月村了衛『香港警察東京分室』
作品執筆に至るまでの数奇な経緯
何を隠そう、『香港警察東京分室』は小説家デビューのはるか以前に思いついたタイトルだ。そのときは男二人のバディもので、アマチュアにはありがちなことだが、数十枚書いたところで放棄してしまった。我が長編第一作『神子上典膳』を書き始めるより前の話であるが、香港が中国へ返還された後であり、「早く書かないとまずい」と思ったことを覚えている。
その後年月が流れ、小学館の編集者の皆さんと歓談していた折、ふとこのタイトルを口にしたところ、STORY BOX誌の編集長(当時)がえらく食いついた。「ぜひそれでお願いします」と。まったく予期せぬことであった。言わばタイトルだけで企画が決まったのだ(この話を他誌編集長にしたところ、「それはウチが欲しかった」と言われた)。
こういう〈ご縁〉はときたまあって、いつどのタイミングで誰に話すか、すべては巡り合わせである。他誌編集長に最初に話していたら、そちらで決まっていたかもしれない。
小学館からは要望が一つだけあり、「アクションを入れて欲しい」ということだった。当方は異存なく了解した。
ともかく私は、このタイトルで作品を書くことになった。なにしろ雨傘運動どころか、香港国家安全維持法成立後である。当然内容はゼロから考え直すことになる。現在の香港情勢を反映させるべく、関連資料を読み漁った。その結果、大きなテーマをつかむことができ、この作品を今の時代に執筆する意義を明確に見出せた。
分室メンバーは日本警察から五人。香港警察から五人。合わせて十人の登場人物がいるわけだ。それぞれどういう人物なのか。
まったくのノーアイデア、ノーイメージから書き始めた。にもかかわらず、この十人の描き分けは成功したようで、「全員の個性がはっきりしている」と好評だった。
中でも特に好評だったのは日本側トップの水越管理官で、この人物の造形には少し悩んだが、窮すれば通ずるで、ある人をモデルにするというアイデアを思いついた。
私が一体誰をモデルにしたのか、それは絶対の秘密である。
月村了衛(つきむら・りょうえ)
1963年大阪府生まれ、早稲田大学卒。2010年『機龍警察』でデビュー。12年『機龍警察 自爆条項』で第33回日本SF大賞、13年『機龍警察 暗黒市場』で第34回吉川英治文学新人賞、15年『コルトM1851残月』で第17回大藪春彦賞、同年『土漠の花』で第68回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)、19年『欺す衆生』で第10回山田風太郎賞を受賞。
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『香港警察東京分室』
著/月村了衛