芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第55回】芥川賞の黄金期

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第55回目は、開高健『裸の王様』について。打算と虚栄に満ちた社会を鋭く風刺した作品を解説します。

【今回の作品】
開高健裸の王様』 打算と虚栄に満ちた社会を鋭く風刺した作品

打算と虚栄に満ちた社会を鋭く風刺した、開高健『裸の王様』について

開高健といえば寿屋(現サントリー)、というイメージが年輩の人にはあるのだろうと思います。いきなりこんなことを言っても若い人には何のことかわからないでしょうが。どうでもいいことですが、いまぼくは寝酒に毎日、トリス・エクストラというウィスキーを飲んでいます。これ、オールドよりも角よりも安い酒ですから、まあ、チープなウィスキーといっていいでしょう。でも値段の割にはマイルドな感じで、ぼくは気に入っています。昔のトリスは、もっときつい飲み味で、安い酒の代表でした。このトリスの宣伝を、イラストレーターの柳原良平と組んで大ヒットさせたのが開高健なのです。開高健は当時の寿屋の宣伝部社員でした。

開高健の2年ほど前に、石原慎太郎が『太陽の季節』で芥川賞を受賞してベストセラーとなりました。一橋大学の学生だった若手作家の出現は、マスコミでも喧伝されて、それで「芥川賞」そのものが有名になったのですが、この芥川賞の人気を決定づけたのが、『裸の王様』の受賞でした。でもこの時、本当に話題になっていたのは、東大在学中の大江健三郎の『死者の奢り』も候補になっていたことでしょう。世間はむしろ、石原に続く新しい学生作家の登場を期待していたのかもしれません。とはいえ、開高もまだ二十代の若手で前評判も高く、大江か、開高かで、選考前からおおいに盛り上がっていました。

私小説とは一線を画した文体

実際に選考会でも激戦となりました。最後には多数決で、わずか一票差で開高健の受賞となったのですが、次の芥川賞は大江が『飼育』で受賞し、大江、石原、開高の三人が若手作家トリオとして人気を呼ぶことになります。この頃が、芥川賞の最初の黄金期といっていいでしょう。ところで、石原、大江という学生作家に対して、開高健ってどんな人?ということで、開高健の職業が話題になりました。トリスのコマーシャルは誰でも知っていたので、その人気のコマーシャルを作ったのが開高健だということで、本人だけでなく、寿屋も話題になり、トリスの売り上げも伸びたそうです。宣伝マンとしては、たいへんな貢献をしたことになります。

広告宣伝の仕事から出発した開高健は、日本の私小説や社会小説に共通した、やや湿った感じの文体とは一線を画した、ハードボイルドみたいな文章だといわれました。実際に開高健はヘミングウェイに傾倒していて、晩年は作品を書かずに釣りばかりしていたようです。ベトナム戦争のルポルタージュなど、行動する作家としても知られていて、小田実とともにベトナム反戦運動のリーダー的な存在でした。この芥川賞受賞作は、のちの開高健の活躍からすれば、小さくまとまった佳品ですが、それでも新人賞としては充分の力量を示した小説です。

芥川賞の選考基準を変えた作品

小学生のための画塾を開いている若い画家が主人公です。彼には子どもの隠された能力を開かせるための、美術指導の理念のようなものがあります。ここには、小学校などで展開されている型にはまった教育に対する批判もありますし、画家としての自分の存在を確かめる自己主張の面もあると思われますが、いまから見るとこの人物の、自分の信念を疑わない正義の味方みたいな立ち位置が、ややひとりよがりに感じられるのは、いまという時代がそれだけ成熟し、何が正義か見えにくくなっているという事情もあるのでしょう。終戦からまだ年月のたっていない時代には、シンプルな正義感というものが、素直に信じられていたのかもしれません。

主人公のもとに通ってくるようになった、引きこもり状態の小学生が、大手画材メーカの社長の息子で、やがてその小学生が描いた「裸の王様」の絵をめぐって、ドラマチックな展開があるという話の造りは、かなり図式的なものです。その通俗性を指摘して、これは純文学ではないと主張する委員もいたのですが、それはこの頃までの芥川賞が、やや閉鎖的な純文学の殻に閉じこもっていたからで、これ以後、選考の基準はどんどん拡げられていくことになります。その結果、地味な私小説的な作品よりも、話題性のあるやや通俗的な作品の方が高く評価されるようになりました。これはテレビや週刊誌の発達で、マスコミというものが肥大化していったことと相関しているように思われます。その意味でも開高健の受賞は時代を画するものだったといえるでしょう。

選考委員のほとんどがこの作品を高く評価しています。反対意見の人も、大江の方が上だと言っているだけで、開高の作品を否定しているわけではないのです。
二十代でデビューした大江、石原、開高はまさに黄金の世代というべき人々です。同じ世代から、三十代でデビューした高橋和巳、小田実、五木寛之、さらに四十代で台頭した「内向の世代」と呼ばれる作家たちが出現して、日本文学は大いに盛り上がることになります。中学生くらいの多感な時期に終戦を体験し、古い儒教的な道徳に対してアメリカ的な自由主義が押し寄せてくるという、価値観が大きく揺れ動いた時期に青春時代を過ごした世代ですから、書くべきテーマがたくさんあったということではないでしょうか。

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初出:P+D MAGAZINE(2018/11/08)

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