芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第25回】時代を画するということ
芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第25回目は石原慎太郎の『太陽の季節』について。新しい若者たちを、批判と共感をこめて描いたヒット作を解説します。
【今回の作品】石原慎太郎『太陽の季節』 反倫理的な内容が社会的な議論を巻き起こした作品
反倫理的な内容が社会的な議論を巻き起こした、石原慎太郎『太陽の季節』について
石原慎太郎は長く都知事をつとめていました。東京にお住まいの方なら、その名も風貌もご存じだろうと思います。都知事になる前は長く衆議院議員をつとめ、環境庁(現・環境省)長官や運輸省(現・国土交通省)の大臣になったこともあります。ぼくは大学で文学史の講座ももっているのですが、学生たちは都知事としての石原慎太郎のことはよく知っています。けれども、彼が有名な作家だと語ると、みんなびっくりします。
まあ、芥川賞を受賞したのが、1955年(昭和30年)のことですから、いまから半世紀前どころか、60年近い昔ということになるわけですね。石原慎太郎が政治家になったのはぼくが高校生の時(1968年)で、参議院の全国区で300万票を超える票を得て当選しました。全国区という区分けはなくなりましたから、国会議員の得票数では、これが空前絶後の最高記録といっていいでしょう。
政治家としてのデビューから、半世紀近い年月が流れているのですから、この人が歴史に残る政治家であることは間違いないのですが、それでも石原慎太郎とは何ものかと問われれば、多くの人が「作家」だと答えるだろうと思います。彼はまぎれもない作家であり、しかも時代を画する若手作家として出現しました。何しろ『太陽の季節』というそのデビュー作はただちに映画化され、「太陽族」という流行語を生み出したばかりでなく、デビューの時に短いスポーツ刈りにしていたその髪型が「慎太郎刈り」と呼ばれ、理容店のメニューに加えられたくらい、石原慎太郎は知らぬ者のない有名人だったのです。
ついでに言えば、映画化された時に現場で若者言葉やファッションの指導にあたったのは、慎太郎の弟の裕次郎という若者でした。実は慎太郎さんは弟の行状を批判的に書いて小説として発表したので、アドバイザーとしては弟の方が適していると、映画のプロデューサーに進言したのです。それが縁で裕次郎は映画に脇役として出演したのですが、次の作品からは主役になり、またたく間に日本を代表する映画スターになりました。
慎太郎・裕次郎の石原兄弟の出現は、日本の歴史にとっても、一大事件であったといっても過言ではないでしょう。
新しい若者たちを、批判と共感をこめて描く
作品そのものは、やや乱暴で一本気な若者の、リアルな生き方を描いた、典型的な青春小説といっていいでしょう。文体がいくぶん古くさくてきっちりしているところと、素材の新しさのミスマッチが、当時としては新鮮だったのかもしれません。その内容なのですが、いまの世の中から見れば、それほど刺激的でもない、自分勝手な若者の生態を描いたものなのですが、終戦からまだあまり年月の経過していない時期の、全体に貧しく封建的な風潮が残っている時代の大人たちにとっては、主人公の生き方に許しがたい非道徳を感じたということなのでしょうか。
石原慎太郎自身は、一橋大学の学生で、たぶんまじめな生活を送っていたのだと思います。弟の裕次郎が自由奔放に遊びまくっているのを、ある時期には苦々しく感じていたこともあったのではないかと思います。しかしそこには、前の時代にはなかった自由さと、新しさがありました。さらにそこには大人たちに挑戦するような、既存の道徳をぶっ壊すような過激さがありました。そうした新しい若者たちの生態を、批判と共感をこめて描き出したのが、この『太陽の季節』という作品です。
時代を画するとは、こういうことを言うのでしょう。長い芥川賞の歴史の中でも、これほど画期的な作品はなかったのではないかと思います。ドラッグと乱交を描いた村上龍の作品も、ピアスの穴を開けまくる金原ひとみの作品も、新しさと過激さはもっていましたが、すでに時代は何でもありの状態になっていましたから、格別の目新しさはなかったと思います。石原慎太郎の時代は、終戦直後から、その後の高度成長時代への過渡期であり、まさに時代の変わり目であったと思われます。
時代の変わり目を見つめる
では、石原慎太郎は単に幸運な時代に生まれ合わせただけなのか。そうではありません。同時代には多くの若者がいて、小説を書こうとしている若者も少なくなかったと思います。ただ石原慎太郎だけが、その大きな時代の変わり目を予感し、文学という形で表現することができたのは、着眼点の鋭さがあったからでしょう。
そこで三田誠広から皆さんに、小説を書く上での、重大なヒントを提示することにしましょう。実はいまも、大きな時代の変わり目だと、ぼくは感じています。石原慎太郎が戦後の衰退期から次の高度経済成長期への時代の変わり目にいたのだとしたら、皆さんは、もしかしたらもっと大きな時代の変わり目にいるのです。それは第二の高度経済成長が始まるということでしょうか。ぼくは経済学者ではないので断定はできませんが、これからはむしろ、長大な停滞期か、もしかしたら急速な経済の衰退が始まるのかもしれません。
先のことはしばらく経ってからでないとわからないのですが、皆さんの生活の中に、何かが壊れ始めているのではないかという気配、その不気味な予兆のようなものが感じられるのだとしたら、それは次の時代を予言する大発見なのかもしれないのです。皆さんの日常生活をしっかりと見つめてください。現実を凝視してください。目の前に、新しい文学の素材が、きらきらと輝いているのではないでしょうか。
初出:P+D MAGAZINE(2017/08/10)