『モナドの領域』
【今日を楽しむSEVEN’S LIBRARY 拡大版】
話題の著者に訊きました!
筒井康隆さん
YASUTAKA TSUTSUI
1934年生まれ。’65年、処女作品集『東海道戦争』を刊行。’81年『虚人たち』で泉鏡花文学賞、’87年『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞、’89年『ヨッパ谷への降下』で川端康成文学賞、’92年『朝のガスパール』で日本SF大賞、2000年『わたしのグランパ』で読売文学賞を受賞。’02年に紫綬褒章受章。’10年に菊池寛賞を受賞した。
例えば戦争について
論じるんなら、戦争
賛成という人間が
いないことには
議論にならないはず
「GOD」の声がページを
閉じた後も聞こえてくる
雑誌掲載時から話題を
呼んだ、著者の
「最後の長編」!
『モナドの領域』
新潮社 1512円
河川敷で右の片腕が見つかるという「バラバラ事件」が起きた。商店街にあるパン屋「アート・ベーカリー」では、アルバイトの美大生・栗本健人が人間の片腕の形をしたパンを作る。それは河川敷の片腕とそっくりだった。そしてパン屋の常連だった美大の教授・結野楯 夫が突如、不審な行動を取り始め、「GOD」が現れる―
河川敷で女の片腕が発見され、美貌の警部が捜査を始める。駅前にあるベーカリーでは、アルバイトの美大生が作った片腕そっくりのバゲットが大評判になる。続いて、バゲットが人気を呼ぶきっかけになった新聞のコラムを書いた大学教授が、奇妙な行動を取るようになる。
「モナドの領域」が雑誌『新潮』に掲載されるや雑誌は売り切れ、文芸誌としては珍しく増刷がかかったという、話題性のある小説だ。はじまりは殺人をめぐるミステリーのように見せかけて、物語はとんでもない方向に進んでいく。登場人物の体を借りて「GOD」が人前に姿を現し、この世の秘密を解き明かしていくのである。
「普通のミステリーなんて書きたくないし、安易な解決、謎解きにもしたくなかった。最初にあったのは片腕のパンのアイディアです。ぼくはバゲットが好きだから、バゲットで片腕を作ったら面白いだろうなと思いついて、でもそれだけでは小説にならないからずっとあたためておいたんです」
長いあいだ考え続けてきた、世界のなりたち、多くの人が信じる神という存在と結びついたとき、この小説が生まれた。
「子供のころからカソリック聖母園なんて幼稚園に入れられて、イエス様の話を叩き込まれ、神様のことはずっと念頭にありました。結構、悪いこともしていて、だからこそ神様のことが気になったのかもしれません。大学も同志社で、こちらはプロテスタントですが宗教学が必修科目でした。その後は哲学のほうに行き、ハイデガーを読んだり、アリストテレスも少し、フッサールをかじったりなんかしてましたね」
タイトルの「モナド」というのは、ドイツの哲学者ライプニッツが提唱した世界を構成する単位の概念で、このモナド間の調和は、神の意志によりあらかじめ定められている(予定調和)とするものだ。量子力学や、「対称性の破れ」などといった物理学の用語も飛び出してくる。
「SFのほうじゃ、並行宇宙というのはひとつのジャンルですから。量子力学なんか、読んでもいないのにそれを言い訳みたいにして、こぞって多元宇宙SFを書いてきたんです。ぼくの場合、じゃあ実際にはどうなんだ、ってことで量子力学にも関心を持ってきました」
そう書くと難しそうだが、ややこしい話をするときはかえってくだけた口調になる「GOD」が、『カラマーゾフの兄弟』を思わせる裁判所の大法廷の場面や、 テレビの特番で語ることばを追ううちに、わからないなりになんとなく腑に落ちてくるのが不思議だ。ちなみに「GOD」を書くとき筒井さんのイメージとして あったのは、グルーチョ・マルクスだそう。
この小説を書いているのが『時をかける少女』の作者でもあることが書かれていたり、登場人物みずから、これが小説の中の世界であることを明かしたりと、あ ちこちにちりばめられたメタフィクションの手法は、読者をこの小説のさらなる深みへと連れていく。長年かけて、蓄積された知識、考察、技術がすべて注ぎ込 まれている印象を受ける。
「GOD」が現れたのは世界の綻びを直すためだったのだが、小説の中に描かれている世界と「GOD」の関係は、小説と作家のそれに似ているようでもある。だが、「それは違う」と筒井さんは言う。
「それだと作家が造物主ということになってしまいます。この小説の読み方はこうだぞ、っていうのはおそらく何十通りも出てくるでしょうけど、作者というのは読者にとって、その中の1人にすぎないです」
作家が当たり前の
ことしか言わない
81才。小説の帯に「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長篇」とある。「おそらくは」は、編集者がつけ加えたそうで、筒井さん自身が実際に口にしたのは「最後の長篇」だったのだと言う。
「このアイディアが出てきたとき、これが最後だっていうのは自分でわかってました。こういう神様のことを書いたらもうあとは書くものがない。ぼくが宗教上の神を信じないと決めたのはずいぶん前、大学生のころですけど、この世に生きるこれほど多くの人が神様を信じていて、『神はいない』とも言えない。自分に納得がいくのはこういう神様かな、と思います。『最高傑作』かどうかはともかく、最後は最後でしょうね」
初期のころから、ほかの人が書いているようなものは書かない、自分が一度書いたら似たようなものは書かない、と決めてきた。
「以前使ったギャグを書くと、『それは前とおんなじだ』と指摘してくるやつがいる。今もたまに、アイディアが浮かぶことがあるんです。でも、これちょっといいなあ、と思うと、昔、書いてる。必ず自分で書いてます。『もっと書け』という人には、ぼくは五十数年書いてきて 長編もたくさんあるけど、『あんたそれ全部読んだのか』って聞きますね(笑い)」
『モナドの領域』の「GOD」は人々の記憶にとどまらないように姿を消すが、神のいた気配をわずかに残す恩寵のよう な結末は美しい。一方で、「GOD」の口から出る、「すべての悪は真なんだよ」「お前さんたちの絶滅は実に美しい」といったことばは、真実を言い当てているだけに苦く、一層忘れがたい。
こういうことばを書くとき、自分でこれは本当だと思ってなきゃいけない、と筒井さん。
「何かの事象を目の前にしたとき、作家というのは必ず本質を考えるものですよ。ただ、最近、作家というのがだんだんだらしなくなって、当たり前のことしか言わなくなってますね。たとえば戦争について論じるんなら、戦争賛成、戦争は面白いという人間がいないことには議論にならないはずなんです。10人いたら10人が平和論者というのは逆に危険じゃないかと思う。これだけ戦争映画がいっぱい作られて、みんな見に行くということを考えたら、戦争が好きだとしか思えない。ぼくはやっぱり、自分の中に不穏な部分を残していきたいですね」
『モナドの領域』のサイン本の手渡し会をしたとき、「祈らせてください」と言ってお祈りを始めた女性がいたそうだ。 万一、キツネでも憑いたらたいへんだとあわてた筒井さんのほうでも、必死になって祈り返したという話を聞いて爆笑した。本が出たあとでも、『モナドの領 域』という小説が終わらずに続いているようなのである。
素顔を知るための
SEVEN’S Question+1
Q1 最近読んで面白かった本は?
佐藤正午の『鳩の撃退法』。
Q2 よく見るテレビは?
よく見るのはニュースですね。あまり放映されないけど、なでしこJAPANの試合は見ます。あとは相撲も見ますね。
Q3 最近見て面白かった映画は?
映画館には行かなくなって、テレビで見る専門です。三谷幸喜、彼の作品は映画もテレビもだいたい面白いですね。『真田丸』に合わせて、BSで『王様のレストラン』もやることになり、見逃していたので楽しみが増えました。
Q4 最近気になる出来事は?
ISでしょうね。難民の問題も、どうするのかな。
Q5 健康のためにやっていることは?
別にないですね。何もしなくても丈夫だし、年をとってからジョギングなんか始めるとかえって危ないでしょ(笑い)。
Q6 年齢を感じることは?
こないだ金婚式のお祝いをしてもらって、編集者たちが記念品としてステッキをくれたんです。歩くと時々、くるぶしのへんが痛くなるので、いよいよ年をとってきたのかと、一度、外について出てみました。
ただ、ステッキを持つと頼るようになるらしいし、レントゲンをとってみたら足の骨は丈夫で、あと10年20年は大丈夫ということだったので、今のところなしで歩いています。あまり歩かないせいで筋肉が衰えていると、リハビリの運動を教えてもらいましたけど、やったことありませんね。
Q7 情報収集にインターネットを使いますか?
使います。『カラマーゾフの兄弟』の面白い新訳が出てると知ったのもインターネットで、アマゾンですぐ注文しました。ぼくのツイッターを作ってくれた人が いて、それも見ます。誰でも書き込めるから、「『時をかける少女』しか読んでません」なんてのも平気で話しかけてきて、そういうのも面白いですね。
Q7+1 1日のスケジュールは?
だいたい10時か11時に起きます。ほっときゃあ、いつまででも寝てるんです。ノーベル物理学賞をとった小柴昌俊先生、あのかたもそうらしいですね。
今は小説を書いてませんから、こういうインタビューとか本にサインしたりとか、昔の本の復刻のゲラを読んだりして、午後6時ぐらいから夕食をとり、晩酌します。あとは延々とテレビを見てます。スターチャンネルで映画を見たり。
夜はだいたい『報道ステーション』を見て『ワールドビジネスサテライト』を見て、最後にNHKの『時論公論』を見て寝てしまいますね。
(取材・文/佐久間文子)
(撮影/三島正)
(女性セブン2016年2月4日号より)
初出:P+D MAGAZINE(2016/02/01)