【著者インタビュー】久保寺健彦『青少年のための小説入門』
いじめられっ子の中学生と、少年院帰りのヤンキーがコンビを組んで、作家を目指す! 久保寺健彦氏の7年ぶりの新作は、読む喜びと書く苦しみがつまった、アツい青春小説でした。
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
文学史上、空前のコンビ誕生! 読む喜びも書く苦しみも全てがアツい小説を愛する全ての人の胸を打つ快作
『青少年のための小説入門』
集英社
1650円+税
装丁/アルビレオ
装画/小畑 健
久保寺健彦
●くぼでら・たけひこ 1969年足立区生まれ。「僕と一真はほぼ同い年。未成年が普通にスナックに出入りするのは、時代性というより地域性です(笑い)」。立教大学法学部卒、早稲田大学大学院日本文学研究科中退。塾講師の傍ら執筆を続け、07年『すべての若き野郎ども』でドラマ原作大賞選考委員特別賞、『みなさん、さようなら』(13年に映画化)でパピルス新人賞、「ブラック・ジャック・キッド」で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞。165㌢、55㌔、B型。
言葉を美学の側から照らすためにも、小説には存在意義が十分あると思う
小説家が物語を書く……。その過程もまた物語だった。
久保寺健彦氏の実に7年ぶりの新作『青少年のための小説入門』の主人公は、中学入試で私立御三家に落ち、都内の公立に渋々通う〈入江一真〉、14歳。ある時、不良たちに強要され、近所の駄菓子屋〈たぐち〉で梅ジャム1個を盗んだ彼は、店主の孫で少年院帰りとの噂もある〈登さん〉に捕まる。そして万引きをチャラにしてやるからと、半ば強制的に〈本の朗読〉を頼まれるのだ。当時20歳の登さんは実は文字の読み書きに難のある〈ディスレクシア〉にして、物語を生む天才でもあった。そこで一真に古今東西の名作を朗読させて要領を学び、作家になろうと考えたらしい。
こうして登がアイデア、一真が執筆を担当する覆面コンビ作家〈倉田健人〉が誕生、晴れてデビューも果たした。が、一真が当時を思い返しているのは彼が中年になり、本名で再デビューして4年目のこと。拙い文字で最新作の感想が綴られた葉書が届いた時、それを書いた登さんはもう死んでいたのだ―。
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前作『ハロワ!』以降、実は氏には小説を全く書けなくなった時期がある。
「感覚的にはプロゴルファーが突然パットが入らなくなる、イップスに近い状態ですね。プロットを作るのですが、どうもやりたいことと違う気がするし、アイデア出しを一から始めてみても、百枚くらい書くと全く面白く思えないんです。
そんな状態が4年続いて、ようやくです。学習障害のヤンキーと優等生が一緒に本を読むこの物語に『あ、いける!』と思えたのは」
ヤクザも恐れる乱暴者で、今なお町の不良が一目置く登さんは店主のおばあさんと二人暮らし。毎日彼女に薄味の食事を作ってやる彼は、17歳で彼を生んだ母が出奔し、祖母に引き取られた過去を持つ。
今でこそ補助教材も多数あるディスレクシアだが、80年代当時は学習障害という存在自体がほぼ知られておらず、周囲の無理解から非行に走った彼も、元々は大の本好きだった。おばあさんは自分が読み聞かせる絵本から物語を次々に生み出す孫を〈並みじゃない〉と自慢。女性にもモテる登さんは、よく近所のスナックで女性をナンパしては本を朗読させていたが、漢字もろくに読めない女たちに辟易とし、一真に目を付けたらしい。
やがてたぐちの2階は、一真が図書館で借りてきた本を朗読し、登さんが適宜疑問点を指摘する場と化し、一真の母が当直の日は一緒に夕食を囲むことも。漱石や筒井康隆、ヘミングウェイ等々、彼らが読み、真似、その構造を生かそうとする本はどれも一級品で、引用文を読むだけでも楽しいが、特に二人が心ひかれたのが『ライ麦畑でつかまえて』だ。登さんは主人公の孤高の青春にしばし没頭した後、〈一真〉〈インチキじゃねえ小説、書こうぜ〉といい、その真意が一真にも一言でわかった。〈ホールデンにとって、世の中の大半のものごとは耐えがたい〉〈反対に、ホールデンがインチキでないと見なしたものには、ひっそりと光を放つ鉱物のような美しさがあった〉……。
こうして〈インチキじゃない〉、本物の小説を書くことが、二人の目標となる。
作中作は挫折した長編の構想を使用
「インチキじゃない小説が書きたくて、僕は7年かかってしまったんですけどね。
例えばハリウッドの脚本家シド・フィールドは、まずは56個の場面をカードに書きだせと言っていて、僕もやってみました。昔は一真たちのように好きな作家の模倣もしたし、小説の神様なんていない以上、どんな方法でも愚直に試し、バカに徹してこそ作家だと思う。当初はそんな機械的な書き方では物語の流動性を奪うのではという反感もあった。でも結局そんなことはなかったし、自分こそ物語をナメていました」
ホールデンの孤独を共有し、心から信じあえる相棒となった彼らは、試行錯誤の末、ついにD社の新人賞を受賞。その間、率直すぎる感想で登さんを奮起させたのが、一見風変わりで実は美形な〈高木かすみ〉。一真の初恋の人だ。
ちなみにカフカ『変身』に着想を得た受賞作〈『鼻くそ野郎』〉は、ある日突然、言葉が〈●〉にしか見えなくなった男が、ある少女と出会い、世界を取り戻していく話で、文字が鼻くそに見える登さんの実感がベースになっていた。が、担当編集者はさすがに表題の変更を求め、かすみの発案で〈『君といれば』〉と改題したデビュー作は幸い大好評。二人は全身黒ずくめの覆面作家、
だが刊行早々版を重ねる初短編集〈『ふたりの季節』〉を酷評し、「贋作」扱いの★3つにランクしたのが、超エリートの評論家〈寺脇〉だ。登さんは激高したが、一真はその分析力にどこか魅かれてもいた。その後も登のおばあさんが倒れるなど、凸凹コンビには試練ばかりが待ち受ける―。
「例えば彼らが書こうとして挫折する作中作『神様がいた頃』は僕自身が挫折した長編で、虚構の中の虚構であっても読むに足るよう、優に5、6作分は自信作の構想を使ってます(苦笑)。
実は前作の連載を終えたのが7年前の3月15日。大震災を目の当たりにした後、小説の中の希望に何の意味があるのか、たぶん小説や虚構の力について、僕自身が納得したかったんです」
〈小説は無力だ〉〈売れない小説は、ただのモノ〉等々、寺脇たちの発言も正論ではあろう。が、登さんと出会い、読む喜びと書く苦しみに魅入られた一真は、昔と今がないまぜになった老女の姿に思う。〈すべて、ただの虚構だ。しかし、その虚構が、死にむかいつつあるおばあさんをとり巻く世界を一変させ、いま・ここで生きるささやかな力になった。その力の源に、きっと小説のルーツがある〉
口下手な彼がやっと絞り出したこの一言こそ、著者自身の嘘のない思いであり、全ての人の希望でもあろう。
「寺脇が言うように小説は今、ますます無力になりつつある。ただ最近のトランプ氏や政治家の弁を聞いていると言葉が酷く蹂躙されている気がして、今一度言葉を美学の側から照らす必要を強く感じるんです。そのためにも小説には存在意義が十分あると、今では思えるようになりました」
だから本以外の風俗描写は極力避け、「小説の素晴らしさだけが横溢する世界」を書こうとしたと氏は言い、その贅沢さや豊かさもまた、一つの答えではある。
●構成/橋本紀子
●撮影/三島正
(週刊ポスト 2018年10.5号より)
初出:P+D MAGAZINE(2018/10/23)