増山 実『百年の藍』
過去と現在の糸で紡がれたジーンズの物語
初めてジーンズを目にした時のことを覚えていますか?
もしあなたが若い読者なら、きっと覚えていないことでしょう。ジーンズは、ものごころがついた時からもう当たり前に日常にあったでしょうから。覚えているとしたら、戦後の団塊世代以前の方でしょう。かく言う私も、まったく若くはないのですが、覚えていないのです。
一九七〇年代に青春時代を過ごしました。その時代はもうジーンズ全盛時代で、テレビでは「ジーパン刑事」なんてニックネームの刑事が活躍していました。ジーパン刑事を演じていたのは松田優作さんで、俳優の松田龍平さんと松田翔太さんのお父さんです。
どの街にもジーンズショップがありました。街には大型のスーパーもできだした頃で、その衣料品コーナーには、やはり「ビッグジョン」や「ボブソン」や「ベティスミス」や「エドウィン」や「ジョンブル」など、いろんな国産ブランドのジーンズが大量に置いてありました。それが当たり前の風景でした。
日本にジーンズが入ってきたのは、一般には戦後まもなくと言われています。
「リーバイス」や「リー」や「ラングラー」ですね。戦後にどっと押し寄せたアメリカ文化の象徴がジーンズだったのです。
しかし私はある時、今から百年前の関東大震災の時に、アメリカからの救援物資の中に、ジーンズが入っていた、という記述を目にしました。
私の想像の扉が開きました。
今から百年前、初めてジーンズを目にした日本人は、その藍色の、ところどころ擦り切れて色落ちすらしている、穿き古したズボンをみて、何を感じただろう? そう思った時、私は、「彼」の物語を書いてみよう、と思い立ちました。
そうして書き始めたのが、『百年の藍』です。
日本におけるジーンズの歴史を、その「藍色」に魅せられ、「夢」を繋いで生きた人々の思いに乗せて、大正期から現代まで、百年にわたって描いた物語です。舞台は大正期の浅草から始まり、日本のジーンズのふるさと瀬戸内、そして大阪、神戸、アメリカに及びます。
何度も取材地を訪れ、関係者から伺った話と、いま、そこで見える風景を縦糸に、そして、その地でかつて生きた人々が抱いたであろう想いと、彼らが見たであろう風景を横糸にして紡いだのが、この作品です。
この作品とずっと並走してくださった担当編集者は、この作品自体が、一本のヴィンテージジーンズのようだ、と評してくださいました。
作者として、こんなに嬉しい言葉はありません。
長い年月の間に自然にできたジーンズの小さな皺のひとつひとつが愛おしいように、私にはこの物語に登場する人物すべてが愛おしいのです。
どうぞ、お手にとってみてください。
その「手触り」と「肌触り」が、あなたに届きますように。
増山 実(ますやま・みのる)
1958年大阪府生まれ。放送作家を経て、松本清張賞最終候補作を改題した『勇者たちへの伝言』で2013年にデビュー。同作で第4回大阪ほんま本大賞を受賞。2022年には、『ジュリーの世界』で第10回京都本大賞を受賞。他の著書に『空の走者たち』『風よ 僕らに海の歌を』『波の上のキネマ』『甘夏とオリオン』がある。
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著/増山 実