江戸と明治の狭間を描く旅日記『福島の絹商人、文明開化と出会う 明治六年の旅日記』
明治6年、福島のひとりの商家の若旦那がお伊勢参りの旅に出ます。そこで目にしたものは、江戸時代の色を残しつつ、文明開化に賑わう江戸時代と明治時代の端境期にある日本の姿でした。
福島の絹商人、文明開化と出会う 明治六年の旅日記
高橋兼助・著
高橋歌子・訳
カネジュウ
2,000円+税
電子版
小学館
1,800円+税
江戸と明治の狭間を描く旅日記
明治6(1873)年、福島の絹商店の若旦那がお伊勢参りに出かけます。
その行程は、日光、筑波山、鹿島神宮を経て東京に入り、横浜、箱根、岡崎、名古屋を通り、伊勢神宮に参拝します。そこで素直に帰るのかと思えば、さらに西へ奈良、高野山を巡って堺、大阪に到り、そこから瀬戸内海の船旅を楽しみ、岩国まで足を伸ばします。なんと131日に及ぶ大旅行です。
その旅の一部始終を描いたのが、この旅日記です。いわば、明治時代の一大日本観光案内書の体裁になっています。そこには近世江戸時代から近代明治時代に変わろうとする日本の姿が、見事に描写されています。
著者は旅日記の中で、様々な出費を細かく記録しています。さすが商人というところでしょうか。その中で目を引くのが、橋を渡るたびに取られる橋賃、いわゆる通行料です。様々なところに関所を設けて通行を制限していた江戸時代の名残りがこの頃には色濃く残っていたということでしょう。そして駕籠や船などに乗ると運賃のほかに酒代といってチップを払います。現代の日本人が海外旅行をすると、チップなどのシステムに頭を悩ませますが、この時代の日本人にはごく普通のことだったようです。いずれにしても、何かとお金のかかる時代だったようですね。
ちなみにそれらの明細は1両、1朱、1文と江戸時代の単位で記されています。円、銭という新貨幣制度は明治3~4年にかけて施行され、速やかに普及したことになっていますが、庶民の間では相変わらず古い単位のほうが馴染みやすかったのでしょうか。
また、若旦那の一行は、福島で有志の神楽料をあずかり代表してお伊勢参りをする伊勢多々講という形をとって参拝しています。この神楽料を直接伊勢神宮に奉納することなく、西山治郎という御師に託します。御師とは、伊勢神宮などの神宮、神社に参詣者を案内し、参詣・宿泊の世話をする中下級神職です。この御師の制度も明治政府は2年前の明治4年に廃止しています。
逆に、新時代を感じさせるエピソードとしては、岡崎城を訪れたとき城が壊されてしまって残念がっていた話があります。これは明治6年に明治政府から廃城令が出され、江戸時代の象徴である城郭を壊し始めたためですが、家康縁の岡崎城は真っ先に標的にされたのでしょう。
また、瀬戸内海の船旅は蒸気船を使っています。これは、新時代ならではのクルーズだったのでしょう。
明治6年は、日本で西暦が使われ始めた年でもあります。まさに近代の扉が開かれようというときの日本中を旅したこの日記は、貴重な史料といえるのではないでしょうか。
初出:P+D MAGAZINE(2018/01/26)