温泉めぐり、避暑、バカンス……随筆に見る、あの文豪たちの「夏休み」
軽井沢で友人たちと楽しい休暇を過ごした芥川龍之介、温泉めぐりに精を出していた田山花袋、自宅で書けない原稿と格闘していた横光利一……。名だたる文豪たちの“夏”の過ごし方を、彼らの随筆から読み解いてご紹介します。
いまは新型コロナウイルス感染拡大の影響でなかなか訪れることができませんが、旅行シーズンになると、有名な避暑地や温泉地が「文豪ゆかりの地」として紹介されるシーンをよく目にする方は多いのではないでしょうか。文豪たちの夏と聞くと、高原の静かな宿に長期滞在し、悩みながらも執筆に精を出す──というようなイメージを抱く方もいるかもしれません。
今回は、芥川龍之介や室生犀星、萩原朔太郎、田山花袋といった名だたる文豪たちの夏の過ごし方を、彼らの魅力的な随筆とともにご紹介します。思わず羨ましくなるようなバカンスを楽しんでいる文豪から原稿が書けず苦しんでいる文豪の様子まで、個性あふれる人間模様をお楽しみください。
文士たちと軽井沢で夏を過ごした芥川龍之介
文豪・芥川龍之介は大正13年と翌年14年、夏の間のひと月を避暑地・軽井沢で過ごしました。どちらの年も、文士たちに愛された旧軽井沢の名宿・つるや旅館に滞在し、友人であった堀辰雄、室生犀星、萩原朔太郎らとともに夏を楽しんでいます。
軽井沢で過ごした夏のことを記した随筆『軽井沢日記』の中には、滞在中の友人たちとの何気ない会話や訪れた場所、食べたものなどが詳細に書かれています。
八月三日。晴。室生犀星来る。午前四時軽井沢に着せし由。「汽車の中で眠られなくなつてね。麦酒を一本飲んだけれども、やつぱりちょこつしも眠られなくつてね。」と言ふ。今日より舊館の階下の部屋を去り、犀星とともに「離れ」に移る。窓前の池に噴水あり。鬼ぜんまい、葱などの簇れる岩に一條の白を吐けるを見る。縁側に巻煙草を吸ひ居たる犀星、たちまち歌を発して曰く、「噴水と云ふものは小便によく似てゐるものだね。」又曰く、「あんなに出続けに出てゐると、腹か何か痛くなりさうだね。」
八月四日。晴。堀辰雄来る。暮に及んで白雨あり。犀星、辰雄と共に軽井沢ホテルに赴き、久しぶりに西洋風の晩餐を喫す。
──『軽井沢日記』より
噴水を見て「小便に似ている」などと軽口を叩く室生犀星には思わず笑ってしまいますが、友人たちとホテルでアイスクリームを食べたり、散歩をして洋服屋や骨董屋を覗いたり、夜になってようやく随筆『僻見』の原稿を進めたり──と、読んでいて思わず羨ましくなってしまうほど、芥川の軽井沢滞在は充実したものであったようです。大正13年の滞在の際には、同宿していたアイルランド文学の翻訳家である片山広子と信濃追分までドライブに行き、美しい虹を見たという話も残っています。
芥川は随筆『軽井沢にて』の中で、軽井沢で過ごしたふた夏のことを“僕の抒情詩時代”と呼んでいます。2年後の夏に服毒自殺を遂げた芥川にとっては晩年とも呼べる時期でしたが、彼の人生の中ではとても印象的な季節であったことが窺えます。
旅館での花札の最中、嫉妬でヘソを曲げてしまった室生犀星
前述の通り、大正13年と14年のふた夏、芥川龍之介や室生犀星を始めとする文士たちは軽井沢のつるや旅館に集まり、各々執筆をしたり親交を深めたりしていました。
そんな中、室生犀星のよき友人であった萩原朔太郎が、突如“並外れて綺麗”な妹を連れて軽井沢を訪れ、文士たちの友情にひびが入りかける──というちょっとした事件があったのです。そのときのエピソードをご紹介しましょう。
萩原朔太郎君から突然電報が来て、明日そちらに行くといふのである。(中略)萩原は芥川と初対面のやうな気がしてゐる、それでなくとも何度も会つてゐるわけではない、その翌日、萩原はおもひがけなく、一等大きい方の妹さんのゆき子を伴つてゐたが、勿論萩原一人だと思つてゐた僕もちよつと驚いた、さきに何度か会つてゐるので、萩原が出掛けやうとするとわたしも行くといふふうに連れ立つたものらしい、萩原は妹が四人もあつて四人とも並外れて綺麗だつたから、鳥渡女のことで悲観するとすぐ妹をつれ出して歩くといふふうであつた。
──室生犀星『詩人・堀辰雄』より
萩原朔太郎は美人の妹・ゆき子が自慢の存在だったようで、芥川が“君、妹さんは美人だね”と言うと、“人の好いムシ歯を見せてくつくつと笑つた”と犀星は振り返ります。
しかし、ゆき子を前にして上機嫌になっていく芥川とは対照的に、犀星は徐々にイライラしてきてしまうのです。
芥川は上機嫌になつてこれからどこかに、くるまを飛ばさうといつた。そんなことではどこかに平常の遠慮をもつてゐる芥川にくらべ、その日は少しも気を兼ねないで自分でくるまを言ひつけたりした。僕は何だか萩原もその妹まですつかり奪られたやうな気がし出し、やきもちも手伝つておれはいやだといつてことわつた。何故出かけられないのだといつたから、仕事にことよせてやはり頑固にことわつた。
──室生犀星『詩人・堀辰雄』より
“萩原もその妹まですっかり奪われたような”気になった犀星と芥川との間に生まれた微妙な空気は、夕食後に芥川、犀星、萩原、堀辰雄らが集まって花札をしている時間まで続きました。
晩食後に、はな札を引かうと、みんながつるやの奥座敷の芥川の部屋に集まつた。僕は平常とは一本ぶん余計に晩酌をやつて、加はつた。れいの妙なぐあひは花を引いてゐるあひだにも、続いた。それは僕のやきもちもあつたが、芥川の邪魔者は殺せの感じもつうんと、僕をしげきしてゐた。温和しい堀辰雄は真中にゐて、どちらにも快活になれないふうだつた。
ええ、こんなもの、と僕は掴んでゐた花札を、どうにも処置出来ないでそこに叩きつけた、いまから思ふとまだ三十代ではあつたが、よくもあんなことが出来たと恥かしいくらゐであつたが、僕はそのまま立ち上ると、茫然と四人の正坐してゐる姿を上の方から見下ろして、自分の部屋に戻つてしまつた。水をがぶつと飲み、そして寝床で呑む酒をちびちびやつて、
やつと落着いて来た。
──『詩人・堀辰雄』(室生犀星)より
そしてついに、不機嫌がピークに達してしまった犀星は花札の最中、ヘソを曲げて自分の部屋に帰ってしまいます。
しかし実は皆、そんな犀星の様子を気にしてはいたようで、芥川の視点から書かれた随筆『軽井沢の一日』の中では、萩原が途中で犀星の部屋をこっそり見に行った──と記されています。
そのうちにS(※萩原朔太郎)は便所へ行き、かへつて来ると、「今M(※室生犀星)君の部屋を覗いたら、よく寝てゐる」と言つた。「寝てゐても眠つちゃゐないよ」「さうかな」ーーそれから皆花をした。
文豪たちの仲のよさと繊細さ、ユーモアが伝わってくる、なんとも味のあるエピソードです。
温泉マニアだった田山花袋の名湯めぐり
日本の自然主義文学を確立した作家・田山花袋。『蒲団』『田舎教師』といった小説が有名な花袋ですが、実は紀行文の名手でもあることはあまり知られていないのではないでしょうか。
花袋は全国各地さまざまなところに旅した人で、明治期には『日本名勝地誌』という、現在で言う旅行ガイドブックのような本の執筆者のひとりとして参加したり、『温泉めぐり』『温泉周遊』といった日本全国の温泉や景勝地を紹介する随筆本も執筆しています。
そんな花袋のお気に入りだったのが、群馬県の伊香保温泉。季節を問わず温泉旅行に出かけていた彼ですが、伊香保温泉は避暑地としてもしばしば利用していたようです。『草津から伊香保まで』という随筆の中では、夏場に草津の旅宿から伊香保温泉までの“十二三里”(約48km)を歩いて移動したときのことが書かれています。
草津から伊香保まで。其間を一日に歩くつもりで、今朝早く草津の旅宿を発つて来た。暮阪の峠の上には、瀟洒な茶店があつて、其処では老婆がラムネを冷たい水に浸して客を待つて居た。吾妻川の渓は狭く前に展けて、特立した岩山が面白い形をして其所に聳えて居た。
山は少くとも其谷を面白く見せた。霧が晴れたり懸つたりして、時にはその一端が日に照されて美しく輝きわたつた。峠から下りて行く路は、其の岩山の麓をぐるりと廻つて、沢渡の温泉の方へ出て行くやうになつてゐる。
山に凭り渓に架した伊香保の人家が、蜃気楼のやうに向ふに見えた時には、私は思はず
喜悦 の声を挙げた。
──『草津から伊香保まで』より
夏らしい情景描写が美しいのはもちろん、1日かけて山道を歩いた疲れを癒やし、いよいよこれから温泉に入れる──という喜びがこちらにまで伝わってくるような名文です。花袋はその著作の数々の中で、
無論設備は、熱海、箱根、修善寺などには及ばない。女中も気がきいていない。料理も旨いという方には行かない。(中略)ただすぐれているのは温泉だけである。
──『温泉めぐり』より
などと実に辛口かつ正直に景勝地や避暑地を評していますが、どれも実際に自分の足で歩いたから人だからこその説得力が感じられます。
暑さで原稿が書けなかった横光利一
避暑地での友人たちとの交流、ドライブ、温泉めぐり──と、ここまでは文豪たちが楽しく過ごした夏の様子を紹介してきましたが、暑さの中、仕事に苦戦していた文豪・横光利一のエピソードも最後にご紹介しましょう。
横光利一は昭和10年に発表した随筆集『覺書』の中で、「書けない原稿」というストレートな文章を綴っています。横光は、30歳を過ぎると天候が人間の体調の細部を支配するので、天候が悪いと自分は原稿が書けなくなる──という持論を展開します。
天候は三十を過ぎた人間の運命を支配して行くと云つてもいい。私は頼まれると、一応頼まれたものは引き受ける。が、殆どそれを実行することが出来ないで不義理をかける。こんなことはあまり前にはなかつた。が、天候が身体に影響し始めてからは、殊にそれがひどくなつた。
──『書けない原稿』より
横光がこの随筆を書いていたのは、暑い夏の日でした。頼まれていた原稿が書けずに雑誌記者を待たせている中、“暑さ”により、横光の筆はどうしても進まなくなってしまいます。
例へば、今迄私の坐つてゐた此の部屋の空間は汗の出るほど暑かつた。が、突然雷電が閃き、雨が沛然として降つて来た。すると、私はくしゃみをした。もう私は筆を持つのがいやになつた。「ああ、涼しい。」と云ふ。私は必死にペンを動かしてゐた間、全く暑さを忘れてゐた。が、くしゃみをして涼しさを感じると、此の涼しさだけなり感じてゐたいと思ふ。
──『書けない原稿』より
くしゃみをした瞬間の涼しさが忘れられず、この涼しさだけを感じていたい──と現実逃避ともとれるようなことを思う横光。結局、この直後に横光の部屋にやってきた雑誌記者に「正宗白鳥氏の小説が駄目になった(〆切に間に合わなかった)」と言われた横光はさらなるプレッシャーを感じてしまい、
今度は格子に頭を叩きつけながら、「うーん、うーん、」と云ふ声を出してゐる。
と、書けないことに苦しみ続けるのでした。文章を書くことにとにかくストイックであった横光らしい、ユーモラスな夏の記録です。
おわりに
友人や女性たちと華やかでエモーショナルな夏を過ごした芥川龍之介、それをどこか疎ましい気持ちで見ていた室生犀星、マイペースに温泉宿を渡り歩いていた田山花袋──など、文豪たちの随筆からは彼らの人間味や個性がありありと伝わってきます。
避暑地への旅行の際には、そんな彼らの本を読み返しつつ、文豪たちが過ごした夏を追体験してみてはいかがでしょうか。
初出:P+D MAGAZINE(2020/07/30)