【著者インタビュー】柴崎友香『待ち遠しい』/どこか嚙み合わない、3人の女性たちの「近所づきあい」
年齢も境遇も違う3人の女性たちの、どこか噛み合わないながらも温かい人間関係を描く長編。「同じことを喋っているつもりでも生じてしまうズレをきちんと言葉にして伝える試みを、小説の形でやってみたかった」と著者は語ります。
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
世代も性格も異なる3人のどこか噛み合わない「近所づきあい」を描く日常が愛おしくなる長篇
『待ち遠しい』
1600円+税
毎日新聞出版
装丁/大久保伸子 装画/大久保つぐみ
柴崎友香
●しばさき・ともか 1973年大阪生まれ。2000年に前年発表の「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」を含む『きょうのできごと』でデビュー。04年行定勲監督で映画化もされる。07年『その街の今は』で藝術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞、咲くやこの花賞。10年『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞(18年に映画化)。14年『春の庭』で芥川賞。151㌢、A型。「背が低いほうなので、電車の網棚ってこう使うんやとか、背丈の違う友達といるだけで世界が開けます(笑い)」。
負の感情も含めて何が噛み合わないのか言葉にし合うのが人と生きるということ
美大のテキスタイル科を卒業し、今は地元・大阪で事務職に就く、〈北川春子〉39歳は、〈ライトグレー〉。
夫の死後、母屋に越してきた大家さんの長女、〈青木ゆかり〉63歳は、〈出汁巻き卵みたいな黄色〉。
裏手の一軒家でゆかりの甥と新婚生活を営む、〈遠藤沙希〉25歳は、〈淡いピンク〉。
年齢も境遇も違う3人が、たまたまその日は某〈低価格カジュアル衣料品店〉で買った同じカーディガンを羽織り、色や着こなし次第で〈全然違う服〉に見える出会いのシーンが秀逸だ。
芥川賞作家・柴崎友香氏の最新作『待ち遠しい』は、庭続きの離れに住む春子と、世話好きなゆかり、いかにも現代っ子な沙希のご近所関係を描く。物理的な近さはやがて心の距離をも縮め、彼女たちはよく夕食を囲む仲になるが、互いの事情までは理解しあえずにいた。
やはり人と人はどこまで行っても、近くて遠い?
*
本作は毎日新聞日曜版に連載され、00年のデビュー作『きょうのできごと』や芥川賞受賞作『春の庭』とも、作風はかなり異なる。
「やはり新聞小説は幅広い読者に読まれるものですし、特に最近は『人のことって聞いてみないとわからないなあ』とか、『自分には当たり前のことでも環境が違うと全然伝わらないんだ』とか、微妙なニュアンスほど言葉にする必要を個人的にも感じることが多くて。
例えば
〈大家さんのお葬式のときにいちばん泣いていた人〉
それが、春子のゆかりに対する最初の印象だった。享年90だった大家さんには、東京に嫁ぎ2人の子供を育てた長女と、大阪に住む次女と三女がいる。中でも人懐こい長女ゆかりは、引っ越しの挨拶に来るなり、お喋りが止まらない。1階に水回り、2階に居間兼台所と洋室がある築50年、室内リフォーム済みのこの物件を、春子は高校の友人〈直美〉の新居を訪ねた際、近所で見つけた。1人暮らし10年目を迎えた今も、住み心地は快適だ。
中庭越しに母屋を望み、掃除機の音が聞こえてくる距離感は、大家がゆかりに変わって、より密になった。春子は直美に〈基本的に、いい人っぽい〉とゆかりの印象を語り、総菜や果物をお裾分けされる関係に戸惑いつつ、悪い気はしない。
「私も上京当初は商店街や近所の人に声をかけられて凄く安心したし、海外にもその手のおばちゃんが必ずいるんですよ。大阪は若干確率が高いだけで(笑い)。
ただし春子自身は将来自分が飴ちゃんを配ったりはできない気がしていて、趣味の〈消しゴムはんこ〉や刺繍に勤しむ1人の時間を大事にしたいタイプ。就職氷河期世代の彼女がどんな職種でもこつこつ働ければいいと思う気持ちもわかるし、そんな彼女が物理的な距離や家の作りに心理状態も影響されるところが、私は面白いなあと思うんです」
ある時、春子はゆかりの夕飯に招かれ、裏手に住む甥〈拓矢〉の妻・沙希を紹介される。一見愛らしい彼女は春子と会うなり、〈一人暮らしですか?〉〈変わってますね〉と言ってのけ、〈手巻き寿司? なんか、子供の誕生日会みたい〉と遠慮がない。拓矢は沙希の「地元の先輩の仲間」らしく、その
人目を気にしても褒める人はいない
そんな中、春子は突然の激痛に襲われ、尿管結石で入院を強いられる。この時、周囲の助けや救急車を呼ぶことすらためらう彼女の
「最近は迷惑をかけちゃいけないという思い込みや刷り込みが年々強くなっている気がします。でもどんな時に救急車を呼んでよく、どこからが迷惑行為なのかも結構曖昧だと思う。
例えば私は昔、ゴスロリ系の服が着たかったのに人目を気にして諦めたことがあるのですが、『あの時、人の言う通りにしてよかったね』なんて褒めてくれる人なんて誰もいない(笑い)。人の忠告もあくまで恣意的な言葉で、考えすぎて何もできないよりは『迷惑』な方がずっといいと、ゴスロリを着られない年齢になって思うんです(笑い)」
鷹揚に見えて、時折縁側で遠くを見つめていたりするゆかりや、女手一つで自分を育てた美貌の母親の教えに縛られる沙希。その母親から〈才能あるんやないですか〉〈うちらとは、ちゃうねえ〉と言われたことで、自らの親の反対を押し切って美大まで出ながら事務職に甘んじる自分をふがいなく思う春子や、ギター片手に世界を飛び回る〈五十嵐〉など、誰もが様々な事情や思いを抱えて生きていた。
「私も些細な違いで壁を作る“同い年”文化で育ったので、もし年上の友達がいたらもっといろんな話が聞けたのにな、とよく思う。この表題も歳をとることを肯定する意味でつけていて、いろんな世代の人と関わって、リッパな〈大阪のおばちゃん〉になるのが、今の私の目標なんです(笑い)」
〈それなりに生活できて、自分の好きなことが少しできたらそれでいい〉と言う春子にも、〈一人で過ごさないといけない時間のために、こうして賑やかにしてたくさん力をもらうの〉と言うゆかりにも各々の生き方があり、誰かと過ごした時間や言葉は自分1人の時間を経由してこそ、糧になった。
「何かを受け止めるまでに時間差があるんですよね。友達の言葉があとになって理解できたり、誰かの悪意に家に帰ってムカついたり。でも怒れるだけマシともいえて、春子のように上司の暴言をその場の空気を優先して聞き流していると自分が何を感じているかもわからなくなりかねない。負の感情も含めて何が噛み合わないのかをきちんと言葉にし合うのが、人と生きるということだと私は思います」
その場合も100%わかり合える保証などどこにもないが、〈違うってことが、わかってなかったのね〉と言って彼女たちが言葉を尽くす時、「違う」は「同じ」より、豊かですらあった。
●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光
(週刊ポスト 2019年7.5号より)
初出:P+D MAGAZINE(2020/01/09)