【映画化】新興宗教に傾倒する一家を描いた話題作、今村夏子『星の子』
2020年10月9日から映画『星の子』が公開され、早くも話題を集めています。原作は、怪しげな新興宗教にのめり込んでいく一家の姿を娘であるちひろの視点から描いた、今村夏子の同名小説です。話題作『星の子』の魅力と読みどころをご紹介します。
2020年10月9日から、芦田愛菜主演の大森立嗣監督による映画『星の子』が全国公開され、早くも話題を集めています。
原作は、『むらさきのスカートの女』で第161回芥川賞を受賞した今村夏子による、同名の長編小説。怪しげな新興宗教にのめりこんでいく一家の姿を描いた、不穏さとユーモアが同居する作品です。今回は、小説『星の子』のあらすじとともに、本作の魅力をご紹介します。
『星の子』のあらすじ
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4022514744/
小さいころ、わたしは体が弱かったそうだ。標準をうんと下回る体重でこの世に生まれ、三カ月近くを保育器のなかで過ごしたそうだ。
『星の子』は、“わたし”こと主人公の少女・林ちひろの独白で始まります。体が弱く、原因不明の湿疹に苦しめられていた小さいころのちひろ。彼女を心配していた父親は、ある日職場の同僚である落合さんから謎の水をもらい受け、「この水で毎晩毎晩お嬢さんの体を清めておあげなさい」とアドバイスをされます。
その水で体を拭くことを続けた結果、ちひろの湿疹はみるみるうちに改善。両親は落合さんからパンフレットをもらい、謎の水、「金星のめぐみ」の定期購入を始めます。このできごとをきっかけにちひろの両親は「金星のめぐみ」の通信販売をおこなっている新興宗教に入信し、傾倒していくのでした。
林一家は、両親とちひろ、ちひろの姉であるまさみの4人家族。両親の信仰心に疑問を持たない素直なちひろと対照的に、まさみは宗教を受け入れられず、苦々しい気持ちを抱いています。一家を心配しているちひろたちの叔父・雄三がまさみと協力して両親を説得しようとしても、ちひろたちの両親は「帰れーっ」と雄三を拒絶するばかりなのでした。
高校を退学になったことを機にまさみは家出をしますが、ちひろは中学3年生になった現在も、信仰に厚い両親とともに、引っ越しを繰り返しながら暮らしています。本作は、ものごとに鈍感だけれど素直でひたむきなちひろの視点を通じ、ゆらぎながらも続く彼女の学校生活や家庭生活を描いた物語です。
【『星の子』の魅力1】なにげない会話のなかに光るユーモア
ここからは、『星の子』の魅力と読みどころをご紹介しましょう。
新興宗教に傾倒する一家という重大なテーマを扱いながらも、本作がどこか軽やかなムードを纏っていることの大きな要因に、思わず笑ってしまうような唐突かつテンポのいい会話があります。たとえば、ちひろの子ども時代、落合さん夫婦の家を訪れたちひろ一家が、「金星のめぐみ」に浸したタオルを頭の上に乗せることを勧められるシーン。
「お試しになります?」
奥さんがすっと席を立った。
少したって、奥さんはトレーを手に戻ってきた。
トレーの上にのっていたのは洗面器と白いタオルだった。洗面器には水が張ってあった。父は落合さんのいうとおりに洗面器の水にタオルを浸し、軽くしぼったものを折り畳んで頭の上にのせた。
「ア……、ア、なるほど……」
「どうですか」
「なるほど。こういうことですか」
「巡っていくのがわかるでしょう」
「わかります」
(中略)
「女性会員のなかにはこれで赤ちゃんを授かったっていうかたもいらっしゃるんですよ」奥さんがいった。
「ほんとに……、すごい……」
「特別な生命力を宿した水ですからね」
「そういわれてみれば……」
ちひろの両親はこの日を機に、落合さん夫婦を真似て、家の中でも頭の上に水に浸したタオルを乗せて生活するようになります。
また、ちひろが新興宗教の集会に行き、昇子さんというリーダー的存在の大学生の話に耳を傾けているシーンでは、昇子さんの恋人であり、同じく支部のリーダー的存在の海路さんが突如「すべては宇宙の意のままに」という言葉とともに登場します。
「それは……」
「それは?」
「すべては宇宙の意のままに」
と、そのとき背後から声がして、振り返ると海路さんが腕を組んで立っていた。
「海路さん!」
「海路さんだー!」
海路さんは人気者だった。
今村夏子作品の中では常に、ツッコミ不在のコントのようでもあり、スピードと独特の緊張感のある会話が、物語をするすると進めていきます。そのテンポのよさに乗せられ、気づいたときには当初からまったく予想もつかない場所に着地させられているような意外性と不穏さが、『星の子』でも遺憾なく発揮されています。
【『星の子』の魅力2】「ちひろから見た世界」だけが描かれる視野の狭さ
物語が徹底して“ちひろの視点”のみで進むことも、本作の大きな特徴のひとつです。
ちひろは宗教に対し、両親のように強い信仰心を持っているわけでもなければ、まさみのように猜疑心を抱いているわけでもなく、ただ周囲の状況をぼんやりと捉え、受け入れ続ける少女として描かれます。
たとえば、まさみが両親に愛想を尽かして家出をする前夜も、ちひろはまさみのひそかな決心には気づかず、外泊続きだった姉が久々に帰宅した理由もわからずにいます。
その日の夜中、まーちゃんに起こされて、寝ぼけながら台所に移動した。台所の床にあぐらをかいて座り、母が買ってきた好物のパンの袋を開けてわたしにひとつ渡し、自分もひとつ口にくわえた。なぜ起こされたのかわからなかった。眠気でグラリグラリと頭を揺らすわたしを前に、まーちゃんはぽつぽつと自分の話をした。話のなかで両親をあいつらと呼んだけど、その口調は静かで、落ち着いていた。
わたしが最後に見たまーちゃんの手は、無数の傷と謎のラクガキに覆われていて、本当の皮膚の色は下に隠れてしまっていた。薬指には彼氏からもらったという金色の指輪がはめてあり、台所の蛍光灯に照らされてそこだけキランとかがやいていた。
まさみが両親を“あいつら”と呼んでいたこと、手にあった無数の傷、薬指にはめていた彼氏からの指輪──といった描写からは、まさみが両親に対して感じていた憎しみや葛藤、決別するという意思を感じます。しかし妹であるちひろは、まさみが家を出ていった理由を
まーちゃんは寂しかったのだと思う。
と解釈するのです。
子どもの狭い視野を通じた主観だけが徹底して書かれているからこそ、そのなかで語られなかったことの切実さが読み手だけに伝わり、重みとなって積み重なっていきます。同時に、読み手はその見通しの悪さ故に物語の進む先が予想できず、独特の危うさと居心地の悪さのなかに佇むことになります。
すこしずつブレーキが利かなくなっていく車のような恐ろしさとスリルは、そのまま作品の大きな推進力につながっています。
【『星の子』の魅力3】ちひろの素直さと、友人との関係性
そしてやはり、本作の最大の魅力とも言えるのが、ちひろという主人公のキャラクターです。前述のとおり、ちひろは周囲で起きているできごとにあまり敏感ではなく、どちらかと言えば受動的な少女として描かれていますが、彼女には感じたことを取り繕わず、素直に表現する部分もあります。
たとえば、小学4年生のときに同じクラスの左隣に座っていたなべちゃんという女の子と、ちひろが密かに気になっていた右隣の席の男の子・西条くんがこっそりと手紙交換をしていると知ったシーン。
ある日、女子トイレの個室のなかでこんな会話を耳にした。「あのふたり、授業中にこっそり手紙交換してるのよ」(中略)
「どうやって?」
思わず個室から飛びだしてきいた。
「わっ。びっくりした」
「ねえどうやって?」
「きゃ。手洗いなよ」
「授業中ずーっとあたしが真ん中に座ってるのに、なべちゃんと西条くんはどうやって手紙交換したりできるわけ?」
「気づいてないの? いっつも林さんの背中あたりで交換してるじゃん」
「あたしの背中で」
「そうそう。こうやって、お互いに手伸ばしてさあ」
「林さんの頭の上でもしてるよ。ね」
「うん、林さん背低いから」
「あたしの背中と頭の上で」
ちひろは大いにショックを受けますが、個室からそのまま飛びだしていってクラスメイトに真相を聞いてしまう行動力や、本人だけが蚊帳の外にされているのに気づかないにぶさには、どこか応援したくなるような健気さがあります。
実際に、ちひろの背中と頭上でずっと手紙交換をしていたなべちゃんは、ちひろが中学生になり、新興宗教に入っていることを周囲に揶揄されるようになっても、ちひろに対して変わらない態度で接し続けようとします。
自分が傷ついているかどうかも自覚することのできない、ちひろという子どもを見守り、助けようとする周囲の存在は、本作に灯る小さな希望と言えるでしょう。
おわりに
『星の子』は決して希望に満ちた物語でも、家族の変わらない絆を描く物語でもありません。しかし、ひとつの家族の関係のゆらぎと団結を、正面から真摯に描いた作品であることはたしかです。
ちひろ自身、そしてちひろ一家がどのような道を選択するのかは、ぜひ、実際に小説と映画でたしかめてみてください。
初出:P+D MAGAZINE(2020/10/12)