【池上彰と学ぶ日本の総理SELECT】総理のプロフィール
池上彰が、歴代の総理大臣について詳しく紹介する連載の5回目。デフレを脱し、現代とよく似ているとも言える一時代を築いた財政の天才、高橋是清について解説します。
第5回
第20代内閣総理大臣
高橋是清 1854年(安政1)~1936年(昭和11)
Data 高橋是清
生没年 1854年(安政1)閏7月27日~1936年(昭和11)2月26日
総理任期 1921年(大正10)11月13日~22年(大正11)6月12日
通算日数 212日
所属政党 立憲政友会
出生地 東京都港区芝大門(旧江戸芝中門前町)
出身校 ヘボン塾・大学南校
歴任大臣 大蔵大臣・農商務大臣など
墓 所 東京都府中市の多磨霊園
総理になるまで七転び八起きのまさに「だるま」!
渡米した際、奴隷となるなど、高橋是清の前半生は数奇に満ちたものでした。日本銀行入行とともに財政家としての手腕を発揮し、日露戦争の外債募集でも大きな業績を上げています。通算7期におよぶ大蔵大臣在任時には、大胆な経済政策で、大正から昭和初期の深刻な経済危機を何度も救いました。2度目の蔵相時には、暗殺された原敬の後任に推されて総理に就任します。総理辞任後も蔵相を歴任しますが、最後は軍事予算をめぐって軍部と対立し、二・二六事件で反乱軍に襲われ、命を落としました。
高橋是清はどんな政治家か 池上流3つのポイント
1 財政の天才
1929年(昭和4)に発生した世界恐慌の影響で日本が大不況にあえいでいた1931年(昭和6年)に大蔵大臣に就任した高橋是清は、金輸出再禁止、紙幣の金貨兌換停止を断行します。これで円安を導いて輸出を増大させ、公共投資の予算も増額。有効需要を創出することで景気を回復させました。また、日本で初めて財源確保のための赤字国債を発行します。従来の発想にとらわれない政策で、経済危機を救いました。
2 数奇な前半生
13歳で渡米した高橋は、留学のつもりが労働を強いられる羽目になり苦労しました。帰国後は現地で身に付けた語学力を生かして教員になりますが、放蕩生活がたたって辞職。その後、さまざまな職を転々とします。また、ペルーの銀山経営などに手を出して多額の借金を負い、一時は信用の置けない「山師」と噂されたこともありました。
3 二・二六事件で殺害される
高橋の積極的経済政策によって景気は回復の兆しを見せましたが、しだいに歳入以上に歳出が増加、特に軍事費が膨張し、財政危機を迎えます。インフレの悪化を防ぐため高橋は軍事予算を縮小しますが、軍部の一部に敵視され、二・二六事件で殺害されてしまいます。事件を起こした陸軍の青年将校たちは、政府の重臣たちを排除して天皇親政をめざしており、高橋もそのひとりとして狙われた経緯がありました。
高橋是清の名言
決して自分のサラリーと他人のサラリーを
比較するようなことをするな。
― 境遇の比較が不平を生み、不平がその人の生涯を不幸に陥れる原因である。『随想録』より
己を空しうして国家のために尽くすという
精神に至っては、私は決して人後に落ちぬ。
― 山本権兵衛から大蔵大臣就任を依頼されたときの返答
党利党略のため、功を急いではならぬ。
国家のために正しいと信ずる道を歩むことを
忘れてはならない。
― 1929年(昭和4)、浜口雄幸内閣の蔵相に就任して金解禁をやると告げた井上準之助を諭した言葉
人間力
◆ 英語力が武器だった
社交好きで人好きな性格に加え、英語が堪能だったことから、ジェイコブ・シフら欧米の金融家や政治家と、劣等感を持つことなく対等に渡り合い、交流した。こうした欧米とのつながりが高橋是清の国際感覚を育て、特許・著作権に関する法令の制定や外債募集などをやり遂げている。
◆大蔵大臣としての力
頼まれると断われない性格から、大蔵大臣を7度、総理大臣を1度引き受けた高橋是清。与党政友会の総裁でありながら、党内事情に不案内で、リーダーシップを発揮できなかった。しかし、「ほかに能がないから経済問題をやる」と言って、蔵相として、モラトリアム(債務の猶予)をはじめ、金解禁を改めて金輸出再禁止といった政策を実行し、経済を何度も立て直した。
◆ 軍部にも怯まず
晩年にも蔵相を務めた高橋は、「大国に列する国家においては、相当する軍備が必要」とする軍部と、予算編成をめぐって何度も対立する。しかしそのつど、みずから陸軍へ向かうなどして国情を論理的に説き、「これ以上は到底出せない」と突っぱねている。高橋の死後、歴代の蔵相は軍部の求めるままに国債を発行し、軍事費を調達し、第2次世界大戦へ向かった。
日本銀行本店本館
東京都中央区日本橋
重要文化財
高橋是清が建築所事務主任としてみずから建設に携わり、1896年(明治29)に完成。高橋は、1911年(明治44)から1913年(大正2)には、総裁を務めた。
(「池上彰と学ぶ日本の総理21」より)
初出:P+D MAGAZINE(2017/08/11)