ドラマ放送中止の大ピンチ!? SNSで炎上していたものとは……? 【連載お仕事小説・第23回】ブラックどんまい! わたし仕事に本気です

燃えるお仕事スピリットが詰まった好評連載、第23回。主人公の七菜(なな)は、いつも仕事に全力投球! ドラマの撮影もいよいよ終盤! テレビ局との最終調整も増え、今まで以上に忙しい日々をおくる七菜のもとに、メイクチーフの愛理から「今すぐツイッターを見て!」と連絡が。そこで炎上していたのは……?

 

【前回までのあらすじ】

インフルエンザの流行により、人手が足りない撮影現場。エキストラ(通行人役)の数が足りず、野次馬の中から人を集めることに。七菜がたまたま声をかけた挙動不審な男性は、変装して七菜の仕事を見守っていた恋人・拓だった!

 

【今回のあらすじ】

ドラマの撮影もいよいよ終盤。頼子の代わりを務める七菜は、テレビ局との最終調整も増え、いままで以上に忙しい毎日をおくっていた。そんなある日、眠りにつこうとした七菜のスマホに、メイクチーフの愛理から連絡が。「今すぐツイッターを見て!」ツイッターの画面を開いた七菜が見たものとは……?

 

【登場人物】

時崎七菜(ときざき なな):テレビドラマ制作会社「アッシュ」のAP(アシスタントプロデューサー)、31歳。広島県出身。24歳で上京してから無我夢中で走り続け、多忙な日々を送っている。

板倉頼子(いたくら よりこ):七菜の勤める制作会社の上司。チーフプロデューサー。包容力があり、腕によりをかけたロケ飯が業界でも名物。

小岩井あすか(こいわい あすか):撮影が進行中のテレビドラマの主演女優。

橘一輝(たちばな いっき):撮影が進行中のテレビドラマの主演俳優。

佐野李生(さの りお):七菜の後輩のAP。26歳で勤務3年目。

平大基(たいら だいき):七菜の後輩のAP。今年4月入社予定の22歳の新人。

野川愛理(のがわ あいり):メイクチーフ。撮影スタッフで一番七菜と親しい。

佐々木拓(ささき たく):七菜の恋人。大手食品メーカーの総務部に勤めている。

上条朱音(かみじょう あかね):ドラマ『半熟たまご』の原作者。数々のベストセラーを持つ小説界の重鎮。教育評論家としても名高い。

岩見耕平(いわみ こうへい):チーフプロデューサー。七菜の上司。

 

【本編はこちらから!】

 

 日々が飛ぶように過ぎてゆく。
 三月の終わりには大寒波も去り、ようやくインフルエンザも収束して撮影は順調に回りだした。
 頼子はまだ現場に戻ってこない。ロケ飯だけが決まった時間にきちんと届けられるだけだ。さすがにスタッフやキャストにも「たんなる肺炎ではないようだ」という空気が流れ始めたが、あえて頼子の病状について尋ねるものはいなかった。
 美味しいロケ飯が毎日届く。それはつまり頼子はチームの一員のままで、いまできる仕事を 精いっぱいやっているということだ。チーム全体がそう捉え、口には出さないものの頼子の戻ってくる日を心待ちにしている気配が七菜にも伝わってきた。
 あの日以来、拓とはLINEで連絡を取り合っている。
「今日は暖かいね」だの「公園の菜の花が綺麗きれいだったよ」だのといった他愛もないやり取りだけだったが、この細い線の向こうには確かに拓がいて、線が切れぬよう大切に握ってくれている。そう思うだけで七菜は気持ちが和らぎ、いで行くのを感じる。
 そうしてついに四月がやってきた。
 放送開始は四月十三日。撮影は残すところあと二話。第十一回と最終話の第十二回だけだ。まさに最後の踏ん張りどころ、諸々の事情で遅れたぶんも取り返さねばならない。ゴールが見えて来ただけに、キャストもスタッフもいままで以上に熱と気合が入っている。
 それはもちろん七菜も同じことで──いや、プロデューサーである七菜の場合、撮影現場だけでなく、音や曲入れといった編集作業と並行して、番組宣伝のためのキャストのスケジュール管理やテレビ局側との最終調整など多岐にわたる仕事を同時にこなさなければならない。仕事に追いまくられ尻を叩かれ、常に息を切らせながら走り回っている状態であった。
 その日も現場のあとスタジオに行き編集を済ませ、事務所に寄って明日の撮影を確認し、必要な連絡事項を各所にメールしてからようやく帰途についた。部屋に戻って時計を見ると、四月三日から四日に日づけが変わって二時間が経っていた。
 もうだめ。一刻も早く寝たい。
 バッグを投げ出し、ベッドに飛び込む。うつぶせの変死体のような有様だったが、すぐに睡魔がやってきた。とろとろとした助走が終わり、本格的な眠りに落ちようとしたとき、バッグに入れたままのスマホが鳴りだした。
 無視しよう。明日の朝いちばんに確認しよう。シーツに顔を伏せたまま、七菜は眠りにしがみつく。だがいっこうにスマホは鳴りやまない。いったん切れても、すぐにまた鳴り始める。
 なんだ、なにがあったというのだ。半分眠ったままの状態で、仕方なく七菜はバッグまでってゆき、スマホを取り出した。ディスプレイにポップアップされた「愛理さん」の文字。七菜は半目でスマホをタップする。
「ふぁい」
「七菜ちゃん!? ツイッター見て!」
 耳をつんざくような愛理の叫び声が聞こえて来た。
「ついったぁ? なんで」
「いいから早く!」
 それだけ言うと愛理は通話を切った。
 なんだこんな時間に。ともすれば落ちてくるまぶたを必死で上げつつ七菜は白い鳥のアイコンをタップする。ディスプレイが切り替わり、ツイッターのトップに澄ました朱音あかねの顔が映し出された。重なって並ぶ文字を目にしたとたん、眠気が一気に吹っ飛んだ。
『小説家、上条かみじょう朱音さんの息子、大麻所持容疑で現行犯逮捕』
 息子? 大麻? 現行犯逮捕!?
 がばりと起き上がり、朱音の顔をタップする。最初にあらわれたのは、NHKのニュースだった。
『三日午後十時頃、東京都みなと六本木ろっぽんぎの路上で、小説家、教育評論家の上条朱音さんの息子、聖人まさと容疑者(三十)が大麻取締法違反の疑いで現行犯逮捕されました。一緒にいた友人の松野まつの武蔵むさし容疑者(四十一)の車から大麻が見つかっており、松野容疑者の自宅で大麻パーティに出たあと帰宅の途中だったと供述しています。聖人容疑者は現在、警視庁麻布あざぶ警察署に身柄を移され、詳しい取り調べを受けているということです』
 大麻パーティに出ていた? あのおとなしそうな聖人が? しかも警察に逮捕されたって──
 七菜の脳裏に、口下手で内向的で、いつもひとの陰に隠れて生きているような聖人の顔が浮かぶ。にわかには信じられない思いで、ディスプレイをスクロールする。深夜にもかかわらず、すでに聖人逮捕の報道を受けてツイッターは大炎上していた。
『マジで。母親ってあのエラソーな小説家だろww #上条朱音 #息子 #大麻逮捕』
『教育評論家ww じぶんの息子をまず教育しろよ #上条朱音 #息子 #大麻逮捕 #教育評論家』
『【悲報】小岩井あすか主演ドラマ『半熟たまご』放映中止決定 #小岩井あすか #半熟たまご #春ドラ』
 大量の蜂がわいたように頭がわぁんと鳴る。心臓がいまにも飛び出しそうに跳ね回る。
 落ち着け、落ち着くんだ。そうじぶんに言い聞かせ、耕平こうへいに電話をかける。二回のコールで耕平が出た。
「い、岩見いわみさん、上条先生の息子さんが」
「おれもいまさっき知ったところだ」
 さすがの耕平も声が乱れている。
「ど、どうしよう。どうしましょう」
「今夜はもう遅い。先生も混乱しているだろう。明日の朝いちばんにアポ取って上条先生のようすを確かめてこい。おれは局に行くから」
「撮影は」
「続行しろ。まだなにも決まっちゃいねぇ。じゃあな」
「あの、まさか放映中止になんてならないですよね」
 切ろうとした耕平にすがりつくように尋ねる。数秒の間。
「……わからねぇ。とりあえずいまは寝ろ」
 音の消えたスマホをぼう然と見下ろす。
 寝ろと言われたって、この状況だ、眠れるわけがない。
 結局一睡もできないまま、七菜は朝を迎えた。
 まだ朝の九時だというのに、朱音のマンション前は報道陣でいっぱいだった。NHKに民放各局、なかには朱音がコメンテーターとしてレギュラー出演している局のカメラもある。
 朱音に指示された通り、七菜は表玄関を通り過ぎ、角を曲がってマンションの地下駐車場に入った。鉄柵の向こうに初老の男性管理人がおり、七菜を認めると黙って鍵を開けてくれた。
「なんなのよ、いったい!」
 応接室に通されるやいなや、朱音が叫んだ。
 七菜は朱音の真向かいに突っ立ったまま、恐るおそる朱音に尋ねる。
「あの……先生、今回のことについてはなにも」
「知らないわ。知ってるわけがないでしょう! そもそもまあちゃんがそんなパーティに出るなんてあり得ないわ! 悪い友だちにだまされたのよ、きっと」
 全身の毛を逆立てたヤマアラシみたいに怒りに身を任せて朱音が言い募る。
「わたしも……信じられません。聖人さんが薬物に手を出すなんて」
「でしょ!? 時崎さんもそう思うわよね」
 朱音が七菜の両肩を掴み、強く揺さぶった。肩に食い込む爪が痛い。
「それで聖人さんご自身はなんて」
「会ってないわ。話もさせてもらえない。まったく警察の馬鹿どもが!」
 忌ま忌ましそうに朱音が吐き捨てた。
「じゃあ聖人さんはいま」
「麻布署の留置場にいるわ。顧問弁護士が接見しているはずだけど」
「弁護士さんから連絡は」
「まだよ。今朝ようやく行ったばかりだもの」
「そうでしたか……」
 七菜はくちびるを噛んだ。母親の朱音ならなにかしら事情を知っているかと思ったが、どうやらなにもわからないらしい。
「いったいなんでこんなことに……」
 朱音がおかっぱ頭を掻きむしる。と、アンティーク調のローボードの上に置かれた電話が鳴り出した。だが朱音はいっこうに動かない。
「先生、あの、電話が」
 これまたアンティーク調の華奢きゃしゃな電話機をちらりと見やる。朱音が強く首を振った。
「出なくていいわ。どうせマスコミよ」
 数回、コール音が響いたあと留守電に切り替わる。メッセージが終わると相手が喋りだした。
「上条先生、朝日新聞の中村なかむらと申します。このたびの件についてひと言コメントをいただきたく、ご連絡差し上げました」
 朝日の記者が喋っているあいだに、今度は朱音のスマホが着信音を上げ始めた。デスクの上のスマホを見ようともせず、これも朱音は無視をする。
 家電いえでんが切れた。と思ったら、今度はチャイムが鳴り出した。一回、二回、三回。いったん切れたものの間をおかず、ふたたびチャイムが連打される。鳴りやまぬスマホの着信音とチャイムに、七菜は追いつめられたようなこころもちになる。
「わたし、出ましょうか?」たまらず申し出たが、
「構わないで。見たでしょう、エントランス。あんなやつらの相手する必要ないわ」切って捨てるように朱音がこたえる。
 血走り、吊り上がった目。握りしめた拳、きだされた歯。全身から激しい怒りの波動が伝わってくる。久しぶりに浴びる朱音の怒りはやはりすさまじく、じぶんに向けてではないとわかっているものの、七菜はついあとじさってしまう。だが逃げるわけにはいかない。ただ騒いでいる外野と違い、七菜はドラマの責任者だ。いってみれば朱音と同じ当事者なのだ。
 まずは落ち着かせなくちゃ。七菜は朱音の肩にそっと手を置いた。
「先生、とりあえずお座りください。ね?」
 ゴブラン織りのソファにいざなうと、めずらしく素直に従った。七菜も対面トイメンに浅く腰かける。ほうっ、朱音が深い息を吐いた。
「それで、時崎さんが来たってことは、ドラマの件よね」
「はい」
「まさか中止なんてことはないわよね」
 朱音の巨大な目がまっすぐに七菜を捉える。
 一瞬いっしゅん、ことばに詰まった。だがすぐに笑みを作る。まだなにも決まっていない。ならばよけ いなことは言うべきではない。
「もちろんです。今日だって撮影はつづいています」
 朱音の視線がわずかに和らいだ。
「よかった。だいじょうぶよ、すぐにまあちゃんは無実だって証明されるわ。だから安心してつづけて頂戴ちょうだい
 頷いたものの、さすがに朱音ほど楽観的にはなれない。あの真面目そうな聖人が薬物に手を出すなんてとうてい信じられないし、信じたくもない。
「きっと悪い友だちが嘘をついて、まあちゃんを巻き込んだのよ。もしかしたらまあちゃんのお金が目的かもしれないわね。まあちゃんは優しい子だから友だちを裏切れなくて、それで」
 さっきと同じような話を延々と繰り返す。七菜相手に話すことで安心したいのかもしれない。その気持ちはわかるけれど、一日じゅう朱音の愚痴につきあっているわけにもいかない。それに。
 まるで小学生の我が子をかばうように「悪い友だちのせい」だの「まあちゃんは騙されている」だのといったもの言いに、七菜はだんだん気持ちの悪さを感じ始めていた。
 聖人は三十歳、しかもNPО法人の理事長を務めている。大の大人であり、社会的立場もある存在だ。いくらなんでも子ども扱いしすぎなのではなかろうか。
 母親にとって、いくら歳を取っても子どもは子ども、という気持ちは理解できる。実際七菜の母親だって、七菜を一人前の大人と認めていないふしがある。けれど朱音のそれは、ちょっと常軌を逸している感が否めない。
 どんどん募ってゆく居心地の悪さに、帰るきっかけを探していると、運よくポケットのスマホが振動し始めた。
「先生、申し訳ありません。電話がかかってきてしまいました」
 ソファから腰を浮かせる。
「いいわよ、ここで話して」
「いえ、そんな失礼なことは。今日はいったん失礼して、また改めて伺います」
 名残なごり惜しそうな朱音に向かい、ぺこりと頭を下げる。
「待って、時崎さん」
「なんでしょうか」
 朱音の目がまっすぐに七菜を捉える。
「忘れていないわよね──最後の最後までちからを尽くし『半熟たまご』を立派に完成させる、あの約束を」
 七菜はごくりと唾を飲み込んだ。
「もちろんです。必ずやり遂げてみせます」
 半分はじぶんに言い聞かせるつもりでこたえた。朱音の表情が、今日初めて緩んだ。
 再度一礼し、ドアノブに手をかける。と、ドア横の壁に掛けられた絵が視界に飛び込んでくる。 いくそう
 手漕てこぎのボートが幾艘いくそうか並んだ湖。樹々に囲まれた静かな湖は、なかばで時空が歪み、ごみバケツや派手な看板がこれでもかと重なる狭い横町に繋がっている。原色を多用した独特の色使い、猥雑わいざつさと繊細さが同居しけ合う、奇妙だけれども個性溢れる世界──
「これ……聖人さんの」
 思わずつぶやくと、朱音が頷いた。
「そう、まあちゃんが描いた絵よ。ちょっと面白いでしょう」
「ちょっとどころか、すごく魅力的です」
「そうね。小さいころから何度も絵画展で賞をもらったわ」
 小鼻を膨らませて朱音が胸を張る。
「プロの画家になれるんじゃないですか、こんなにお上手なら」
 本心から言ったことばだが、朱音は強く首を振った。
「無理よ。プロの画家なんて、そうそう簡単になれるもんじゃないわ。創作者の世界はそりゃ厳しいのよ。あたくしだって散々苦労したし、ちょっとやそっと上手だからってやっていけるわけないのよ。だからまあちゃんはNPO法人の仕事をやっているのがいちばんいいの。それがあの子のためなの」
 寸分のためらいもなく朱音が言い切る。
 朱音の言うことももっともだと思う。この世界に入ってまだ五年だが、七菜自身、芽が出なくて辞めてゆく俳優やアイドル、シナリオライターを幾人も見てきた。でも、聖人の本音はどうなのだろう。画家として生きていきたいと思ったことはないのだろうか。
 一度止んでいたスマホがふたたび震えだした。
「では失礼いたします。近日中に必ずまた」
 丁寧に頭を下げ、部屋を出る。ドアを閉めたとたん、チャイムと電話の鳴りだす音が背後から聞こえてきた。
 朱音のマンションを来たときと同じ方法で出、百メートルほど歩いた道端でスマホを取りだす。履歴に残った耕平の番号をタップする。
「どうだった、先生のようすは」
 耕平も街中にいるらしい。車の通る音や他人の話し声が背後に流れている。
「まだなにもご存じないようでした」
「そうか」
「岩見さん、局のほうは? なんて言われました?」
「会って話そう。事務所に戻っててくれ。おれは……そうだな、三十分もあれば着くと思う」
「はい」
 通話を切り、スマホをしまって七菜は赤坂あかさかの街を歩きだす。

 

【次回予告】

朱音の息子が起こした不祥事ではあるが「子どもの不始末は親の責任」。テレビ局は制作中のドラマの放送中止を決定し、スポンサーも降りてしまう、絶体絶命の事態に……。チーフプロデューサーである七菜は、撮影スタッフに撮影中止の事情を説明することになり……。

〈次回は6月26日頃に更新予定です。〉

プロフィール

中澤日菜子(なかざわ・ひなこ)

1969年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。2013年『お父さんと伊藤さん』で小説家デビュー。同作品は2016年に映画化。他の著書に、ドラマ化された『PTAグランパ!』、『星球』『お願いおむらいす』などがある。

<中澤日菜子の「ブラックどんまい!」連載記事一覧はこちらから>

初出:P+D MAGAZINE(2020/06/19)

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