<新シリーズ『DASPA 吉良大介』発刊記念スペシャル対談> 榎本憲男(作家)×中野剛志(評論家) 「コロナと国家」【第3回】コロナとインフレ
「DASPA(国家防衛安全保障会議)」のメンバーである警察キャリア官僚・吉良大介は国家の危機に直面して敢然と立ち向かう。新シリーズ『DASPA 吉良大介』を上梓した作家・榎本憲男氏と経済産業省の現役官僚で評論家の中野剛志氏が「ニッポンの未来」を語る最終回。「コロナ」によって日本経済は今後どのようになっていくのか? ハイパーインフレは起こるのか?
新シリーズ『DASPA 吉良大介』
発刊記念スペシャル対談
コロナと国家
榎本憲男(作家)×中野剛志(評論家)
撮影/黒石あみ
榎本憲男氏(左)、中野剛志氏(右)
「医療崩壊だけは起こしてはいけない。医療の現場は平等という幻想の最後の砦なんです」(榎本)
「去年まで政府は財政赤字削減していたため、感染症対策もすぐにはできないことだらけなんです」(中野)
――コロナをひとつのテーマに、年末から年始にかけて、『巡査長 真行寺弘道』(中公文庫)シリーズと『DASPA 吉良大介』(小学館文庫)シリーズの最新作を刊行すると伺いました。コロナについて、どうお考えですか?
榎本 僕は、医療崩壊だけは絶対起こしちゃいけないと思ってるんですよ。
中野 そうですね。
榎本 医療という現場は平等という幻想の最後の砦なんです。つまり、日本って、金持ちでもそうでなくても同じ病気で行ったら、似たような治療を受けられるわけです。特殊な高額治療は別ですよ。でしかも、一応、国民皆保険が成り立ってるので、同じお金で受けられる。これはアメリカに行ったら大変なことらしいじゃないですか、よく知らないけど。だから、そういう意味では、ものすごく格差は広がっているけども、病院に行ったら平等な扱いをされるということは、ある意味で、医療というのが平等幻想の最後の砦になっている。これが崩壊するととんでもないことになる。だから一生懸命、保健所が医療崩壊しないように関所になって頑張っているんですけども……。で、これで、バンバン、バンバンPCR検査をして、無症状で陽性の人が出てきたら、とりあえず、感染症法で隔離しなきゃいけませんね、と言ったら、その人的リソースをどんどん使ってるわけじゃないですか。
中野 そうなんですよ。
榎本 医療崩壊というのは供給が需要に追いつかないということなので、そこでパンクを起こしちゃったら、もう、崩壊するっていうことですよね。だから、これはちょっとヤバいなと。
中野 ええ。だから、それというのは、PCR検査の体制も脆弱であれば、PCR検査をして陽性になったあとの体制も問題になる。……。
去年まで、日本政府って、財政赤字が心配で、社会保障を抑制しなきゃいけないからって言って、病床数を削減すると言ってたわけですよね。保健所の数も二十年間で半分に減らされた。そんな調子だから、感染症対策っていっても、すぐにはできないことだらけになってるんですよ。
日本はもっと豊かになりたいからといって、グローバリゼーションでインバウンドだといって目標を立てて、観光客を入れてきました。感染症の専門家の人たちは、それをやるんだったら、感染症対策は強化しないと、何を持ち込まれるかわからないんだから、気をつけろと言ってたのに、その予算を減らしてたんです。だから……。
榎本 中野さんは、観光立国論は嫌いなんです(笑)。
中野 外国人観光客が落としてくれるお金に期待するというのは、ちょっと……。
榎本 恥ずかしいと思っているんです。
中野 まあ、言っても詮ないので、今、これをどう対策するかということなんですけども。じゃあ、専門家と呼ばれる人たちは、今、何を議論してるかというと、「財政危機だから財政出動は抑制すべきだ」と言っていた経済学者が、「PCR検査をもっとやれ、何でやれないんだ」などと平気で言っている。インバウンドをやるなら、こういう感染症が止められなくなる事態というのは覚悟しなきゃいけなかったのに、想定もしていなかった。そういうことに考えが足りなかったということを反省して、今後に生かすのならいいんですけども、その反省もしないで、「どうして韓国みたいなことができないんだ、専門家会議は何をやっているんだ」と、わあわあ、わあわあ言ってるだけで。大雑把にいえば、(経済を立て直すには)財政出動をもっとしなきゃいけない。でも、その財政出動をもっとしなきゃいけないということすら、反省もしなくて、去年、MMTの議論があった。そういう議論がなかったんだったら仕方ないですよ。しかし、あったのに、それを相変わらず参照しようともせず、コロナで財政赤字が拡大したので、増税しなきゃいけないなんていう議論を平気でしてるんですよね。だからこれは結構、事態は深刻な感じがしますけどね。
――『巡査長 真行寺弘道』シリーズと『DASPA 吉良大介』シリーズの最新作について、詳しく教えていただけますか?
榎本 たたき上げの巡査長・真行寺弘道と、警察官僚のキャリア・吉良大介。ものの見方が2人は違うので、同じひとつの事件、現象を、2人の視点と考え方からとらえていく、というのをやりたいと思います。同じ物語を、2つのシリーズで視点を変えて展開します。で、ひとつは、人間って、死ぬときは死ぬんだっていうことです。確率論的に、ある一定の確率で死ぬときは死ぬ。コロナ時代に生きているということをかみしめつつ、どう生きるかという話を二人やっていくっていうことですね。だから、そういうことになるのかな。
中野 コロナがテーマというよりは、死の問題に直面する時にどうするか、という哲学が入るわけですね。
「コロナで自粛しろとか、消費活動を抑えろと言われたら、インフレなんかなりようもない。財政赤字の限界なんてないんですよ、今は」(中野)
「僕もそう思いますけどね。中町にはそういうふうに言わせます(笑)」(榎本)
――中野さんをモデルにする「中町」が登場するのは、前回同様、『真行寺』シリーズですか?
榎本 『DASPA』のほうで……。
中野 シリーズ両方で出ることになるんですか。
榎本 吉良大介にうるさい先輩(中町)がいるっていう。MMTを使えないのか、という話題で……。
ところで、どのぐらい出さなきゃいけないという計算ですか。
中野 何の話ですか?
榎本 (MMT理論における)今の財政出動って。
中野 結論からいうと、金額では決められません。供給が足りないほど、需要が増えて、高インフレになるのだけが限界なので、インフレ率で見ないと、金額では判断できない。
どうして金額で判断できないかっていうと、もちろん、わからないというのもあるんですけど、インフレって、そんな簡単に起きないんですよ。財政出動して、需要をたくさんして、公共工事をやったり、補助金を出したりとかやると、需要が拡大してインフレになるというんですけど、公共事業をやったり、企業に補助金を出して設備投資をすると供給力もあがるので、需要を供給が追いかけるんですよ。しかも、インフレになると、お金の価値がさがっていくので、みんなもっと投資したくなる。今、設備投資しないで、内部留保してるのは、あるいは、技術開発もやらないで内部留保してるのは、デフレだから、お金の価値があがってしまっているから。お金の価値がさがるんだったら、本当はやりたかった設備投資、設備の更新、古い設備を全部更新したかったからしようとか、技術開発とか、いろんなアイディアをやってみようとか、いろんなことをやるので、供給力があがるんですよ。したがって、実は、そう簡単には高インフレにはならず、例えば、10パーセントのインフレなんて、まず、ならない。せいぜい3、4パーセント。それくらいのインフレなら、設備投資や技術開発が盛んになって、供給力が高まるので、結局、インフレ率の目標までいかないうちに経済成長してしまうんです。したがって、正直、何の心配もないんですけれども……。
榎本 よくインタゲ(インフレターゲット)で2パーセントとかいわれるじゃないですか。2パーセントまでいってしまうと結構経済的には成長するんですか。
中野 します。バブルのときだって、3パーセントいってるかいかないかくらい。終戦後の混乱期は高インフレになりましたけれど、それは終戦後という特殊な状況だからであって、高度成長期だって、そんな激しいインフレではない。一九七〇年代には二ケタのインフレになりましたけれど、それはオイルショックという特殊要因のせいだし、しかも、すぐに一ケタ台にまで収まった。実は、インフレを恐れてるって、ほんとに妙なことなんですよね。だから、全然……。
榎本 コストだけがあがるインフレというのはあり得ないんですか。
中野 あり得るのは、それは、例えばオイルショックとか、食料危機とか、あるいは、マスクが高騰するとか、そういうふうに、供給力が足りなくなることはあります。しかし、コロナで自粛しろとか、消費活動を抑えろと言われたら、インフレになんかなりようもないので、今は……。
榎本 活動したくてしょうがないですからね。
中野 そう。だから、今はインフレになりようがない、人為的に抑えているから、ということは、財政赤字の限界はないんですよ、今は(笑)。
榎本 わかりました。僕もそう思いますけどね。
中野 小説でも中町にそう言わせてください。財政出動をやってもハイパーインフレにならない、財政赤字の制約はないって。
榎本 はい。中町にはそういうふうに言わせます(笑)。
中野 でも2冊いっぺんって、すごいですね。まあ、同じ世界観だから、確かに頭の中では不可能ではないんでしょうけども。
(吉良と中町の)年齢も生き方も違うから、見方も違うというのは確かにありますね。中町の年齢は、吉良とどのぐらい離れているんですか。大体同じぐらいですか。中町のほうがちょっと上なのかな。
榎本 上ですね。だから、基本的には吉良のほうは、ITを使った統治みたいなものはしょうがないっていう考え方です。国民を監視するということを、いわゆる左派の人たちは嫌うじゃないですか。でも、それはしょうがないんです。例えば、(特別定額給付金の)10万円が届くのが遅いと言われたじゃないですか、すごく。あれって、マイナンバー制度ががちがちに固まっていて、それが、納税記録とか銀行口座とかに紐づけられていたら、簡単に払えますよね。
中野 そうです。
榎本 で、もっと足りない人には手厚く、で、要らない人にはゼロということができるので、一律10万円をもうちょっと有効活用できたと思うんですよ、同じ金額で。だけどそれは、個人情報を渡したくない、国家に吸い上げられたくないという、左派的な感受性がある。そういうものは、「もう、この際、要らんだろう」っていうのが吉良派で、「いや、それでも気持ち悪いもんな」というのが真行寺。
中野 なるほどね。
榎本 「(個人情報を渡すことによる安全の確保について)やったほうがいいんじゃないですか」というのが吉良派で、「いや、それをやるのはよくないよ」と急にきれいごとを――いつもは仕事をしないくせに、急にきれいごとを言うのが真行寺です。
中野 (真行寺は)感覚的に気持ち悪いっていう感じなのかな。
榎本 その2人が、まあ、前は(『DASPA 吉良大介』と『巡査長 真行寺弘道』の両シリーズでは)、ちょっとすれ違ってるだけなんですけど、今回は同じ事件で罵倒し合うっていうシーンが……。
中野 左派かどうかというよりは、世代がちょうど真行寺と吉良とで違っている。そういう感じでしょうね、現実の世の中の反応も。
榎本 そうかもしれません。
中野 僕なんかは、多分、吉良のほうに近いかも……、例えば、自分に子どもがいるじゃないですか。そうすると、子供が犯罪に巻き込まれるのが嫌なもんだから、もう、ほんとに日本中に監視カメラをつけまくっていいよって、乱暴なことを思いますね(笑)。
――ありがとうございました。
構成/角山祥道
プロフィール
榎本憲男(えのもと・のりお)
1959年和歌山県生まれ。映画会社に勤務後、2010年退社。2011年『見えないほどの遠くの空を』を監督、同名の原作小説も執筆。2015年『エアー2・0』雄を発表し、注目を集める。2018年異色の警察小説『巡査長 真行寺弘道』を刊行。シリーズ化されて、『ブルーロータス』『ワルキューレ』『エージェント』と続く。2020年警察キャリア官僚が主人公の『DASPA 吉良大介』を刊行。
中野剛志(なかの・たけし)
1971年生まれ。評論家。博士(政治思想)。東京大学教養学部卒業。通産省、京都大学准教授等を経て、現在は経済産業省。経済ナショナリズムを中心に評論活動を展開。『TPP亡国論』『富国と強兵』『日本思想史新論』『日本の没落』『日本経済学新論』ほか著書多数。
初出:P+D MAGAZINE(2020/10/22)