ツッコミとしての文章読解術【大人のための現代文・前編】

世の中の様々な動向を読み解くうえで、社会人になってからも文章読解力は必要不可欠です。そこで今回は「読解とはツッコミである」をテーマに、大人のための現代文講座を開講!

皆さんは、高校や予備校で教わった「現代文」の授業を覚えていますか?

「難解な評論文がサッパリ理解できず、ついていけなくなった」
「得意科目ではあったが、なにを教わったかは覚えていない」
そんな方も多くいらっしゃるのではないでしょうか?

しかし、世の中の様々な動向を読み解くうえで、社会人になってからも文章読解力は必要不可欠です。そこでP+D MAGAZINE編集部が今回寄稿をお願いしたのは、東京大学博士課程で政治思想を研究し、受験国語の指導歴も長いという網谷壮介さん。いわば「熟練の読み手」である網谷さんに、大人のための現代文講座を開講していただきました。

テーマはずばり、「読解とはツッコミである」

記事内では、実際のセンター試験に出題された文章の中にツッコミポイントを探るという「実践編」も用意していますので、受験生に戻ったつもりでじっくりと読んでみてくださいね。
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理論編:文章読解には「注意力」が大切

文章をうまく読むことができる人というのは、ツッコミに長けた人である。今日は、そんな命題について考えてみよう。

一般に、お笑いでもっとも重要で難しいことは、ボケだと考えられている。もちろん、ボケるという行為が起点になって笑いが引き出されることは多い。しかし、ツッコミもまた同じ程度に重要で、難しい。

素人目にはツッコミというのは、奇天烈な発想をするボケに対していかにも常識人でつまらない存在に見える。ボケによって逸脱してしまった話の筋を元通りに戻したり(「なんでやねん」)、その逸脱を問い返し確認すること(「ほんまかいな」)だけがツッコミの役割だと考えられているのだ。これは確かに最も基本的な形だと言っていいだろう。しかし、この基本形でさえ、ボケがどのような笑いを意図したのかを瞬時に読み取る注意深さを必要とするのだ。

「文章の息遣い」を掴もう

さて、文章をうまく読むことができる人は、ツッコミに長けた人である。大学受験の現代文の授業で教師が教えていたのは、実はツッコミの入れ方であり、ボケの拾い方だったのである。どういうことか。大学受験の現代文の試験で求められているのは、論理的読解能力である。テクストの論旨を把握するためには、筆者が論理を展開するために配した様々な仕掛けのひとつひとつに注意を払わなければならない。これは漫然と文を眺めるのとは違って、細かく神経を使う仕事であり、受動的であるというよりもむしろ能動的な作業である。テクストのどこが筆者の主張であり、どの点に新しさ・重要さがあるのか、これを逐一確認していくことが求められているのだ。

この確認作業はツッコミと機能的に等価である。ツッコミはボケが繰り出す話にのりつつ、どこが筋からの逸脱なのか、どの点で笑いを意図しているのか、これに注意深く耳を澄まし、それをすかさず掴まえ、問い返さなければならないのだ。

関東の芸人に特徴的な「スカシ」という技術もまた一種のツッコミである。もちろんナチュラルにボケに気付かずにいることはスカシではない。スカシは敢えてボケを拾わずにおくという選択である。

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実践編:センター試験にツッコミを入れよう

抽象的に書いていてもしかたがないので、実例をお見せしよう。まずは、次の2012年度センター試験国語本試験、第一問の問題(木村敏「境界としての自己」)を解いていただきたい。下線部が引かれた箇所が問題になっている――それまではスカしておくしかない。

 

人間だけでなくすべての生きものは、その環境との境界面で、環境との最適な接触を維持することによって生命を保持している。子孫を残すために配偶者を見出して生殖や子育ての行動を行い、寒暑や風雨を避けるために住居を確保したり居住地を変えたりし、敵から逃避したり競争相手を駆逐したりするのも、生物一般の生命維持の目的に沿ったものである。〔…〕

生きものがその生命維持の行動を遂行するのは、いうまでもなく個々の個体としてである。各個体はそれぞれ固有の環境との接点で、ときには同種他個体との協力によって、またときには同種他個体や異種個体との競合関係のなかで、自己自身の生存を求めて行動する。その場合、ある個体と関係をもつ他の個体たちもやはり当の個体の環境を構成する要件となることはいうまでもないし、さらには当の個体自身の諸条件――たとえば空腹や疲労の程度、性的欲求、運動や感覚の能力など――も「内部環境」という意味で環境側の要件に加わってくる。そう考えると、個体と環境の接点あるいは境界というのが何を指しているのかを一義的に確定するのはかなり困難なことになる。

 

設問:傍線部の説明として最も適当なものを、次から一つ選べ。〔問題は簡略化した〕

① ある個体にとって、食物をめぐる争いの相手に加え、協調して生活をしていく異種の個体もまた環境の一部となること。

② ある個体にとって、空腹や疲労のような生理現象に加え、生息圏に生い茂るさまざまな植物などもまた環境の一部となること。

③ ある個体にとって、気象のような自然現象に加え、食行動などの場面で交わる他の個体もまた環境の一部となること。

 

下線部の箇所は、言わばボケである。どこがボケの部分なのかをツッコミとして注意深く観察しなければならない(こうしたボケは実のところあまり良くないボケなのだが)。ボケとは前の話からの逸脱であり跳躍である。その逸脱と跳躍に気付くことができるだろうか。

この場合のボケのポイントは、「も」という助詞である。例えば、付き合っている彼氏が「僕もリオに向けて調整しなくちゃ」と言ったとき、「僕もって、君はオリンピックに出ないでしょ!」とツッコむだろう。彼氏は「も」一つでボケているのである。下線部のところでも、筆者はこのようにボケている。これを予備校現代文教師風に言い換えるなら、下線部の箇所に記された「添加」を示す助詞に注意せよ、ということになる。

この設問では、下線部を含む文章は「他の個体たち“も”……環境を構成する要件となる」と述べているが、このボケの前提となっているのは「寒暑や風雨、個体の置かれた状況は環境を構成する要件となる」という一段落目で触れられている一般的な見解である。そこで、下線部を読みながら、あなたは心のなかの関西人を呼び覚まし、「他の個体たち“も”って、環境は寒暑や風雨だけちゃうかったんかーい」と突っ込まなければならないのだ。

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この的確なツッコミを可能にする選択肢は、「気象のような自然現象」だけではなく、「食行動などの場面で交わる他の個体」もまた環境だと言っている③である。

①はボケの前提となっているのが自然現象ではなく「食物をめぐる争いの相手」、つまり他の個体となってしまい、下線部の「も」のボケが活きない。それに対して②は、いわゆる「ネタをとばした」ツッコミである。②では「空腹や疲労のような生理現象」が下線部のボケの前提になってしまうが、実は「生理現象」は本文では下線部の直後ではじめて言われることである。本来ならば、一発目のツッコミの後に「さらには当の個体自身の諸条件――たとえば空腹や疲労〔……〕――も〔……〕環境側の要件に加わってくる」と筆者がボケる、という台本になっているのだ。

つまり、②の場合、下線部の先の記述まで読み進めてはじめてあなたは「自分の空腹も内部環境になるて、ほんまかいな」とツッコまなければならなかったのである。後で詳しく述べるように、この記述は下線部のボケよりも強烈なインパクトを残す「大ボケ」にあたる箇所であり、様々なツッコミを誘うような一文であるが、これはあくまでもセンター試験の出題。焦りは禁物である。

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発展編:ツッコミ・イズ・クリエイティブ

現代文・評論文という科目で求められる論理的読解能力とは、このように的確で注意深いツッコミをする能力である。だが、ツッコミの機能はボケに対する確認だけに尽きるものではない。ツッコミはボケと同様の創造的なコミュニケーションをも可能にするのだ。相手の言葉を受けることなく自らボケることは可能だが、ツッコミは相手の言葉があってはじめて可能になるものである。

しかし、その相手の言葉は必ずしもボケである必要はない。例えば、ツッコミは、ツッコむことで相手の言葉を意図せざるボケに変えてしまうこともできる(「この馬肉うまいなあ」「うまだけに、って言うてる場合か」)。あるいは、ボケによって触発された笑いを訂正しつつ、それを別の方向へ逸脱させて笑いを増大させることさえ可能である(いわゆる喩えツッコミ)。

ボケの確認・訂正だけにとどまらない、こうした創造的なツッコミは、大学受験を超えた所ではじめて可能である。大学入試が課す「ツッコミテスト」は、あくまで理論編で述べたような「ボケの確認」というツッコミの基本形を試すものでしかないのだ。

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文章のポテンシャルを引き出す「読み」の力

先ほどの文章、センター試験の出題によって無理やりな箇所でボケさせられてしまった木村敏の興味深い文章は、本来ならば「個体と環境の接点あるいは境界というのが何を指しているのかを一義的に確定するのはかなり困難なことになる」という箇所にクライマックスが収斂していく筋書きになっている。その前の下線部にあたる小ボケのところで大仰にツッコんでしまえば、この大ボケの衝撃度が矮小化されてしまう。

ともあれ、この最後の文は、いかにも創造的なツッコミを待ち受けているボケである。例えば、「個体と環境の境界がわからんって、じゃあそもそも個体自体がよく分からんもんになってくるんちゃうんか、個体を個体たらしめてるものって一体何やねん」とツッコめば、どうだろうか。あるいは、「個体と環境の境界がわからんて、企業のガバナンスか」というツッコミはどうか。

こうした創造的ツッコミは、テクストの作者の意図を踏まえつつそれを超えた問いに自らを開かせることになるだろう。どこをスカしてどこでツッコミを入れるのか、どうツッコめばさらに発展的で豊かな議論が可能になるのか。うまくツッコめる人は相手のボケのポテンシャルを最大限に引き出し、あるいはそれを拡張することができる人である。

読者であるあなたは、ツッコミとして、テクストに書かれたボケを丁寧に拾ってあげなければならない――もちろん拾うに値しないボケはスカせばいい。ツッコミという視座からテクストに向かい合うことで、新たな読みの境地に達することができるのではないだろうか。

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[筆者プロフィール]
網谷壮介(あみたにそうすけ)
1987年大阪生まれ
東京大学大学院総合文化研究科博士課程
専門はイマヌエル・カントの政治思想

初出:P+D MAGAZINE(2016/03/01)

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