初瀬礼著『シスト』は圧倒的リアリティで描かれた長編サスペンス!著者インタビュー!
長く報道の現場にいた著者が、メディアの裏側から、国家のスパイ活動、紛争の最前線までを圧倒的リアリティで描いた長編サスペンス!読み応え十分な作品が生まれる背景を著者にインタビューしました!
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
報道現場を知り尽くす
著者が圧倒的リアリティで
描く長編サスペンス
『シスト』
新潮社 1800円+税
装丁/新潮社装幀室
初瀬礼
●はつせ・れい 1966年長野県生まれ。テレビ局で報道や番組制作に携わる。「番組と小説を混同されたくないので、本名や経歴は伏せています」。5年前、「その話、小説にしてみたら?」という知人の一言を機に執筆を開始。「既に現実になってしまいましたが、最初に書いたのは金正恩が後継になった北朝鮮を描く、登場人物が実名のシミュレーション小説でした」。2013年『血讐』で第1回日本エンタメ小説大賞優秀賞を受賞し、文庫デビュー。179㌢、95㌔、A型。
ネット上に飛び交うデマや虚構の中にも
真実が潜んでいる可能性は否定できない
この怒濤の展開に慄き、存分にしてやられてほしくて、ここに粗筋を紹介するのも気が引けるほどだ。
初めは世界の紛争地帯を飛び回るビデオジャーナリスト、〈御堂万里菜〉の活躍を描く業界小説かと思った。それがチェチェンから帰国後、若年性認知症と診断された彼女の闘病譚へと転じ、かと思えばタジキスタンを起点に大規模感染の様相を見せる新型劇症出血性脳炎、〈ドゥシャンベ・ウイルス〉の脅威や、米国当局による作戦コード〈“Destruction(駆除)”〉、さらにロシア人で元KGB将校だった彼女の父親の過去まで絡んでくるのだから、先も見えなければ、息つく暇すらない!
初瀬礼氏の社会派サスペンス長編『シスト』。欧文で〈Cyst〉とある表題からして門外漢には意味不明だが、猫を介して人体に棲みつく寄生虫〈トキソプラズマ〉の増殖がこのウイルスには関係し、その際の〈寄生胞〉をシストと呼ぶらしい。
発端となる期日は〈二〇一×年十一月七日〉。つまり遅くとも3年後には、未曾有の危機が地球を襲う!?
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著者は報道畑に携わってきたテレビマン。前作『血讐』ではアルバニア情勢、初の単行本となる本作では中央アジア情勢やIS等の脅威も視野に入れたパンデミック禍を描き、風呂敷を広げるだけ広げておいて見事回収する大胆な作風は、海外ドラマや映画好きでもある氏が小説を書き始めた動機とも繋がる。
「ドラマで言えば『24』や『ホームランド』、翻訳小説やスパイ物も大好きですね。
昔から海外を放浪したり、自分の知らない世界を知りたいというのが最大の欲求だった私は、もっと現実の国際情勢や社会問題を絡めたエンタメ作品が日本にもあっていいと思う。本書に東日本大震災以降、日本のテレビ界や視聴者の関心が内向きになっていると万里菜が嘆く場面がありますが、たぶん私は自分がこの手の壮大な話が純粋に好きだから、伏線の回収に四苦八苦しながらも大風呂敷を広げるんだと思います(笑い)」
主人公が女性ジャーナリストという設定自体は特に珍しくない。しかしロシア人の父がある事件で日本を追われて以来公安にマークされ、母も早くに亡くしたこと、おかげで就職も阻まれた〈顔も頭もたいしたことがない〉〈Bカップ止まり〉の36歳であることは、万里菜の屈託をよく物語る。
「我々はロシア人と聞くとシャラポワみたいな美女をついイメージしがちですが、現地に行くと結構そうでない方もいらっしゃる(笑い)。
私はコンプレックスの塊みたいな彼女にこそ逆境を跳ね返してほしかったし、元々完全無欠のヒロインには興味が持てないんです」
発端は〈第三次チェチェン紛争〉。とある武装勢力に帯同中、ロシア軍と思しき猛攻にさらされた万里菜は、同行のCNNの女性までが殺され、その直後に〈キノコ雲〉を見たことなど、世界的スクープをものにした。
だがフリーの人間が海外ネタだけでは生活できないのも事実で、翌週には東京中央テレビ(TCT)の依頼で認知症の姑の虐待情報があった佐渡に飛んだ。しかし虐待嫁の直撃取材に成功し、美形の後輩AD〈小島ナツキ〉共々、姑の排泄物で汚れた衣服を買い替えに行った時のこと。万里菜は直近の記憶が全て飛ぶ異変に襲われ、帰京後、若年性認知症と診断されるのだ。
認知症にはアルツハイマー型とレビー小体型があり、彼女は前者。しかし頼れる家族もない万里菜は視聴率至上主義のプロデューサー〈三浦〉に自らの闘病追跡番組を提案するのだった。
「認知症に関しては自分が見聞きしたことをベースにしていて、若年性の場合は進行を遅らせる薬さえ合えば仕事を続ける方もいる。ただし特効薬はなく、治験の壁や厚労省の認可問題も含めて、万里菜を傍観者にはしたくなかったんです」
彼女は認知症研究の権威〈長沼〉と接触する一方、タジキスタンで謎の感染症発生との一報を受け、三浦から現地入りを依頼される。実は彼と愛人関係にあり、万里菜の後釜を狙う小島が同行をねじこんだらしいが、モスクワに前泊した夜、小島の部屋を訪れた彼女は、目や耳から夥しい血を流す後輩の姿を目にするのだ。
似た発想の生物
兵器が開発中?
注目は〈ゴホッ、ゴホッ〉と、誰が、どの時点で咳をしているか―。世界中で死者を増やすこの感染症は、発症に〈ほぼ正確に一ヶ月かかる〉不自然さから生物兵器の可能性も指摘され、発症すれば脳出血で即死に至る〈時限爆弾〉だった。
「潜伏期間を1か月にしたのは、仮に彼らがその状況で使うとしたら、〈正確性と遅発性〉が不可欠だから。テロとの戦いが叫ばれる昨今、現に似た発想の生物兵器が開発中とも聞きます」
日本では同地に出張した外務省職員らが最初の死者とされ、政府は「新型インフルエンザ等対策特別措置法」に基づく夜間外出自粛令を発令。なぜか犠牲者は中年以下に集中し、町から若者が消え、老人が闊歩する逆転現象も起きていた。
一方小島の感染に疑問を抱く万里菜は、ロシア当局から〈あなたはすでに問題ない〉と帰国を命じられた自分こそが〈日本で最初の感染者〉ではないか、だとすればなぜ死なないのかと、の究明に奔走した。ちなみに外務省職員らの帰国は11月14日。その翌月14日に職員と小島が死に、刻々と変わる日付も緊迫感を煽る。
「私自身、いわゆる陰謀論を鵜呑みにこそしませんが、ネット上に飛び交うデマや虚構の中にも、何かしらの真実が潜む可能性は否定できないと思う。海外ドラマにハマるのも、当局やそれに近い筋に取材したギリギリの現実をエンタメ化しているからで、本書に書いた事態に近いことはいつ起きてもおかしくありません」
また、本書では〈真実は目を刺す〉など、万里菜が父に教わったロシアの諺が、彼女の闘いに深みを添える。
「私が好きなのは〈モスクワは涙を信じない〉ですね。それを〈泣いても怒っても現実は変わらない〉と解釈する彼女の姿に何かを感じてくれれば嬉しいし、今後も私自身が愛してやまないドキドキやハラハラを面白い小説に書いていきたい」
その兵器を誰が開発し、誰に渡ったのか。後に万里菜が摑む真相は絵空事では済まないリアリティを孕む。〈歴史的に、武器は必要でないところから必要なところに流れる〉という言葉が耳を離れない、これはテロや紛争を遠い対岸の火事と思い込む私たちの危機なのだ。□
●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光
(週刊ポスト2016年6.10号より)
初出:P+D MAGAZINE(2016/06/23)