「愛と笑い」のランゲージアーティスト「イチハラヒロコ」とは?

ランゲージアーティストとして活動する「イチハラヒロコ」をご存知ですか? 胸に刺さるような「ことば」が作品になっています。今回は魅力的な「ことば」の作品を制作しているイチハラヒロコの書籍について紹介します。

イチハラヒロコとは?

1963年京都生まれ。1983年京都芸術短期大学(現・京都造形芸術大学)のヴィジュアルデザインコース専攻科を修了。1998年にイギリス・ノーリッチのショッピングセンターや、オランダのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館のショップで 、「万引きするで」と書かれた紙バッグを配布するというユニークな活動から国際的に話題になりました。
1999年には大阪の布忍ぬのせ神社などで「イチハラヒロコ 恋みくじプロジェクト」が始まり、現在も続いています。
最近では、2017年の京都国際映画祭のオフィシャルアート作品の認定を受け、「ことばアートタクシー」という、イチハラヒロコが選んだ16作品でラッピングされたタクシーが2台、京都の町を走る、というプロジェクトも行われました。
国内でも国外でも活躍しており、まさに注目すべき現代アーティストです。
また布忍神社の恋みくじはGoogleアプリ「アドバイスが欲しい篇」でも紹介されています。このCMを見たことがある人もいるのではないでしょうか。

イチハラヒロコの作品は、太字のゴシック体で作られており、そのストレートな言葉遣いが目に飛び込んでくる迫力があります。
「愛と笑い」がテーマとなっていて、愛しく、切なくそしてクスッと笑えるようなものばかりです。また 、展覧会での展示だけでなく、絆創膏やマスキングテープ、クリアファイルなどの日用品も作品にしており、日常でアートに触れることのできるグッズも販売しています。

“恋する美術だ。”

『この人ゴミを押しわけて、はやく来やがれ、王子さま。』株式会社三修社

ichihara_syoei01

https://www.amazon.co.jp/dp/4384024797

今作は、1999年に出版されたイチハラヒロコ初の作品集です。
タイトルの『この人ゴミを押しわけて、早く来やがれ、王子さま』という言葉からは、女性の理想の相手として喩えられる「王子さま」に来やがれとまで言ってしまう芯の強さが感じられます。しかし、この言葉の裏には「王子さま」を待って待って、待ち続けたかのようなの切ないストーリーが浮かび上がってくるのです。
以下に、掲載されている作品を紹介します。

夢のような日々でした。鬼のようなひとでした。

この作品からは何が感じ取れるでしょうか?「夢のような日々」を「鬼のようなひと」と過ごすことはできないように思えます。それらは対照的なもののように感じますが、同時に存在することもあるということに気がつかせてくれる言葉です。この人は鬼のようだけれど、わたしとなら夢のような日々を過ごすことができる。その日々を成り立たせていたのは愛なのではないでしょうか。

つまらない男になったね。

恋人と別れて、その何年後かにその人と再会した女性の物語が浮かんできます。自分と付き合っていた時は素敵だったけれど、今は別の女の人のものになってしまった彼……。今でも前のように、もしくは前よりももっと素敵だけれど、もう自分のその人ではない。そんなように自分が思うのも嫌で、皮肉で言った「つまらない男になったね。」あえてシニカルなこと言ってしまわないと自分を守れない。そのような経験をした方もいるのではないでしょうか。

若さの終わり。

若さの終わり、女性が思わず目を背けたくなるようなことばです。女性は男女平等やフェミニズムが浸透する現代社会でも「若さ」が終わってしまうことと戦っています。若い頃は美人だったのよ、などという言葉も度々聞かれますが、その年齢ならではの美しさだってもちろんあるはずです。そうは言っても、女性は「若さ」に取り憑かれがちですが、イチハラヒロコの作品はそんなことを撥ね除けるような力強さを持っています。

“もめごと好き?”

『雨の夜にカサもささずにトレンチコートのえりを立ててバラの花を抱えて青春の影を歌いながら「悪かった。やっぱり俺…。」って言ってむかえに来てほしい。』株式会社三修社

ichihara_shoei2

https://www.amazon.co.jp/dp/4384029306

2007年に出版された二作目の作品集です。イチハラヒロコがファンだというミュージシャンの吉川晃司さん、写真家のハービー・山口さんとの3人の対談を収録しています。対談の中ではイチハラヒロコのアートに対する思いが赤裸々に語られています。

“わたしも「おんなじ作家は二人いらない」って先生に言われました。大学に入ったときに、人の真似ばっかりやってたんですよ。アンディ・ウォーホールを見たら、「ウォーホールかっこいいな」って思って作った作品がウォーホール。「ああ、ホックニーいいな」と思って作ったらホックニーで。そしたら「ホックニーは二人いらない」って言われて…”

美大に通っていた学生時代にイチハラヒロコが経験したアーティストならではのエピソードを知ることができます。

大学行って一人前。

就職したら一人前。

結婚したら一人前。

子供ができて一人前。

どこまで行けば何人前。

そもそもお前は何人前

私たちは普段このような思いを抱えて生きているかと思います。大学に行ったら就職して、就職したら、結婚をして。そして、結婚をしたら子供を産んで。どこまでいってもずっと達成されることのない「目標」に縛られて生きているのです。ですが、普段の私たちはそれを言葉に出しません。これが当たり前のことだと思ってやり過ごしています。それを文字に、言葉にして伝えることをしようとしていないのです。大学や就職、結婚がこのようでなければならないなどと決めているのは一体誰なのでしょうか。

“いい日にしよう。”

『王子さまが来てくれたのに、留守にしていてすみません。』株式会社三修社

ichihara_shoei03

https://www.amazon.co.jp/dp/438404772X

2018年に出版された3冊目の作品集です。本の最後では2000年代に入ってからのイチハラヒロコが行なった個展や彼女の作品の写真を見ることができます。自分も過ごしていた平成という時代に日々新しいことをしようとするアーティストがいるという新しい発見をすることができます。1冊目のタイトルである『この人ゴミを押しわけて、はやく来やがれ、王子さま。』に対し、今作では王子さまが来てくれたのに留守にしてしまったというお茶目な可愛らしさがあります。

くよくよしようじゃありませんか

こう言われることは度々あります。「いつまでもくよくよするんじゃありません」。
その日から悲しくても、寂しくても、くよくよせずに我慢するようになります。好きな人に振られても受験に失敗しても、仕事がうまくいかなくても、くよくよしないように努めます。でも、いつもはそうではなくても、たまにはくよくよしてみませんか。悲しかったり辛かったりする気持ちを主張して、くよくよしてもいいのだと思います。

ふりだしにも戻れない。

この言葉からは別れることになった男女の物語が浮かんできます。死ぬほど愛し合い、傷つき合いすぎてしまったことで、もう友人にも、初めてあった時の知り合いの知り合いという状態にも戻れないのです。片方はまだ続けたいけれどもう片方はもう終わりにしたいと思っている、そんな光景が目に浮かんできます。

おわりに

イチハラヒロコの作品である「ことば」は今までの凝りかたまっていた自分の価値観を壊してくれるような強いインパクトがあります。詩でもなく広告でもないイチハラヒロコのことばのアートに触れて感じることや、思い出す出来事はひとそれぞれです。そしてこれらの言葉に対する解釈はどんなものでもいいのだと思います。昔付き合っていた人に対してのやるせなさや、今の自分の状況に感じるぴったりの「ことば」を、これらの本の中で見つけることができるかもしれません。それはきっと、あなただけの宝物のような「ことば」になることでしょう。

初出:P+D MAGAZINE(2019/01/31)

ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第六回 「越年越冬闘争」の現場から
滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第5話 鳴きまね名人①