【『麦と兵隊』など】小説家・火野葦平のおすすめ作品
『麦と兵隊』『糞尿譚』などの代表作を持ち、昭和期には「兵隊作家」として国民的人気を博していた小説家・火野葦平。今回はそんな火野葦平作品を初めて読む方のために、おすすめの小説を3作品ご紹介します。
芥川賞を受賞した『糞尿譚』、兵隊三部作などの代表作を持ち、戦前・戦後期に活躍した小説家・火野葦平。“兵隊小説”作家としてよく知られながらも、その著作は童話や随筆など、多岐にわたります。
今回はそんな火野葦平の作品を初めて読む方のために、おすすめの小説とその読みどころをご紹介します。
『糞尿譚』
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B00SB0Y7M8/
『糞尿譚』は、1937年に発表された火野葦平による短編小説です。火野は本作で第6回芥川賞を受賞しました。
本作の主人公は、小森彦太郎という名の、九州で糞尿汲取事業を営む男。かつては先祖代々豪農として知られていた小森家でしたが、彦太郎の代で業績が落ち、山林の一部を抵当にして糞尿回収業を始めたばかりでした。
彼がひたすら失敗と没落の道をたどって行ったのには、他の重要な原因として、彼がなかなかの酒好きであったことがひとつ、もう一つには、この地方が非常に政治的にうるさいところで、政党政派の関係があらゆる商売取引に浸潤し、政党への顧慮なくしてはいかなる商売も成立しなかったことが、ひとつである。
そんな“政治的にうるさい”地域で、彦太郎は地域の有力者である赤瀬という男から、市が汲取事業を委託する「指定業者」の認定を得ます。彦太郎はそれ以来、もともとは赤瀬と対立する政党・民政党を支持していたことを民政党系の新聞記者から責められたり、協働を提案した同業者たちから逃げられたり、挙げ句、仕事道具であるトラックに子どもから悪質な落書きをされるなど、散々な目に遭いますが、“自分の事業だけはどんなことがあっても守らねばならぬ”という思いで耐え抜いていました。
しかしあるとき、彦太郎は事業の支援者である阿部という男から酒席に呼ばれ、酔いの回った頭で、阿部の見せてきた書類に判を押してしまいます。それは、糞尿汲取事が市営化した際の買収額を赤瀬と阿部、彦太郎の3人で分配する、彦太郎の取り分は2割5分とする──という不公平な公正証書でした。騙されたことに気づいた彦太郎はしばし呆然としますが、仕事の最中に地元住民から石を投げられたことをきっかけに堪忍袋の緒が切れ、彼は汲み取った糞尿を怒りに任せて撒き散らすのでした。
彼はいきなり、リヤカアに積んであった桶を力まかせに突いた。桶はリヤカアから転げ落ち、落ちた桶から、ごぼんと音がして、黄色い汁が飛び、糞尿が桶の口から流れ出した。リヤカアの横にさしてあった長い糞尿柄杓を抜くと、彦太郎は唖然として見ている男達の中に、貴様たち、貴様たち、と連呼しながら、それを振りまわして躍りこんだ。
本作の最後、溜まりに溜まった鬱憤を晴らすかのごとく彦太郎が糞尿を撒き散らすシーンは、どこか爽快かつ、彼自身のプライドの芽生えを感じさせる名場面でありつつも、やはり物悲しく映ります。一部の富める者たちがそうでない者を搾取する構造や地方政治の汚い部分、人間の欲深さなどを鮮やかに描いた、文学史に燦然と輝く名作です。
『麦と兵隊』
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4041111617/
『麦と兵隊』は、1938年、文芸誌『改造』に発表された小説(火野本人による徐州会戦の従軍記録)です。火野は本作を戦地から日本に送り、一躍「兵隊作家」として国内で認知され、一世を風靡しました。
『麦と兵隊』は、従軍中の火野の視点から、日本軍の実情と兵士の素直な心境を綴った作品とされています。本作は、支那兵の捕虜を斬首しようとしている日本兵を見て、火野が
私は眼を反した。私は悪魔になつてはゐなかつた。私はそれを知り、深く安堵した。
と独白するという、人間味を感じさせる場面で幕を下ろします。
火野が時代の寵児となったこの時期、南京攻略における日本人兵士から中国人兵士・民間人への残虐行為が問題視されていました。しかし、兵士に取材し、そのさまを描いた石川達三の小説『生きてゐる兵隊』は掲載誌が即日発禁処分となるなど、政府による言論統制は非常に強まっていました。
そのなかで、火野の描く勇ましい「兵隊」像は、戦時中の国民のムードを高揚させる役割を大きく担っていました。実際には、本作の執筆においては日本軍の指導・検閲が強く働き、敵軍を鬼畜であるかのように書かざるを得なかったこと、日本軍が劣勢になっている様子は一切書けなかったことなどを、火野本人がのちに明かしています。
そのような検閲事情を鑑みても、本作には小説として優れた箇所が多数見られます。たとえば、周囲の兵隊たちが次々と命を落としていくという極限状態のなかで、火野がかつて小林秀雄と交わした対話を想起し、これまでの記憶を走馬灯のように振り返るシーンは、非常に躍動感溢れる名場面となっています。
思ひがけなく、何か音を立てたやうに、走馬燈のやうに、あらゆる思ひ出が脳裡を去來した。それは順序もなく、整理も出来ず、一緒くたに脳裡に閃いた。自分には弾丸は當らない、といふやうな確信など、そんなものは何処にもありはしない。兵隊が、圓匙貸しませう、穴掘らんとやられますよ、と云つたけれども、私は何処に居てもやられるのだと思ひ、穴を掘るのが面倒くさくなつて、又廊の中に入つた。
火野は戦後、戦争責任を厳しく追及され、「戦争作家」「戦犯作家」として1950年まで公職追放を受けました。しかしながら、その後は自らの戦争責任について自覚的に綴った作品などを発表するに至り、1950年代には再び流行作家として、意欲的に執筆を続けました。
『小説 陸軍』
出典:https://www.shogakukan.co.jp/books/09352420
『小説 陸軍』は、1945年に発表された火野の長編小説です。日本で暮らすある家族の三代に渡る物語を通じ、一家の日常と、陸軍との関わりを描いています。
語り手は、幕末、奇兵隊に入隊した質屋の跡取り息子である高木友之丞と、その息子で日露戦争に従軍した友彦、さらに、友彦の息子で陸軍に入隊した伸太郎の3名です。
友之丞は奇兵隊に入隊した直後、隊の規律と忠義に心を奪われます。
(勤皇)(殉忠報国)(攘夷)(四民皆兵)
友之丞は耳を洗われ、目を洗われ、心を洗われる思いであった。お国のために、などど、嘗て、自分が力みかえって考えていたことが、恥かしくなった。自分の小ささが、われながらおかしかった。自分の考えたのは、小倉藩のために、ということに過ぎなかった。小さな忠義たてだった。ここではすべてが、皇国のために、日本のために、であった。大君に、すべてをささげまつる。そういうものが、鬼気のごとく、満ちあふれていた。
以後、この「勤王、殉忠報国、攘夷、四民皆兵」という思想は高木家を貫く家風となっていき、友彦や伸太郎たちもこの思想に従って、誇り高い兵士でいようとし続けます。
本作は三代に渡る一家の壮大な叙事詩という形をとりながらも、同時に、戦争体験や従軍体験が一個人にとってどのようなものであるかということを繊細に描いた小説でもあります。火野も本作のあとがきのなかで、
私は常に一兵士の経験の上に立って切実さと謙虚さとを失うまいと努めたので、作戦の全貌とか、戦争の本質というような尨大な主題からは遠ざかっていた。(中略)この作品は若干その主題を広げたといえるけれども、それすら私は小さな場所に足を置くということを常に心がけた。
私としては思ったことを思ったとうりに書いたという点で、心休まるものがある。かかげた「陸軍」という題が羊頭狗肉であったとは思っていない。陸軍そのものを書くよりも、その中に顕現された精神のありどころを確かめることに、眼と心とを集中した。
と述べているように、戦時中の空気と当時の兵士の精神性が伝わってくる貴重な作品です。
おわりに
前述のとおり、火野は戦後に「戦犯作家」として非難を浴びるなどの憂き目に遭い、1960年には自死という形でその生涯を終えています。火野の作品には実際に、戦意を高揚させるような批判を受けるべき思想も見て取れるものの、その根底には素朴なヒューマニズムが感じられるのも事実です。
また、火野は兵隊小説・軍事小説のみならず、“河童を中心に据えた童話や随筆など、機知に富んだ作品も数多く遺しました。火野の小説に魅力を感じた方は、ぜひそういった作品にも手を伸ばしてみてください。
初出:P+D MAGAZINE(2021/07/27)