著者の窓 第22回─翻訳者編─ ◈ 古屋美登里『わたしのペンは鳥の翼』

著者の窓 第22回─翻訳者編─ ◈ 古屋美登里『わたしのペンは鳥の翼』

 アフガニスタンの女性十八名による二十三の短篇を収めた『わたしのペンは鳥の翼』(小学館)が、静かな話題を呼んでいます。女性嫌悪、家父長制、暴力、貧困、テロ、戦争、死……。過酷な現実を前にした女性たちが、胸の中で育んだ祈りのような物語。それはアフガニスタンの現状を生々しく伝えるとともに、言葉や文化の壁を越えて、私たちの心を強く揺さぶります。疎外された世界の女性たちを固く結びつけるこの作品集について、日本語版の翻訳を手がけた古屋美登里さんにうかがいました。


〝風圧〟を感じさせる、ストレートで力強い言葉

──『わたしのペンは鳥の翼』は、アフガニスタンの女性作家十八名の作品を二十三篇収めた貴重な作品集です。古屋さんがこの本を翻訳することになった経緯を、まずは教えていただけますか。

 去年(二〇二一年)の九月頃、小学館の編集担当の方からご連絡をいただきました。この本の企画を知って「絶対うちで出したい」と強く思われたそうで、私を訳者に選んでくださいました。
 英訳が終わっていた七篇がエージェントから送られてきていたので、そのデータをいただいて読んだのですが、すぐに、これはとんでもない作品集だと思いました。そのときにはまだ、何篇が収録されるか未定だったと思います。英語自体はシンプルで、たとえば表現の巧みなプロの作家が書くような修辞的で技巧的な表現はほとんどありません。ある意味、中高生でも書けるような英語なんですが、その文章から〝風圧〟が感じられて、書き手が中高生などでないことがよく分かる。その文章の力強さにすっかり魅了され、ぜひ訳したいとお返事しました。

古屋美登里さん

──もともと古屋さんはアフガニスタンに関心をお持ちだったのでしょうか。

 恥ずかしいことにあまり関心がありませんでした。医師の中村哲さんが書かれた本は興味深く読んでいました。ただ、シリア内戦を扱った『シリアからの叫び』というノンフィクションを六年前に訳した関係で、中東の紛争や難民問題については多少知識があったんですが、アフガニスタン個別の問題については調べたことがなかった。それで今回資料を読んで勉強しました。
 特に興味深かったのはイスラム教の死生観です。イスラム教のために異教徒と戦うことをジハードと言いますが、その戦いのなかで死んだ人が殉教者として天国へ行けると信じられています。爆撃で殺された人も殉教者です。イスラム教では死んだ人はその日のうちに埋葬されるのが普通なので、「話し相手」の主人公が、死んだことを誰にも知られずに腐っていく自分の身体が「かわいそう」、と述べる深意がわかります。

資料の一部
アフガニスタンの問題を理解するために読んだ資料の一部

──この本はイギリス発の文学的プロジェクト〈アントールド UNTOLD〉が、アフガニスタン在住の女性たちに呼びかけて誕生したものだそうですね。〈アントールド〉とはどのような目的のプロジェクトですか。

 紛争などによって社会から疎外され、取り残された作家をサポートするためのプロジェクトです。ブリティッシュ・カウンシル(イギリスの公的な国際文化交流機関)の支援を受けているので、公的なものに近いプロジェクトですね。イギリスという国は帝国主義時代の反省からなのか、フィランソロピー(奉仕的活動や社会課題解決に取り組むこと)の精神からなのか、取り残された国や地域への支援体制がしっかりしています。景気がいい時も悪い時も、継続的に手を差し伸べられるような仕組みが完成していて、つくづく感心しますね。〈アントールド〉は現在、インドのアッサム地方で作家の支援を進めているそうです。もしかしたら数年後には、アッサム地方の作家による作品集を読むことができるかもしれませんね。

先入観を拒絶するような、多様性のある物語

──田舎で飢えに苦しむ女性がいる一方で、都市部でアナウンサーとして働く女性もいます。語り手のプロフィールは多彩で、これまで知らなかったアフガニスタンの現実を伝えてくれます。

 アフガンの人口の九割以上は、地方に住んでいると言われています。当初〈アントールド〉の呼びかけに応じたのは、高い教育を受けている都市部の女性が大半だったそうですが、それではいけないということで、プロジェクトのポスターを全国くまなく貼って宣伝したそうです。その結果、書き手の三分の一は地方在住の女性という多様性が生まれました。
 私たちにはアフガンの女性はずっと抑圧されているというイメージがありますが、二〇〇一年にアメリカが侵攻してタリバン政権を倒した後は、しばらく自由な時代が続いていたんです。女性も教育を受けられたし、外で働くこともできた。この本には出てきませんが、アフガンのお金持ちの家には女性だけの部屋があって、外では着られないブランド物の服を着たりして楽しんでいたそうです。そういうことって、外側からでは分からないですよね。中東の女性はこうだというこちらの思い込みを正すという意味でも、この本はよい助けになると思いますね。

古屋美登里さん

──全二十三篇中で、特に印象的だった作品をいくつかあげていただけますか。

 訳している時から感情が揺さぶられて、何度読み返しても涙が滲んできてしまうのが「ダーウードのD」です。罪を犯した教え子を、教師が人生を投げ出して救おうとする話。自分にとってまったく得にならないけど、それでも少年を救いたいという心。彼の思いは決して無駄にはならず、助けられた少年が大人になることで、別の誰かに伝わっていくのだと思います。犠牲的精神の美しさが描かれていて、胸に響きます。
 アフガンの人たちというのは誇り高いと言われています。「話し相手」のおばあさんは子どもたちを全員安全な海外に逃がして、そのことを誇りに思っている。その代わり、自分は一人で暮らし、死んでいかなければならないわけですが、泣き言は決して言わない。「わたしには翼がない」の主人公も、自分の身を恥じていません。父親や身内は恥だと思っているでしょうが。「ハスカの決断」の主人公ハスカも、夫の死後の人生を他人に委ねたくないと思っている。アフガンの人々の誇り高さが表れている作品がたくさんあります。だから「虐げられた」という言い方を果たしてしていいのだろうかと思いますね。彼女たちは彼女たちなりに、誇りを失わず、強く生きようとしているのですから。

──戦争やテロの悲惨さが、ダイレクトに描かれている作品もありますね。

 はい。女性のアナウンサーがロケット弾の爆撃に遭う「遅番」、結婚式場でのむごたらしい自爆テロを描いた「世界一美しい唇」。「防壁の痕跡」には言葉を失いました。爆発によって主人公の体の半分が吹き飛び、残ったもう半分の状態が淡々と語られている。この作者は実際にこういう現場を見てしまったのではないか、と思います。もしかしたら鎮魂の思いを込めて、この話を書いたのかもしれません。
 むごい話が多い中で、「アジャ」のような女性の連帯を描いた物語にはほっとさせられます。「赤いブーツ」は市場で見つけた赤いブーツが欲しくてたまらない女の子の話。サイズが合わなくて窮屈なんだけど、お気に入りのブーツをどうしても脱ぎたくない、という子どもの感覚がよく描かれています。大事なものがひとつあれば、辛い現実を生きていく支えになるんですよね。ひとつひとつ、どの作品も印象深いです。

古屋美登里さん

──英訳される前の原稿は、アフガニスタンの主要な言語であるダリー語とパシュトー語で書かれています。翻訳にあたってご苦労された点、工夫なさった点はありますか。

 工夫した点ですが、固有名詞を現地の発音に忠実に表記しているのは、日本語版だと思います。たとえば「ダーウードのD」のタイトルになっている人名〝Daud〟ですが、英語だと「ダード」と発音するんです。日本語版は東京外国語大学の登利谷正人先生に助けていただいて、現地の読みに近い表記をすることができました。これは胸を張っていい点だと思います。
 苦労したのはアフガニスタンの家の間取りですね。都会の共同住宅は想像がつくんですが、田舎の平屋の作りがどうなっているのかよく分からない。グーグルマップで何度も現地に飛んでいって(笑)、このあたりが舞台かなという地域の家をくり返し観察しました。そういう生活の細かい部分は、可能な限り調べましたがやっぱり難しいですよね。たとえば英語で「ポット」と書かれてあったとして、それが鍋なのか壺なのか鉢なのかが分からない。食べ物にしても馴染みがないですから、グーグルにはかなり助けられました。

疎外された女性たちに思いを馳せ、関心を向け続けてほしい

──〈アントールド〉の呼びかけに応じ、それぞれの立場から声を発した十八人の女性たち。彼女たちにとって、書くことはどんな意味を持っていたと古屋さんはお考えですか。

 もちろん自分たちの辛さを知ってほしい、表現したいという切実な思いの表れだと思いますが、それ以前に書くことって楽しいんですよね。私の亡くなった母も、少女時代からずっと日記をつけていました。その気持ちが分かる気がするんです。一日の仕事が終わって、日記帳を開くことで気持ちに一区切りがつく。あるいは自分の心を客観視できる。そういう密やかな楽しさは、世界共通のものだと思うんです。この本の女性たちも、きっと書くことを楽しんでいたはずです。逆にいうと文章の世界に逃避しなければならないほど、辛い現実を生きている、ということなのかもしれません。それに、書くことは自分のいまいる位置を確認することでもありますね。言葉は意志です。言葉があれば意志を持つことが出来ます。

──訳者あとがきにおいて古屋さんは、「異国の物語でも、日本の文化や風習から考えて理解できるところもある」とお書きになっています。たとえばそれはどういう部分でしょうか。

 この本を読んでいると、アフガンの女性には結婚するしないの自由もなく、男の子を産むことを期待され、奴隷のように扱われて、とんでもない状況だと思われるかもしれませんが、日本だって戦前は女性の人生を親や夫が決めていたわけですよね。家父長制は、とりわけ地方では今も根強く残っていますし、決して遠い異国の話ではない。もちろん政治情勢や文化の違いはありますが、日々の暮らしのなかで女性たちが感じる喜びや悲しみは、日本とそれほど違いがないはずですし、文化の壁を越えてストレートに伝わってくるものがあると思います。

古屋美登里さん

──二〇二一年にタリバン政権下に戻ってしまい、アフガニスタンの女性たちはこれまで以上に抑圧されていると聞きます。彼女たちのために、私たち日本人が何かできることはあるでしょうか。

 現地に行って手助けすることは難しいですから、国際的な機関を介して援助するのがいいのではないかと思います。国連UNHCR協会やユニセフなどに継続的に寄付をすること。それとアフガニスタンの女性たちのことを忘れず、SNSなどで発信し続けることです。こうした問題を扱った本を一冊でも多く翻訳するのが自分の役目だと私は思っていますし、読者の皆さんもそれぞれの立場で関心を持ち続けていただければと思います。「読み、語り合うことで、彼女たちの命懸けの戦いにくわわろう」と柚木麻子さんが推薦文を寄せてくださいましたが、まさにそのとおりです。世界の女性たちは、これまでさまざまな力によって分断されてきました。その分断構造に乗ることなく、連帯の声を上げ続けなければいけないと思います。

──この本が世界に波紋を広げていくことを祈っています。ではあらためて読者にメッセージをお願いいたします。

 この本を知ることは、女性の置かれた状況を知り、命の大切さを知ることです。それはアフガンの女性だけでなく、父権社会の中で生きる女性たちの、ひいては私たちの命の大切さを知ることにも通じています。二十三の作品はどれも短いものですが、そこから聞こえてくる囁きや悲鳴、喜びや苦悶の声に耳を傾けていただきたいと思います。


わたしのペンは鳥の翼

『わたしのペンは鳥の翼』
アフガニスタンの女性作家たち/著
古屋美登里/訳

小学館

古屋美登里(ふるや・みどり)
翻訳家。訳書にジョディ・カンター他『その名を暴け』(新潮文庫)、デイヴィッド・マイケリス『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』、デイヴィッド・フィンケル『帰還兵はなぜ自殺するのか』『兵士は戦場で何を見たのか』、ジャニーン・ディ・ジョヴァンニ『シリアからの叫び』、イーディス・パールマン『幸いなるハリー』(以上亜紀書房)、エドワード・ケアリー『呑み込まれた男』『おちび』〈アイアマンガー三部作〉(以上東京創元社)、『望楼館追想』(文春文庫など)、ラッタウット・ラープチャルーンサップ『観光』(ハヤカワepi文庫)他。著書に『雑な読書』『楽な読書』(以上シンコーミュージック)がある。

(インタビュー/朝宮運河 写真/松田麻樹)
「本の窓」2023年1月号掲載〉

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