【映画『愛がなんだ』原作ほか】胸がぎゅっと苦しくなる、角田光代の恋愛小説4選

映画『愛がなんだ』が若い世代を中心に大きな支持を集めています。原作は、恋愛小説の名手・角田光代の同名小説。今回は『愛がなんだ』を中心に、角田光代の作品の中から珠玉の恋愛小説を4作品ご紹介します。

2019年4月に公開された映画、「愛がなんだ」が若い女性を中心に大きな支持を集め、ヒットを記録しています。
この映画の原作は、第132回直木賞を『対岸の彼女』で受賞した作家・角田光代による同名の恋愛小説。大好きな相手の恋人になれない切なさを、濃密な描写と圧倒的なリアリティで描いた名作です。

角田光代は『愛がなんだ』のほかにも、珠玉の恋愛小説を数多く発表しています。今回は彼女の作品群の中から、読んでいて思わず胸が苦しくなってしまうような切なくも美しい恋愛小説を、4作品選んでご紹介します。

愛でも恋でもない激情の行く末は? ──『愛がなんだ』

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出典:https://www.amazon.co.jp/dp/404372604X/

映画『愛がなんだ』の原作は、角田光代が2003年に発表した同名の長編恋愛小説。28歳のOL・テルコが出版社勤務の“マモちゃん”ことマモルという男性に夢中になり、自分の生活や仕事を投げうってでも彼と一緒にいたいと奮闘する物語です。

共通の知人との飲み会でマモちゃんに出会ったテルコは、デートを重ねるうちに彼に強い恋愛感情を抱くようになっていました。惰性で交際を続けていた男性との関係も清算し、これでマモちゃんの恋人になれると確信したテルコですが、マモちゃんは決してテルコに「付き合おう」とは言ってくれません。しかしテルコは、マモちゃんに気まぐれに呼び出されると、たとえそれが深夜でも食事中でも構わずにマモちゃんの家に駆けつけてしまいます。

しだいにマモちゃんへの気持ちで生活がままならなくなり、遅刻や居眠りを繰り返した結果、仕事もクビになってしまうテルコ。友人の葉子はテルコに「そんな男に熱を上げるのはやめろ」と忠告しますが、テルコは内心でこう思います。

言いなりになる、とか、相手がつけあがる、とか、関係性、とか、葉子はよく口にするが、それらは彼女の独特な人間関係観、もしくは恋愛観である、と、私は思っているので、えへへ、と曖昧に笑う。私のなかに言いなりだのつけあがるだのという言葉は、存在しない。存在するのはただ、好きである、と、好きでない、ということのみだ。

テルコは時が経つにつれ、マモちゃんへの片思いの成就を願うことをやめ、“マモちゃんの平穏を祈りながら、しかしずっとそばにはりついていたい”と考えるようになっていきます。マモちゃんに関すること以外のすべてを“どうでもいい”と捉え、マモちゃんを中心にした世界を生きるテルコの姿は痛々しいものの、どこか突き抜けて爽やかでもあるのです。

自分には絶対に振り向いてくれない相手に翻弄され、叶わぬ恋に人生を狂わされた経験のある方なら、決して他人事とは思えない作品であることは間違いありません。

「めんどくさい」女の、等身大の恋愛遍歴──『あしたはうんと遠くへいこう』

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『あしたはうんと遠くへいこう』は、栗原泉という女性の17歳から32歳までの人生を、彼女の“恋愛”を中心に描いた長編小説です。

洋楽ロック好きの泉が17歳で初めて恋をしたのは、同級生の修三。泉は洋楽ロックを詰め合わせたカセットテープを自ら編集し、「深夜に部屋の真ん中に突っ立って、目を閉じて爆音でこれを聞いてほしい」というメッセージとともに修三に渡しますが、おニャン子クラブのファンであった修三からは「あいつこえーよ」と一蹴されてしまいます。

最初の恋に破れたあとも、泉はひとつ歳をとるたびに誰かに片思いをし、相手に熱烈なアプローチをしては失恋、を繰り返していきます。好きな男性に認められたい一心でアイルランド一周の旅に出たり、トライアスロンに挑戦したり、はたまたドラッグに手を出したりしてしまう泉は、『愛がなんだ』のテルコと同様、恋愛なしでは生きていけない人間なのです。

泉は、

だれかを好きだという気持ちの出所はいったいどこだ。

と自問自答を繰り返しながらも、がむしゃらに恋をする日々を送り続けます。一途で泥臭い泉の姿はどこか滑稽でありつつも、それ以上に人間らしく、とても魅力的です。

「ふられる」でつながる男女の連作短編──『くまちゃん』

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『くまちゃん』は、7組のカップルの出会いと別れを描いた連作短編小説です。第1話にあたる「くまちゃん」では、苑子という20代の女性と、いつでもくまのTシャツを着ていることから苑子に“くまちゃん”と呼ばれている、英之という男性との恋愛が描かれます。

苑子は、就職してすぐの年に大学時代の仲間と開催した花見で、どこからかふらりとやってきて飲み会の輪に混ざったミステリアスな男・英之に惹かれます。英之は苑子の家に入り浸るようになり、自然とふたりは交際を始めるようになります。

苑子にとって、最後に恋人がいたのは大学時代。交際時、恋人には自分以外に好きな女性がいると気づいていた苑子は、その女性のことを「刺したい」と思うほど憎んでいました。
しかし、出会ったばかりの英之と暮らす日々の中で、苑子は誰にも嫉妬せずに相手を「好きだ」と思えることを愛おしく思うようになります。

くまちゃんがどのような人間であるか、よくわかってはないのだが、少なくともその数日、駆け引きじみたことをしなくてもよかった。ほかの女の子と自分を比べなくてもよかった。(中略)この男の子を好きだ、と思うとき、何もそれを邪魔することなく、好きだ、と思うことができた。それはだれか別の人を嫌いだ、という意味にはなりそうもなかった。

苑子は英之に夢中になりますが、英之が突如逃げるように苑子の部屋を出ていったことで、ふたりの恋はほんの数ヶ月で破局を迎えてしまうのでした。

そして、「くまちゃん」の次の章にあたる「アイドル」では、そんな英之が初めて本気で恋をした女性・ゆりえとの日々が描かれます。英之はやがてゆりえに振られ、ふたりの恋も終わりを迎えますが、その次の章ではゆりえと別の男性との恋愛が描かれるのです。

“ふる”、“ふられる”でつながる男女の関係が次々と描写されるこの作品集。読み続けていると、まるで自分が本当に失恋をしたかのようなヒリヒリとした気持ちにさせられてしまいます。パンチのある作品を読みたいときにおすすめしたい、中毒性たっぷりの1冊です。

大好きな人と本を共有するということ──『彼と私の本棚』

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『彼と私の本棚』収録/出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4101058245/

最後にご紹介する『彼と私の本棚』は、“本”をテーマにした短編集『さがしもの』の中の1編です。

主人公の「私」は、お歳暮の仕分けの短期アルバイトで出会った男性・ハナケンと恋に落ちます。ハナケンと「私」の最大の共通点は、本の好みが驚くほどに近いということでした。

ハナケンのアパートの本棚は私の本棚みたいだった。さしこまれたほとんどの本に見覚えがあった。私の本の好みはめちゃくちゃで、ミステリと近代文学と詩集と、哲学本と宗教本とサブカルチャー本と、現代小説とアメリカ文学と紀行本とが、順不同に並んでいる。ハナケンの本棚もまるきり同じだった。

やがて彼とともに暮らすようになった「私」は、2倍に増えた本を収納するための新しい本棚を買います。ふたりの生活は順調そのものでしたが、交際から数年が経ったある日、「私」は唐突に「好きな人ができた」と告げられ、ハナケンに別れてほしいと言われるのでした。

彼が去ったあとの部屋で呆然と本棚の整理をしながら、「私」はふと考えます。

だれかを好きになって、好きになって別れるって、こういうことなんだとはじめて知る。本棚を共有するようなこと。たがいの本を交換し、隅々まで読んでおんなじ光景を記憶すること。記憶も本もごちゃまぜになって一体化しているのに、それを無理矢理引き離すようなこと。

この独白に、強い共感を覚える読書家の方は多いのではないでしょうか。本作はとても短い作品ながらも、読後に切ない余韻を残す極上の恋愛小説です。

おわりに

角田光代が描く恋愛小説の主人公の多くは、恋愛をすると相手のことばかり考えてしまい、日常生活がままならなくなるような“恋愛至上主義”の女性たちです。中には、そんな女性たちの振る舞いを「怖い」あるいは「気持ち悪い」と感じる方もいるかもしれません。

しかし、たった一度の恋を全力で謳歌しようと必死にもがく主人公たちの姿には、誰かに本気の恋をしたことがある人であれば、少なからず心を打たれてしまうはず。話題の『愛がなんだ』をきっかけに角田作品に興味を持った方も、ぜひ、今回ご紹介した珠玉の作品たちに手を伸ばしてみてください。

初出:P+D MAGAZINE(2019/06/06)

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