ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第122回
久しぶりに編集部へ行くと
漫画家と編集者の熱い打ち合わせが
すぐ横で繰り広げられていた。
そして、もう片方のブースではどうやら恋愛漫画の打ち合わせが行われているようで「ここで●●は××のことをそれでも愛しているんだと気づいて」という、別方向で熱い言葉が聞こえている。
机の中央に自分が描いた恋愛漫画を置かれ、1ページ1ページ内容を精査されるという状況は人によっては「拷問」として成立するような気がするが、それを「恥ずかしい」と感じ「その話はよしましょうよ」と灰皿で殴ってしまうから、私は三流なのだろう。
そもそも漫画自体、己の脳内の妄想を具現化し、人様に見せつけるという恥ずかしい行為なのだ。
つまり漫画を描く奴はスタートの時点で全員全裸なのである。
そこから、観衆がいかに「おもしろい」と感じる露出パフォーマンスをするかが、漫画家の腕の見せどころなのである。
全裸でスタートに立っておきながら「恥ずかしい」などと言い出すぐらいなら「最初から出すな」であり、見苦しいとしか言いようがない。
「乳輪を読者が『でかい』と思う3倍でかくしたい」という提言を真顔でできるのがプロなのだ。
平素は自分以外の漫画家がどのようにして作品を作っているかなど全く知るすべがないので新鮮だが、最終的に「だから俺はダメなんだ」という気持ちにしかならないので、やはり編集部になど来るものではない。
そして、両者の打ち合わせが落ち着いたころ、今度は編集者同士と思しき2人組が現れ、片方が片方に「ワンピースはマジでおもしろい」という、割と万人が知っていることを熱く語り始めた。
編集の意見は大事だが、あまりにも編集が意見を出し過ぎるとXに「編集部と意向が合わず連載終了のお報せ」が流れることになる。
作品は作家の名前で出るし、売れなくて餓死するのも作家である。
意見が割れても、最終的には灰皿で黙らせて作家の描きたいように描いた方が遺恨は残らないと思う。
(つづく)
次回更新予定日 2024-1-10