中上健次『異族』―足かけ9年の連載・ついに完結しなかった大作
「担当編集者だけが知っている中上健次」の9回目。1984年、文芸誌「群像」に連載開始された『異族』は壮大な長編作品として、足かけ9年にわたり連載されたものの、ついに完結を見なかった中上健次の遺作のひとつです。当時、「群像」編集部で『異族』を担当した三木卓氏が、中上健次との熱い日々を語ります。
未完の大作『異族』誕生秘話
中上健次電子全集第18巻に収録された『異族』は、『鰐の聖域』『熱風』『大洪水』とならび、中上の早世によって未完のまま遺作となった作品の一つで、1984年から1992年まで、足かけ9年にわたり「群像」に連載された中上にとって最長の作品。残り原稿用紙にしてわずか百枚足らずのところで完成を見なかったのです。
「路地」に生を受けたタツヤ、在日韓国人二世のシム、アイヌモシリのウタリなど胸に青アザ(旧満州国の地図に擬せられる)を持つ複数の登場人物が、右翼の大物に導かれ、満州国再興のミッションを携えて、東京-沖縄(石垣島)-台湾-フィリピン(ダバオ)と転々とアジアの南に舞台を移しながら物語を増殖させる……“異族”たちの壮大な物語です。
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1991年8月、熊野本宮大社にて(撮影・三島正)
「担当編集者だけが知っている中上健次」(9)
『異族』のころ
三木卓
中上健次さんを担当したのは1984年6月「群像」編集部に配属されてから1990年5月に別の編集部に異動するまでの6年間という短い期間だ。先輩の編集者から引き継いで群像に掲載していた小説『異族』の原稿をもらうために中上さんとの日々が始まった。初めて会ったのは彼がまだ37歳の時だったといま改めて知り、驚いている。日に焼けた丸くて大きなあばた顔の奥から細い目が覗き、笑うとその目がさらに小さくなった。ごつごつとした逞しい指といつくものたばこの根性焼きの痕がある太い拳。文学への強烈な自負心が生む近寄りがたさとその合間に見せる人懐っこい笑顔が魅力だった。
毎月締め切りぎりぎりの連載原稿をもらうために月の10日間以上中上さんと会っていた。仕事を終えて夜中、一人家で布団に潜り込み本を読んでいると中上さんから電話がかかってくる。
「お前、いま何やってるんだ」「本を読んでます」「これから出てこい」「ええ」と嫌がると「お前、そんなこと言ってると今月の原稿書かないぞ」そんな呼び出しの電話がかかってきて、タクシーをつかまえて新宿に行く。その頃は新宿2丁目によく行った。そして朝、あるいは時には昼ごろまで飲む。
他の作家や編集者に囲まれている時もあったし、二人きりの時も多かった。どんな話をしていたのか、正直もはやよく覚えていない。しかも、あれだけ長い時間、夜毎、中上さんは文学を延々と語り続け飽きることがなかった。その圧倒的な熱量を酔った意識と体でただただ浴びていた。
「お前には、おれが毎日どんな夢を見るか想像もできないだろう」と語る中上さんは創造者の特権性を誇示してもいたし、誰にも理解されない過剰なものを抱えた孤独を感じさせた。原稿締め切りギリギリの時期に約束の時間に、新宿十二社にあった仕事場に行くとドアに「出かける」とノートの切れ端が貼ってある。真夜中の新宿2丁目の出入りしそうな店を一軒一軒尋ねては、扉を押し開き、「中上さんいませんか」と尋ね歩く。散々探し回った挙句、場末のゲーム喫茶のだれもいない薄暗い2階の奥のテーブルの上に百円玉をいっぱい広げてインベーダーゲームを一心不乱にしている中上さんを見つけると、悪びれた様子は全くなく屈託のない笑顔で、おう、と応える。
文学が彼に降りてくるのをひたすら待っていたのだろうということが今ならわかる。原稿を書き始めると尋常ではないスピードで集計用紙の細い罫線の間に隙間なく独特の字形で丁寧に文字が書き連ねられる。空白も改行もなく文字が埋められて行く。呪文、あるいは経文のような不可思議な力が手書きの文字に封印され、静かに漲っていた。その原稿が活字となり、近代的な行程を経て小説という形で読者に届くのだが、中上文学に読者が感じているのは、彼の太いゴツゴツとした指と根性焼きの刻印された手に握られた細字の愛用の万年筆を通して降ろされ、文字として封印された何かではないだろうか。
毎月いくつもの連載小説や原稿を抱えながら、夜な夜な新宿の街を徘徊し、自分を持て余しているかのように酒を飲み、文壇バーで文学や政治を果し合いのような気迫で議論し、中上さんは待っていたのではないだろうか。
釣った魚を放り込んだままにしたために後部のトランクルームから腐った魚の匂いがするムスタングを運転しながら、「今月はダメだ。書けない」と熊野で珍しく弱音を吐いたり、「マル金玉霊園」といういまは無きわけのわからない店で日韓問題を理屈っぽく語ったらすかさず「ふさげんな」と蹴りを入れてきたり、ビートたけしの義弟が出る鈴鹿のレースの応援に遅れそうだと暴走族上がりの弟分が運転する車でもはや追い越しというより反対車線を逆走しながらレース開始時間にすれすれで滑り込んだり。内側から溢れては止まらない荒ぶるエネルギーに身をまかせ、一人孤独に待っていたのではないだろうか。
酒に酔い電話でいろんな人を呼び出して、そして突っかかっていた。無難に生きようとする私たちの姿勢に我慢ならなかったのではないか。当時の私は自分の感覚としては毎月の半分以上の時間を彼と過ごすぎりぎりの日々がきつくなってきて、やがて『異族』の原稿は止まってしまった。
『異族』は「路地」が消滅した後、アジアへと向かって広がって行く異族たちの壮大な物語だった。連載中、一緒にモロ解放戦線とゲリラ戦を繰り広げているミンダナオ島に出かけたり、マニラで戦後ジャングルに逃げた日系フィリピン人に会いに行ったり、日本最西端の島与那国島をバイクで走り回った。
その間も中上さんは絶えず語り続けた。そして文壇から遠く離れた地ではお茶目だった気がする。まだ30代後半から40代の若さだったのだ。
彼から原稿をもらわなくなってしばらく経ってから「群像」編集部を離れた。彼が他の編集部でちゃんとやっていけるのか心配していると人伝てに聞いて笑った。その後の自分をいま振り返ると別の意味で笑い、中上さんの顔を思い出す。最後に中上さんに会ったのは、若くして亡くなった作家・李良枝さんの告別式の場だった。抗がん剤をうちながら闘病生活を続けている病院を抜け出し参列していた。久しぶりに会う中上さんは毛が抜け、やせ細っていたが、顔つきには気力が充実していた。鼻水が覗いたのでハンカチを渡し、目と目でしっかり見つめ合い、握手をして別れた。
いつも待たされて心配ばかりしていたが、一度だけ中上さんを待たせてハラハラさせたことがある。原稿を書いてもらうために缶詰にしたセブ島から帰国する最後の日に、明け方まで遊んで宿に戻ってくるとロビーで中上さんが待っていた。「馬鹿野郎、どこに行ってたんだ、心配しただろ」と怒鳴りつけられた。頭も小突かれたと思う。
『異族』は後任の後輩の編集者が中上さんから原稿をもらうようになって再開した。しかし未完となってしまった。
細い目がさら細くなる中上さんの最後の笑顔に、文学の神に選ばれし者の栄光と苦悩が重なっている。
合掌
プロフィール
三木卓
Takashi Miki
東京大学文学部卒、講談社入社後、「Hot Dog Press」「群像」「小説現代」編集部、デジタル事業等を経て2015年退社。円地文子、吉行淳之介、阿川弘之、河野多惠子、小田実、井上ひさし、柄谷行人、中沢けい、北方謙三、伊集院静などを担当。「群像」編集部在籍中にインドにてOSHOの弟子になる。現在、自然ネエルギー発電事業や貨幣改革プロジェクトに関わる。
おわりに
中上健次の遺作の一つ『異族』を担当し、月の半分以上の時間を中上と過ごしていたような感覚だった三木氏が、今振り返る中上文学、そして中上健次へ思いはいかがでしたか?
『異族』、そして最後の完結作品となり、後に映画化された『軽蔑』等の作品は中上健次電子全集第18回巻『未完の中上ワールド――開かれた終焉へ』に収録されています。
中上健次 電子全集18『未完の中上ワールド――開かれた終焉へ』
中上文学の終焉。“運命の男女”の愛を描き映画化もされた『軽蔑』、アジアへと増幅する長大な未完作『異族』を収録。
『軽蔑』は完結した中上最後の小説。死の前月(1992年7月)に刊行され、2011年廣木隆一監督、高良健吾、鈴木杏の共演で映画化された。風俗店の踊り子・真知子と地方の資産家の息子で暴走族上がりの放蕩児カズさん。「これから高飛びだぜ」の一言で運命の扉を開く二人だが、カズの背負い込んだギャンブルによる多額の借金で田舎での暮らしは破綻、「男と女、五分と五分」の関係はカズの死であっけなく終幕を迎える。『鳳仙花』以来の二度目の新聞連載小説だった。
『異族』は著者にとって最長の作品、残り百枚足らずのところで完成を見なかった。「路地」に生を受けたタツヤ、在日韓国人二世のシム、アイヌモシリのウタリなど胸に青アザ(旧満州国の地図に擬せられる)を持つ複数の登場人物が、右翼の大物に導かれ、満州国再興のミッションを携えて、東京-沖縄(石垣島)-台湾-フィリピン(ダバオ)と転々とアジアの南に舞台を移しながら物語を増殖させる……。
なお、『青い朝顔』はフランスの出版社の依頼で書いた短篇で、作家の死後間もなくして発見された。
初出:P+D MAGAZINE(2017/10/23)