週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.117 ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広さん

目利き書店員のブックガイド 今週の担当 ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広さん

 私は普段、小説は読まず、良い読み手ではないという自覚を持っている為、小説をご紹介することにはあまり自信が無い。しかし、この作品に込められたテーマの重要性に興味を引かれて紐解き、この本について書いてみることにした。

『歌われなかった海賊へ』書影

『歌われなかった海賊へ』
逢坂冬馬
早川書房

 舞台は、ナチに感化された少年の自警団的組織ヒトラー・ユーゲントが跋扈するドイツ。主人公の4人の若者たちは、ナチ体制の縛り付け、押し付けへの嫌悪を隠さず、ゲリラ的に暗躍し反抗する〝エーデルヴァイス海賊団〟を名乗り、戦いに身を投じて行く。そこで彼らはナチの「許しがたい悪」を目の当たりにし、ある破壊工作を計画する。

 このエーデルヴァイス海賊団とは実在したグループで、ナチ体制下のドイツ各地で自然発生した自由を求める若者たちの集いである。

 本作は彼らをモデルにした青春小説であり、今こそ読まれるべき傑作だと断言したい。以下、その理由を述べていく。

 

 まず、エーデルヴァイス海賊団の若者たちの行動とは、個人の自由を守る戦いである。愛国心の名のもとにすべてを束縛、管理して人民の画一化を図る体制を拒否し、自由に生きたいと願う人間の本来持つべき原動力には快哉を覚える。この個人の自由と意志こそがナチの恐れたことであると想像する。

 次に、ナチの正体とは何かを暴くことで、戦争が生み出すあらゆる不条理に向き合っていること。優生思想、同調圧力、ジェンダー格差、LGBTQへの無理解、正当化される差別と暴力。それによる支配の実行と、もたらされる不穏な空気。まさに現代を照射し、2023年に生きる我々への問いかけとなっている。

 それから、第二次大戦終結から80年近くが経過した今、当時の人びとの証言が希少となり、風化が加速する中で歴史を伝承していくことの意義と必要性が描かれていること。

 そして、戦争に加担した大衆の欺瞞性を突く手を緩めることなく、一方で人間一人ひとりの抱える事情と悲哀もすくい取り、戦争という大きな惨禍の中での個人の真実とは何かを読者に問う物語であること。

 

 もしかすると、あまりに多くの事柄を詰め込み過ぎたのではないかという指摘もあるかも知れない。しかし、あらゆるところで余りに多くの問題によってがんじがらめとなっている現代で、描くテーマを一つに絞ったとしても、全ては連鎖し、地続きとなっていくことは必然である。逢坂冬馬はこの多くの描くべきテーマを、ありったけのエネルギーをもって物語にぶち込んで見せたのだ。

 この物語の本編は、〝当時を知る人物によって書かれた小説〟という形をとって、現代に生きる関係者の子孫に受け継がれるという作中作となっている。少々長めの後日談的に描かれる現代の人間模様は、過去の戦争による人々の傷を見つめ直し、現代の人権軽視社会を飛び越えて行こうという力強い意志が内包されている。最後の最後まで読み通して得る感慨は格別のものである。

 この戦前のドイツを舞台にした物語が、2023年の日本において、読まれ、語り継がれていく。実にスリリングな話ではないか。

 

あわせて読みたい本

『ヒトラーはなぜ戦争を始めることができたのか』書影

『ヒトラーはなぜ戦争を始めることができたのか
民主主義国の誤算
ベンジャミン・カーター・ヘット
訳/寺西のぶ子
亜紀書房

 1930年代、世界恐慌から崩れ落ちる民主主義。その隙間から台頭する独裁主義国とファシズム。いかにして戦争は始まったのか。いかにして終わったのか。
 第二次世界大戦前と現代の驚くほどの類似性を指摘し、戦争が起こるプロセスとメカニズムを解剖しながら、結果として敗北したナチに世界の首脳や政治家はどう対峙し、模索しながら対抗し、野望を阻止することが出来たのかを考察していく。
 本書は、大戦前に良く似た2023年の世界と日本が同じ過ちを繰り返さない為の、一つの指標となる可能性を持っている。

 

おすすめの小学館文庫

夜に啼く森

『夜に啼く森』
 
 
リサ・ガードナー
訳/満園真木
小学館文庫

 刑事、FBI捜査官、犯罪からの生還者が、悪辣な犯罪者に立ち向かうスリラー。犯罪者の異常で凶悪で理不尽な暴力によって奪われた被害者の命に尊厳を取り戻すため、そして今なお危機に晒される人々を救うため、連帯、ケア、コミュニケーションと、対抗する叡智の結晶としてのシスターフッドが、緊張感の高いエンタテインメントとして昇華された形で描かれる、人気シリーズの完結編。
 迂闊にも本作を最初に読んでしまったが、それでも楽しめた上に、シリーズを一から遡りたくなる傑作。
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