黒野伸一『国会議員基礎テスト』インタビュー! 政治家にも資格試験を!
最近ワイドショーでも一番お騒がせなのが政治家。こんなんでいいのか! というこみ上げる怒りを独自のユーモアでくるんで問題提起する黒野伸一さんの『国会議員基礎テスト』。2月15日の発刊に合わせて、読みどころをたっぷりと聞いてみました。18歳以上の有権者も、将来に不安のある若者も、まちがいなくいろいろ考えさせられます!
テーマが誕生した背景は?
――ダイエット小説(『女子は、一日にしてならず』)から村おこし小説(『限界集落株式会社』)まで、黒野さんはこれまでも幅広い分野をすくい上げて小説にしてきました。ただ、政治エンタテインメントとなると、今回が初めてですよね?
黒野 はい。もともと『限界集落株式会社』も既存作とは少々毛色が違っていて、デビュー作以来の担当編集者が異動になり、掲載誌のターゲット層が30代以上の男性に変わったんですね。
そこで今までと方向性の違う『限界集落株式会社』を書いてみました。地域再生を題材にした経済小説です。30代以上の男性は、ダイエットより経済とか政治の話のほうが好きですからね。
脱稿後、編集者たちと飲んでいたら、政治の話になって、当時は野々村竜太郎県議の号泣会見もあったりして、政治家不信が取り沙汰されていましたから「国会議員にも、資格試験を導入したほうがいいんじゃないか」って盛り上がって。
そしたら編集長が「おお、それ行きましょう」って。「えっ、何を行くんですか」って聞き返したくらい、こっちは単なる冗談のつもりだったんだけど(笑)。
――なるほど~。すると本書は、その酒場の冗談から生まれた?
黒野 まあ、率直に言えば、そういうことになります。
ただ、よくよく考えると、これがなかなかに奥の深いテーマではないでしょうか。
例えば日本国憲法では主権在民ということになっていますから、一番上に国民がいて、国民のすぐ下に間接民主主義で選ばれた国会議員(立法)がいて、その下に国会議員に選ばれた内閣総理大臣(行政)、さらにその下に内閣総理大臣に指名された最高裁判事(司法)がいます。
最も下位の裁判官になるための司法試験が最も難しく、下から2番目の官僚にも国家公務員試験という難関があるのに、国会議員には何の試験もない……。
下に行けば行くほど難関だなんて、なんだか歪だと思いませんか?
――言われてみれば、確かにそうです。
黒野 みなさんは今の日本社会に生きていて、民主主義をちゃんと実感してますか?
一般の日本人が家庭より長い時間を過ごす会社のトップが、世襲で決まることが今も多い。世襲とはバロックの専制政治みたいに、ルイ14世の次は15世、次は16世・・・・・・というものです。その王様が有能で優しいならまだしも、とんでもない暴君が「オレが白と言ったら、黒いものも白と言え!」と下々を隷属させ、搾取する場合だってある。いわゆるブラック企業です。サービス残業をさせられ、深夜まで働く社員が、民主主義を実感できるかといったら、できないでしょう?
例えば私が子供の頃は、尊属殺人というのがあった。ある人が自分の父親を殺した場合、赤の他人を殺した時よりも罪が重くなるという法律です。とはいえ日本国憲法第14条ではすべての国民は法のもとに平等だと言っていますから、そんなのおかしいと、最高裁が違憲判決を下し、尊属殺人も普通の殺人も同じ罪になったんです。
でもそれってよく考えるとヘンでしょ? 一番下にいる裁判官が、国民の次にエラい立法府の決めたことに異議を申し立て、これまでの決まりを覆すなんて、民主主義的整合性を保てないじゃないですか?
そこで国民審査という制度が生まれ、皆さんには衆院選の時にダメだと思う最高裁判事に×をつける権利を与えます、彼らが悪さをしないようにきちんと監視して下さいというんだけど、実際は殆どの国民が彼らの名前さえ知らない。
でも、そうしないと民主主義の整合性は保てない、という歪な状態が続いている。
――そこで『国会議員基礎テスト』なんですね。
黒野 ええ。全国民に受けさせるのは無理としても、せめて国会議員が資格試験に通っていれば、国民も今みたいに彼らを馬鹿にしないだろうと。いちおうは試験を通ったエリートで、民主主義や法律のことも理解しているはずだとなれば、少しは事態が改善するんじゃないかという発想でした。
――主な登場人物は、3人ですね。祖父の代から栃木県X区を地盤とするイケメン衆議〈黒部優太郎〉33歳と、彼の政策秘書で元官僚の〈橋本繁〉44歳。そして大卒後に就職した食品会社が産地偽装問題で傾き、実家の父親の勧めで地元・黒部事務所の第2秘書の職を得た〈杉本真菜〉24歳の目線で、物語は進行します。
幼稚園から某有名私立に通い、大学卒業後は総合商社に入社。NY支店に勤務した後、糖尿病を悪化させた与党・自由民権党議員の父親の地盤を継いだ優太郎は、女性誌にもたびたび登場するほど、顔も人も育ちもいい独身の三代目です。
かたや地方の国立大出身で、キャリア官僚として先が見えていた矢先、与党の大物議員から優太郎の政策秘書にスカウトされた橋本は、頭こそ切れるものの、社会への不満や劣等感を抱えた妻子持ちと、2人の人物造形は極めて対照的です。
黒野 エンタテインメントは、やはり2項対立が一番わかりやすいじゃないですか。
1人はいかにも世間や苦労を知らない三代目のボンボン、1人は18歳の時に東大に入れたかどうかだけで人生が決まるなんておかしいと考える苦労人で、自分に厳しい分、他人や国民にも厳しいのが、この橋本なんですね。
彼は本当に優秀な人間がトップダウンで国政を担い、お前らは何もわかってないんだからオレについて来いという国家主権型政治を理想とし、ある方法で優太郎を失脚させた後、自分が立候補して後釜に座る。政治見識や学力を問う基礎テストを全国会議員に受けさせることを義務化する、通称〈国会議員基礎テスト法〉の法制化をめざします。
一方優太郎はアホでこそないけれど、周囲に甘やかされて育ち、大学までエスカレーターで上がったから学力はあまりないし、世間も知らない。そんなわけである事件をきっかけに議員辞職を余儀なくされるんですけど、その後は仕事がないからブラックな介護施設で働いたり、世間の荒波に揉まれるわけですよ。
ただ、彼はもともと性格が抜群にいいし、根が優しい。議員辞職を契機に社会のことを真剣に考えるようになり、オトナになった。それまで自分は境遇に恵まれていただけで、この国には格差とか少子高齢化とか、こんなにいろんな問題があるんだと、初めて社会正義に目覚めるわけです。
そして彼は彼なりに介護の現場やNPOで頑張るんだけど、やはりこの社会が根本から変わらなければ限界があるということで、友人の勧めもあり、もう一度、今度は自分の意志で国会議員に立候補する。
でも橋本も優太郎も同じ選挙区だから、仮に読者が有権者だとしたらどっちを選ぶんだと、その選択肢を提示したわけです。超トップダウン型でエリート志向の橋本か、優太郎のような草の根政治家か、今の小選挙区制ではどちらか一方を選ばなくちゃいけないわけで、その2つに1つの選択を、読者に真剣に考えてもらう話にしたかったんです。
――それこそ当初は脇が甘く、女性スキャンダルをすっぱ抜かれたダメダメな三代目と、彼を陥れた冷徹な策略家という図式が、橋本が議員になり、優太郎が失職して以降、双方の命運が紆余曲折を経ることで、読者側の感情移入の対象や人物評もダイナミックに変化していきます。
黒野 まあ優太郎の場合は女にだらしないというより、女性から勝手に言い寄られちゃうんですよ。
かたや橋本もエラそうではあるけど、筋は通っているんです。自分に甘く、国民に厳しい与党議員〈渥美正治〉と違って、人に厳しい分、自分も厳しく律しますということですから。その2人がやがて格好のライバルとして並び立ち、連載時には、栃木X区で一騎打ちになる形で終わった。ラストとしては静かすぎるなと考えて、実はこれ、本にする段階で大幅に加筆しているんです。
――自由民権党の古参議員・渥美も交えた、終盤の三つ巴戦ですね?
黒野 ええ。それまでチャランポランだった優太郎と頭の固い橋本。最終的には世のため人のために働こうとするこの2人の外側に、第3の対立軸を置く必要がありました。つまり社会のためではなく、自分の利益や権力のために働く政治家・渥美です。
民主主義は結局<権力の分散>ですよね
――そんな2人の変化の格好の観察者である真菜は、最初は優太郎の地元秘書、そして彼の失脚後は橋本の秘書に請われ、最終的には橋本の下を去って優太郎の許に戻ります。一流大学を出ながら就職で苦労した彼女自身、優太郎と橋本のどちらがこの国をよくする政治家なのかと、2人の間近にいながら悩み、その等身大な心の揺れが、本作における価値観の揺れとも繋がっています。
黒野 結局、政治に100%正解ってないんじゃないですか。民主主義自体、ベストというよりベターな選択でしかなく、どんな人間も良い面と悪い面が必ずある以上、「この人さえ選んでおけば絶対大丈夫」なんて政治家はいるはずもない。
民主主義自体が性悪説から始まっていると私は思っていて、もし性善説が成立するなら、優秀なロケットマンが1人いて、きちんと国を動かせば、そこは地上の楽園になっているはずでしょ? ――ところが現実は真逆。
だから1人に権力を集中させるのは怖いってことで民主主義が生まれ、最近では18歳以上にまで参加の機会は広がりつつある。要は人を信用していないんですね。少人数で権力を独占すれば、必ず人間は堕落する。だから三権分立など、なるべく権力を分散させるシステムを作って、相互監視するというのが、民主主義の根本だと思います。
――その点、白熱するのが、橋本と真菜が民主主義について議論する場面です。
橋本は声高に訴えます。〈国民が望んでいるのは、国家権力を監視することじゃない。住みよい平和な社会を作ってくれるリーダーの存在だよ〉〈国民の中に、民主主義とは何かをわかっている人間が、いったいどれだけいると思う? 選挙をやれば、テレビに出ていたあの人に投票しようと、安易に決める。社会が不安定になり、生活が苦しくなれば、政治が悪いと一方的にまくしたてる。国民全員が主体性を持って立ち上がるのが民主主義なのに、すべてあなた任せ、政治任せだ〉〈ナポレオン三世を見ろ。民主的な選挙で大統領に任命されたが、後にクーデターを起こして皇帝となった。ヒトラーだって、選挙で選ばれたんだ〉〈日本だって人気があって長期政権を支えた歴代の首相は皆、独裁者タイプだった〉〈国民は良き独裁者を、待ち望んでいるんだ〉と。
黒野 私も若い頃はわからなかったです。民主主義とは何かなんて。
実は本書を書くにあたって、戦後間もない頃に当時の文部省が書いた文書をいくつか読んでみたんですけど、家庭でも学校でも民主主義を機能させなきゃダメだとか、この国には民主主義が必要なんだみたいなことがやたらに書いてありました。ところが、実際の学校や家庭には民主主義なんてなかったんです。一応戦後世代の私たちが未成年の頃は「子どもは黙って大人に従え」とか、「意見は年長者の言うことを聞いてから言え。百年早い!」とか、そんな教育しか受けてませんからね。二十歳になって「はい選挙権です。どうぞ自分の意見を表明してください。民主主義ですから」っていきなり言われてもね(苦笑)。
――その点、橋本の指摘は正論とも言えて、真菜は反発を覚えながらも、反論はできずにいます。一方、優太郎が民主主義について直接語ることはないものの、介護の現場で職員たちの疲弊を目の当たりにし、経営者が富を搾取し、心身ともに疲れ果てた職員を使い捨てにする、ブラック企業や格差社会の現実を知るに至って、これはどうにかしなければと、国政の場に再び打って出る。
黒野 優太郎はまあ、今ある問題を少しでもよくしたいと努力する社会活動家であり、一種の理想家でもあって、間接民主主義の盲点や制度的なことはよくわからないけど、目の前の、この人を何とかして助けたい、と思っている。
それはイコール政治でしょ? 政治というのは社会や国民のことを真剣に考え、問題解決する営みのこと。そうした志は一般の国会議員にもあるんでしょうけど、権力やカネにまみれるうちに、とかく初心が失われがちになるようですね。
われわれ国民だってそうですよ。長い間生きているうちに、社会の澱もさんざん見てきて「しょうがないこともあるんだよな、大人の世界には」って、安易に引いちゃったりする。実は全然しょうがなくなくて、頑張れば変えられることもあるかもしれないのに、そんなの無理だからってすぐ諦めちゃう。
そこを「そんなのおかしい、しかたなくなんてない」と言って行動できるのが若い人たちで、特に終盤で登場する〈中原裕翔〉みたいな若者には、個人的にも物凄く期待している部分がある。日本の将来を悲観的に分析・予測した『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(河合雅司著 講談社現代新書 17年6月刊)がベストセラーになりましたけど、18歳の真面目な高校生があれを読んだら真っ青になって、何とかしなくちゃと思っても不思議じゃないと思うんですね。年金問題も国債の乱発も、このまま大人たちの勝手を許したら日本はダメになる、自分たちもちゃんと勉強して、意見を言おうぜって。
これは非常に歓迎すべきことで、ぜひ頑張って欲しいと思うし、われわれ大人だって、良いと思ったことはやればいいんですよ。グチグチ理屈を並べていても変わらないことが、何かを始めることで変わるかもしれないんだから。
日本の将来を変える真剣な若者が出てきてほしい
――ネット上のマンパワーや情報収集力を味方につけ、件の衆院選でも大きなカギを握るこの高校3年生・中原裕翔クンには、誰か具体的なモデルが?
黒野 いえ。完全に想像上の人物です。こういう若者が現れてほしいな、って願望。しかし、今の若い有権者の動向を実際に取材すると、彼らの大半は保守的なんです。彼らは子供の頃に民主党政権が失敗したのを見ているから、その反動もあるんだろうけど。
しかも今は景気がいいらしい(苦笑)。実感は全然ないけど、株価は上がってるし、人手不足も手伝って新卒はたいてい正社員に就ける。就職氷河期と言われた時代もあったのに「オレたち運がいいじゃん、誰のおかげ? 安倍さん? だったら自民党でいいじゃん」って、そういう流れでしょうね。
でも例の新書じゃないけど、日本の未来を長期的に見れば大変なことになるのは目に見えているわけで、今の時代によく若者をやってるな、大丈夫かって、われわれ世代から見れば気の毒になるようなご時世ですからね。
――その氷河期世代が介護の現場には数多くおり、心身ともに傷ついて離職を余儀なくされる一方、本書には過疎が進む〈つくね村〉に移り住んで独自のコミュニティーを作り、農業や無農薬レストランを開いて地元の人々と共生する〈KAZUYA〉こと村山和也ら、いわゆる意識高い系の若者集団も登場します。
優太郎はひょんなことから彼らの存在を知り、つくね村に滞在して農作業や老人の介護を手伝う様子が、かつて彼が失脚する一因にもなった人気番組「TVバスター」で放送される。同番組のディレクター〈須藤〉は橋本の高校の同級生でもあり、優太郎はその番組で基礎テストを不意打ちで受けさせられ、出演者中、1人だけ落第点を取って信用を落としますが、その農村潜入特番では彼の飾らない人柄や誠意あふれる言動が視聴者を魅了し、大きな評判を呼びます。
黒野 須藤としては、かつて辞職に追い込まれた優太郎が、泥にまみれて奮闘し、インテリの和也たちにイジられる様子を面白おかしく撮れば、視聴率が稼げるという魂胆だったんですけどね。
ところが優太郎が心底いいヤツで、介護や気遣いもできるから、結果は逆に出た。頭でっかちな和也とも徐々に歩み寄り、村人と打ち解ける過程を丸ごと追った、意外にも感動的なドキュメンタリーができあがったんです。おかげでつくね村は注目を浴び、観光客や移住者も増えて、視聴率至上主義者だった須藤自身、村人に感謝されることで、テレビマンとしての原点に戻る。
要は優太郎にそれだけ徳があったわけだけど、基本的にこの世は諸行無常で、人の見え方なんていつ変わってもおかしくないから、ああコイツ、いいヤツだな、好きかもって思える瞬間が、登場人物の誰に関しても見つかる書き方をしました。あのエリート然としてプライドの高い橋本が、あれっ、結構いいヤツじゃんって思えたりする場面とか。
――以前、黒野さんは本書に登場するブラックな介護施設〈ペリカンホーム〉のように、現場の働き手から搾取し、利益を独占する経営者が、やっぱり富はある程度正当に分配しないとマズいと気づけるかどうかは、感性の問題だと掘り下げていました。そして人々の感性に直接働きかけられるのが、小説でもあると。
黒野 確かに言ったかもしれませんね。
キミの夢を叶えようとか何とか、甘い言葉で若者を洗脳し、こき使えるだけ使って、儲けは全部自分の懐っていう人間が、現実にいるわけですよ。使われる側はたまたま就職氷河期世代に生まれて、でもやるからには精一杯やろう、人の役に立とうと思って頑張ってるのに、結局は搾取されて心身を壊してしまう。
政治はやはり良い人間がやるべきだと思います。理想を言えば、徳を持った国民が、徳を持った人間を選び、政治献金も見返りや利益誘導を求めるんじゃなく、世のため人のために使って下さいという〈浄財〉として出せば、より成熟した間接民主主義が実現するんじゃないですか。
もちろん現実的に考えれば非常に難しい。だから少しでも政治家が襟を正し、覚悟をもって国政を担うために、橋本は国会議員基礎テストを考えたわけです。反対派はペーパーテストなんかで議員を選んでいいのかという。でも優太郎もこの法案には賛成していて、試験の出来不出来だけで政治家の技量を測れるはずがないとしても、テストはあってもいいと思っている。なぜならそれが綱紀粛正に繋がり、政界全体が引き締まるからで、今みたいに本会議で居眠りしたりスマホを弄ったり、くだらない不倫疑惑や失言で刺される議員も少なくなるだろうと。つまり単に試験で満点を取ったからエライとかではなく、真剣に勉強し、政治に取り組むこと自体に、意味があるんです。
――号泣県議や不倫議員、または新幹線のグリーン席がタダでラッキーなどとブログやツイッターに書いて叩かれた若手チルドレン議員など、本書には現実のモデルが一目でわかる問題議員や不祥事が多数登場します。
黒野 本筋とは多少ズレたとしても、この法案を橋本に考えさせた背景として、確かにこういうヤツ、いた、いたと思える、現実に即した人物や事件を備忘録的に入れてみたんです。
ところが書き終えた直後ですよ。豊田真由子元議員の「このハゲ~!」発言とか、森友・加計問題とか、とんでもない事件が明るみに出て、そうか、甘かったか、現実の方がはるかに激しいんだなと、書き手としては軽く敗北感を覚えたほどです(苦笑)。
――本書では、冒頭の〈問一 政治とはなにか〉に始まって、政治や民主主義に関する基礎知識や蘊蓄が、第一章「基礎編」から終章「実践編」までの各段落の頭にQ&A形式でまとめられ、これを一通り読むことで読者自身のレベルアップも図れる仕掛けが施されています。
黒野 私は何気なく「政治とはなにか」と書き出しただけなんですけど、編集者が「いいですね、このスタイルで通しましょう」と、小見出し的に設問を配してくれて。ただそれだと物語が進めにくいので、私はドラマを書く、彼は設問と答えをまとめるというふうに、それぞれ独立したペースで分業に徹しました。
さっきも触れましたが、結局、政治家のレベルを決めるのは選ぶ側、つまり国民です。彼らのレベルが低ければ、それはそのまま有権者のレベルが低いということでしかなく、問題議員がこれだけ続出しているのも、お任せ民主主義の上に胡坐をかく、われわれ国民のせいなんです。
実際問題、国会議員が自分たちの首を絞めるような国会議員基礎テスト法の法制化に動くなんて、あり得ない絵空事だとは思う。ただ、理論的には誰か言い出す人間がいてもいいんじゃないか、誰もが国政そっちのけで選挙のことだけ考えていていいのかって、これはそこから始まった小説でした。
もちろん作中でもいろんな意見はあって、総論賛成、各論反対みたいな形になっているのも、政治に正解はなく、その上で議論を重ねたり揉めたりしながら、より良い方向へ進むしかないからで、主権在民を謳う以上、その国民が負うべき責任について、読者がそれぞれに考えていただければ、私もこの小説を書いた甲斐があります。
黒野伸一(くろの しんいち)
1959年、神奈川県出身。2006年、「ア・ハッピーファミリー」(『坂本ミキ、14歳。』として小学館文庫に収録)で「きらら」文学賞を受賞しデビュー。11年刊行の『限界集落株式会社』がNHKでドラマ化され大ヒットした。その他の著書に『万寿子さんの庭』など多数。
初出:P+D MAGAZINE(2018/02/12)