【著者インタビュー】温 又柔『魯肉飯のさえずり』/日本での見えない抑圧と闘う物語を書きたかった
日本人の父と台湾人の母の間に生まれ、外見も家柄も申し分のない憧れの先輩と結婚した娘の現在と、知人もいないまま日本に嫁いだ母の若き日を描いた作品。日本で求められる「普通」とは? 物語の背景を著者にインタビュー!
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
台湾出身の母は幼い娘にとって「恥」だった――国籍も距離も言語もこえて高らかに共鳴しあう魂の物語
『
中央公論新社
1650円+税
装丁/鈴木久美
温 又柔
●おん・ゆうじゅう 1980年台湾・台北市生まれ。台湾語混じりの中国語を話す両親のもとで3歳から東京に育つ。法政大学国際文化学部卒。同大学院修士課程修了。09年「好去好来歌」で第33回すばる文学賞佳作を受賞しデビュー。15年刊『台湾生まれ 日本語育ち』で第64回日本エッセイスト・クラブ賞、17年「真ん中の子どもたち」が芥川賞候補に。他に『来福の家』『空港時光』『「国語」から旅立って』等。魯肉飯始め、本書の料理はどれも美味しそうだが、「実は私、料理は大の苦手で。でも美味しそうに書けているならよかった!(苦笑)」。150㌢、O型。
何語を話すか一つに決めるよりいろいろな言葉を携えて生きる方が贅沢でふくよかだ
魯肉飯と書いて、台湾語ではロバプンと読むそうだ。
「先日ある方に『正確にはロォバアプーンでは?』とご指摘を受けたのですが、私にすれば台湾人の母がその料理をロバプンと呼ぶ時の声とか、八角の香りや味が根拠で、正確も何もないんです。むしろなぜ日本では
温又柔氏の新作『
外見も家柄も申し分ない人気者の聖司と誰もが羨む結婚をした桃嘉。だが自身の価値観を疑うことを知らない柏木家の人々とは接点すら見出せず、聖司も〈日本人の口には合わないよ〉と言って、母直伝の魯肉飯に箸を付けようともしない。彼は〈ふつうの料理のほうが俺は好きなんだよね〉と弁解したが、そもそも「ふつう」って、何?
*
台湾出身の両親と3歳の時に来日。台湾語や中国語や日本語が雑多に飛び交う環境に育ち、自分は何者かを問い続けずにはいられなかった著者自身、
「私が通ったのは日本の
この桃嘉のように、
特に前半、自分や
「なのに彼女は何も言えないんですよね。夫に浮気され、台湾の母の味を否定されても怒ることすらできない。結局、桃嘉は、日本語がカタコトで『普通じゃない』母親を守るのは自分だ、と思うあまりイイ子になり過ぎたんです。就活に失敗したことで打ちのめされて結婚に逃げ、聖司やその家族にどこか遠慮し続けることになりました。
ただし聖司らを悪く書いたつもりはないんです。聖司の父はむしろ、桃嘉の母親は〈外国人〉だからと気を遣うのだし、聖司の妹が〈台湾も、けっこうおしゃれなんだよね。しかも、すごく親日なんでしょ〉と、お勧めの観光地を聞きたがるのも、別に悪気はなく、どちらかといえば義姉と仲良くしようと思って言っている。私も、色々な場面で他の人に対してつい自分の中の『当たり前』を押しつけてしまうことはある。
つまり聖司的な傲慢さは誰にでもあり、無意識なだけに怖い。でも幸い私は家庭環境のおかげで
言葉は豊饒なぶん権力と相性がいい
表題の「さえずり」とは、鷹揚で寛大で、雪穂の母親が作る魯肉飯のファンでもある茂吉の、〈義姉さんたちといるときのきみは、喋っているというよりはさえずっているような感じがする〉という台詞に由来。台湾の実家では今でも旧正月になると、雪穂ら4姉妹が集まり、その賑やかなこと。
そして桃嘉にとっての伯母たちが懐かしむ祖父が日本贔屓だったことや、茂吉と雪穂の結婚の背景などを、温氏は政治や歴史といった大文字で語るのではなく、より細やかで機微に富んだ人間ドラマに描く。
「日本統治時代の是非でも植民地構造の有無でもなく、
それを私自身、『あなたは何語を話す何人か?』と、一つに決めるよう求められ、そのつど律儀に答えてもきたけれど、その質問自体が罠だったと今は思います。いろんな言葉を携えて生きる方が余程贅沢でふくよかですし、切り捨てたくはないのです」
本書はいわば、母のさえずりを娘が丸ごと抱きしめ、肯定するまでの物語にして、〈あたしが日本人なら〉と自問した日々を雪穂が乗り越えるまでの記録でもある。
「このさえずりという表現が出てきた時は『やった!』と私も思いました!(笑い)
ただし言葉は隙間だらけで豊饒で恣意性に富む分、権力と相性がいいのも確かです。桃嘉の祖父世代が戦後になって覚えた中国語より日本語の方が得意だったりするといった事実は直視しつつ、あの時代を生きた人は全員不幸だと決めつけるのも、逆に『日本のおかげだ』みたいに恩を着せるのも、私は両方、違うと思うのです」
なるほど私たちの日常は言葉以前の音や匂いや光が粒を成し、そんな形を持たないさえずりに耳を澄ますことは、この世界を少しは正しく、かつ楽しく、捉え直すことにも繋がるはずだ。
●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光
(週刊ポスト 2020年10.9号より)
初出:P+D MAGAZINE(2020/11/15)