松久淳著『もういっかい彼女』は老いてこその純愛小説。著者にインタビュー!
大人の男性にこそ読んでほしい、珠玉のタイムスリップラブストーリー。老いらくの恋であろうと、感動的なその純愛に涙すること必至。創作の背景を著者にインタビューします。
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
大人の男性にこそ
読んでほしい
話題のラブストーリー
『もういっかい彼女』
小学館 1300円+税
装丁/岡本歌織(next door design)
松久淳
●まつひさ・あつし 1968年東京生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。松久淳+田中渉名義の『天国の本屋』シリーズや『ラブコメ』、単著『どうでもいい歌』『中級作家入門』等の他、吹替愛好会名義の『吹替映画大事典』も話題に。「実は広田だけはモデルがいて、亡き声優の広川太一郎さん。『ローマの休日』の美容師マリオはあの名調子で吹き替えたから日本ではオネエに誤解されたというのが僕の持論です」。10年に第13回みうらじゅん賞。171㌢、62㌔、A型。
歳を取った自分にも希望や存在意義はあり
臆面のなさが自分や誰かを救ってもくれる
女好き、という言葉自体が、あるいは言葉足らずに過ぎるのかもしれない。
映画にもなった『天国の本屋』や『ラブコメ』等々、松久淳氏が関わった作品に「男性の目に映る彼女」が登場しなかった例はなく、最新作のタイトルはその名も『もういっかい彼女』。
主人公のフリーライター〈富谷啓太〉は、官能小説家〈佐々田順〉を取材中、彼がヒロインたちに投影してきたという〈最初で最後のミューズ〉の存在を明かされる。確かに今読めば古くて興奮しにくい昭和な官能作品の中で、唯一際立っていたのが主人公の愛らしさだった。そこが取材の要点だと見て取った富谷が正直に感想をぶつけると、66歳の老作家は表情を崩し、ある悲恋の物語を語り始めるのである。
男がいて、女がいる―。そんな自明の事実が奇蹟にも思えてくる、老いてこその純愛小説だ。
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「いつも僕は自分の意図が良くも悪くも誤解されやすいんです。『ラブコメ』で言えば、大の映画好きでもある僕が、日本には『ノッティングヒルの恋人』みたいなラブコメってないなあと思って、いわば『ラブストーリーは落語である』という持論に挑んだ作品でした。つまり出会いや諍いがあって、最後は結ばれる定型を、いかに面白く語るか。ところがその変化球的試みは見事無視され、よくあるラブコメじゃんって、軽く受け流されてしまう。
逆に今回は直球ど真ん中の純愛小説を書いたつもりが、タイムスリップものの大どんでん返しミステリーとして読まれているらしい。僕の師匠、みうらじゅん氏によれば『全てのブームは誤解から生まれる』そうなので、誤解されて売れるなら大歓迎ですが(笑い)」
老作家が語る〈菜津子〉との恋のいきさつ、そして彼女の死後、彼が体験した不思議な出来事を、読者は富谷やカメラマンの〈野田奈々〉と訊くことになる。富谷は名前に昭和の名コメディアンの名を含むことから〈タニケー〉と渾名され、奈々もそう呼ぶが、彼の方は彼女に好意を抱きながら名字で呼ぶ、そんな関係だ。
出会いは佐々田が36歳で、菜津子が26歳の時。当時の担当編集者で現在は出版社重役の〈広田〉に紹介された図書館司書の菜津子を佐々田は一目で気に入り、既に妻と別居していたこともあって、その日のうちに関係を持った。一方菜津子も不倫関係を気にする風はなく、彼の愛猫〈ニャニャコ〉をニャーちゃんと呼んで可愛がった。以来彼女が急性白血病に倒れ、33歳で亡くなるまでの7年間を、佐々田は〈私と菜津子は、いつも酒を飲み、抱き合い、バックギャモンをし、猫と戯れていたんだ〉と、臆面もなく告白するのである。
「僕も今年48になりますが、人間、歳を取れば取るほど臆面もなくなったり、人に笑われるのが怖くなくなる。もしかすると最愛の女性の少女時代を見てみたいとか、最初の男になりたいというセンチメンタルな願望も、我々オッサンだけが抱くものなんでしょうか?」
救いと絶望両方
ないとおかしい
佐々田の恋バナが何より富谷たちを虜にしたのは、彼が菜津子の故郷に時空を超えて降り立ち、少女時代や初めて恋人ができた頃の彼女ばかりか、その時々の〈若い佐々田〉とも会って、話までしていることだった。
「若いうちは相手の過去を考えるくらいなら他にセックスできる相手を探すかもしれませんが、歳を取るとそうはいかない。最新型のGショックをいくつ持ってるかを自慢した昔と違い、慣れ親しんだ思い出の時計とか、目の前の一人一人が大事に思えてくるんです」
その過去への旅は夢にも似て、彼が眠りに落ちると学生時代や出版社に就職した頃の自分がほぼ1年おきに現われ、菜津子の様子を一緒に見に出かけたという。若い佐々田も次第に菜津子を大切に思い始め、彼女をイジメや恋人から守ろうともしたが、そもそも過去を変えてはいけないのがタイムスリップものの鉄則だ。
「僕もハインライン『夏への扉』とか、タイムスリップ小説は一通り読みましたが、一応お約束は意識しつつ、菜津子と再会した佐々田には、救いと絶望が両方ないとおかしいと思った。タイムスリップさえすれば万事OKなんて、いくら絵空事でも甘すぎますから」
話を聞き終え、奈々は若い佐々田と菜津子の〈違う形の幸せ〉を期待したが、富谷はむしろ現世に残った佐々田のことを案じてしまう。〈その日々よりも、それを取り上げられた後の寂しさの大きさを思ってしまうんだ〉と。
「僕も二度と取り戻せないものを見に行くだけなら、その方が絶望的だと思う。その絶望と菜津子に再会できた喜びの、どちらが上回るとか相殺するとかではなく、両方ずっしり残る人生を彼は生きなきゃならないし、老佐々田にもまだやれることはあるというのが、僕なりにタイムスリップものを更新した答えでした。
今思うと、僕の一貫したテーマは成長と喪失だった気がしていて、夢見たのにそうなれなかったもう一人の自分というのも、一種の喪失ですよね。ただし今の自分にも必ず希望や存在意義はあるし、歳を取ってからの悲しみというのは若い頃の比ではない分、臆面のなさが自分や誰かを救ってもくれている気はします」
老いらくの恋、不倫等々、傍目からはどう映ろうと、恋する男の妄想はとどまるところを知らない。それでいて女性をここまで愛せる姿が眩しくもある、究極の純愛、いや、女好き小説である。□
●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光
(週刊ポスト2016年7.15号より)
初出:P+D MAGAZINE(2016/07/29)