディション維持のためのサポート施設を備える。プロ、アマはもちろん、キッズやフィットネスのコースも充実。〒221-0835横浜市神奈川区鶴屋町1-7-12
ハウスプラン横浜ビル3・4階
TEL:045-314-1994
公式サイトはこちら

〈「STORY BOX」2018年11月号掲載〉
【著者インタビュー】久保寺健彦『青少年のための小説入門』
葉真中 顕さん『凍てつく太陽』