ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第103回
仕事でもプライベートでも
約束を破れば最終的に
軽蔑されるのだ。
簡単にあらすじを説明すると、主人公は少年時代、友人のエーミールが持っていた珍しい蝶の標本を出来心から盗んだ上に破損させてしまう。
罪の意識に耐えられず、主人公は母親に罪を告白し、謝罪と賠償をしにエーミールニキの元へ行ったのだが、それを受けてニキが発したのは上記のセリフである。
もはや貴様には怒る価値もないという呆れと軽蔑、そして「これから貴様が何をしようとこの評価が覆ることはない」という完全な諦めと見限りである。
作中でも潰してしまった標本を直そうとするが直らないという描写があるが、それ以上に一度失った人の信頼は戻らない。そして人に心から軽蔑されることの恐ろしさを見事に書いている。
戦争や死が出てくる作品も怖いは怖いのだが、所詮他人事感があり、ホラー映画に対する怖さに近い。
対して少年の日の思い出は「身に覚えがある」もしくは「これからの俺の人生にこういう嫌なことが起こりそう感」が半端ない上、それが戦争とかどうしようもないものではなく完全な「自業自得」なのがまた怖いのだ。
だが、この少年の日の思い出が読者の心を殺すのは、主人公とエーミールニキの関係性によるところが大きい。
主人公とニキは近くに住んでいて同年代だが決して「仲の良い友人」ではないのである。
確かに親友の蝶を盗んだことにより、関係が破綻し軽蔑されるというのも辛い話だが、そういう話だったらここまで印象に残らなかったと思う。
エーミールは出木杉のスペックを搭載したスネ夫みたいなところがあり、非の打ちどころがない少年の上に優れた標本技術を持ち、おそらく家も裕福なのではないかと思う。
しかし、主人公が珍しい蝶の標本を作って気分良くそれを見せたら「ふむコムラサキの希少性を認めるのは小生やぶさかではございませんが?僭越ながら言わせてもらいますと展翅が残念だし脚も欠損している、まあ友達査定で20ペニヒ程度といったところでございましょうかwww」と言って、瞬時に萎えさせる嫌味な奴でもあった。
よって主人公はエーミールのことをむしろ「嫌っていた」と言っても良いぐらいだったのだ。
嫌いな奴に嫌われるぐらいどうということはない、少なくとも好きな奴に嫌われるよりはマシなはずである。
だが、確かにエーミールの言うことは、今だったら燃えるアカウントがいくらあっても足りないレベルかもしれないが、配慮がないだけで言っていることは正しく、主人公もそれはわかっていたのだ。
つまり、主人公は人間的にエーミールのことを好きではなかったが、全てにおいて自分より上であると認めており、心の底ではエーミールに対し「リスペクト」があったのだと思われる。