著者の窓 第32回 ◈【特別対談】真山仁 × 古澤明

著者の窓 第32回 ◈【特別対談】真山仁 × 古澤明
失敗する自由が超越を生む 量子物理学者 古澤明の頭の中』(小学館新書)は、光量子コンピューター研究で、ノーベル物理学賞にもっとも近いと言われる東京大学工学部・古澤明教授の素顔に、「ハゲタカ」シリーズなどで知られる作家・真山仁さんが徹底取材で迫った初のインタビュー本です。〝失敗する〟ことを避けず、積極的に楽しむことから生まれるブレイクスルーとは? 次世代への熱いメッセージがこめられた一冊を軸に、お二人が対談しました。
取材・文=朝宮運河 撮影=横田紋子

自分がストーリーライターだと気がついた

真山仁(以下、真山)
 古澤さんとは『タングル』(小学館)という光量子コンピューターを扱った小説の取材でお会いしたのが最初で、作中には早乙女教授という古澤さんを彷彿させる型破りな物理学者を登場させました。今回、あらためて取材して本を書きたいと思ったのは、古澤さんの生き方や考え方が、我々中高年だけでなく若い世代にとってもすごく有益だと確信したからなんです。

古澤明(以下、古澤)
 ありがとうございます。僕にとっても自分について深く考えるいい機会になりました。真山さんの取材を受けなければ、自分の本質が「ストーリーライター」だなんて多分気づかなかったと思います。

真山
「本職はウインドサーファーで、研究は趣味」と常々おっしゃっていますが、ストーリーライターという第三の仕事が加わりましたね(笑)。

古澤
 成功に向かうためのストーリーをつくることができなければ、研究でいい結果を出すことはできない。自分はそれを無意識的にやっていたんだなと気づきました。

真山
 初めて古澤さんの研究室を訪ねた日は忘れられません。小説で扱う量子力学については多少予習していったんですが、開口一番「その知識を全て捨ててください」と言われました。さらに量子コンピューターを研究する理由は、大量に電力を消費するスーパーコンピューターの代わりにするため、つまり節電のためだという。思ってもみない答えに驚いたんです。さらにお話しするうちに古澤さんが自分の専門分野を、広く社会に向かってわかりやすく語ることができる、まさにストーリーライターであることが分かってきた。研究者でそういうタイプは珍しいので正直驚きました。

真山仁さん

古澤
 受験科目では国語が一番得意だったんです。学生時代は本を読むのも大好きでしたし。

世代を超えた雑談が生み出すもの

真山
 古澤さんは「直感に従っただけ」ということをよくおっしゃいますよね。もちろんその背後には、長年の経験や知見があるのでしょうが、こういう人はインタビュアー泣かせなんです。なぜそうなったのかという背景を知りたいのに、答えしかないわけですから。

古澤
 長年ウインドサーフィンをやっているんですが、なぜこういう動きをしたかなんて口では説明できません。勝手に体が動いたとしか言いようがない。物理学もそれに似ているところがあるんです。論理的に考えていても面白いことはできない。直感に任せてやる方が案外新しいことができる。

真山
 まさかと思うけど古澤さんは実際それで成果を上げているから、納得するしかない。取材では色んな方向から質問を投げて、古澤さんという迷宮の中を探検しているような感覚がありました。そのうち「あの時言っていたのはこういう意味じゃないか」と回路が繋がってきて、古澤さんという人が分かってくると同時に、こちらも言葉が勝手にあふれ出てきた。取材の醍醐味を感じました。

古澤
 取材してもらうことで、気づかされることも多かったですね。

真山
 古澤さんの人生で大きかったのは、30代でアメリカに行かれたことだと思います。日本で結果を出して、いわば向かうところ敵なしになった状態でアメリカ留学をし、言葉の壁に苦労しながらも大きな成果を上げられた。

古澤
 当時は時代も良かったんですよ。クリントン政権で、アメリカ社会には希望があった。あの国が輝いていた最後の瞬間に居合わせたっていうのは、すごくラッキーだったと思います。

真山
 古澤さんはここぞというタイミングを絶対に逃しませんよね。常にかかとを上げていて、必要を感じたら迷わず動く。凡人は迷っているうちにチャンスの女神の前髪を掴み損ねてしまうものなんですが。

古澤
 そうですね。フットワークは軽い方だと自分でも思います。

真山
 今回、古澤さんの本を書こうと思った理由のひとつはそこなんですよ。今の学生たちと話していると動く前にあれこれ計算をして、やりたいことに踏み出せない。そもそも自分が何に向いているか、何をやりたいか分からない。

古澤
 単純に好きかどうかで決めたらいいと思いますけどね。向き不向きは後からでもついてくるというか、できなかった時の言い訳みたいなものですから。一度の挫折で「向いていなかった」と言う人がいますが、それは本当にやめる時まで取っておく言葉ですよ。

古澤明さん

真山
 うちの事務所のアルバイトの学生を見ていても、内心じれったいなと思うことが多いんです。私が言うとお説教になるから、古澤さんという先駆者の背中を見てもらうのが一番いい。古澤さんは研究室の学生たちを乗せて、やる気を引き出すのも上手いですよね。

古澤
 リーダーが苦虫を噛み潰したような顔をしていたら、学生だって楽しくないですから。そんな中でいい結果なんか出ませんよ。いつも能天気なことを言っていれば、学生もそういうものかと思ってついてくる。僕と他の先生たちとの一番の違いは、学生と普段から雑談していることです。しょっちゅう一緒にお昼を食べに行っていますから。

真山
 なかなかできることじゃないですよ。私は大学時代、教授とご飯を食べた経験なんて一度もない。

古澤
 僕自身が面白いからやっているんです。彼らと雑談していると、僕が教えられることの方が多いですよ。我々の世代はパソコンもない、ネットもないという環境で育ちましたけど、今の子はデジタルネイティブだから発想が全然違う。バックグラウンドの異なる世代が雑談するというのは非常に大切なことです。

真山
 学生と飲みに行くと、確かに感心することが多い。「そんなことできるの?」と驚くようなことを「簡単です」という。逆にこちらの常識を知らなかったりするから双方に驚きと発見がある。こういう席は楽しいですね。それは講義や講演という形じゃ駄目なんですよ。あくまで日常的な雑談じゃないと。でもそれを徹底しているのは東大広しといえど、古澤さんだけだと思う。

ぎりぎりの緊張感を楽しみ尽くす

古澤
 僕ほど学生に投資している先生もいないと思います(笑)。東大生の問題は自信がないことなんです。人口1億3000万人の中からトップクラスの頭脳が集まっているんですから、ハーバードにだってMIT(マサチューセッツ工科大学)にだって負けないはずなのに、日本人特有の舶来主義で、外国の方が優れていると思いこんでいる。優秀な彼らが自由な発想で研究をすれば、世界に負けるはずはないのに、世界大学ランキングを見て自信を失っているでしょう。あれじゃ成功のストーリーを描きにくくなります。

真山
 取材していて驚いたのは、失敗を恐れないどころか、面白がるような古澤研究室の空気です。『タングル』にもそのまま書きましたが、高価な実験機材を壊してしまっても「ナイスチャレンジ!」と言えるような環境。これはどうすれば実現できるんでしょうか。

古澤
 僕は「真剣」って言葉が嫌いなんです。真剣勝負ってそもそも抜き身の刀で戦うことですから、負けたら死にますよ。そんなことやりたくないでしょう。研究はゲームなんですから失敗したらリセットして、再スタートすればいい。死にはしないんだから気楽にやれ、面白がれ、と学生たちには常に言っています。

古澤明さん

真山
 プロ野球選手にも4割打つバッターはいないですからね。3割打つホームランバッターでも7割近くは凡退している。この7割を失敗と見るか、成功のための必要な過程と見るかですね。後者だと口で言うのは簡単だけど、古澤さんみたいに実践できる人は決して多くないですよ。

古澤
 それは多分、若い頃競技スキーをやっていたのが大きいと思います。競技スキーって安全にコースを滑っても、良いタイムが出ないんですよ。転倒覚悟でアタックしない限り、表彰台に上がることはできない。もちろん転倒することもあるし、怪我をする可能性もありますが、大会に出るからにはぎりぎりで勝負をかけないと意味がないんですね。それと同じことを、研究者になった今でも続けている感じです。

真山
 今のお話だけ聞くと真剣勝負の人ですが(笑)、そうじゃないんですよね。端から見ると大変そうでも、当人はぎりぎりの勝負を楽しんでいる。ゲームとして楽しむというのは、すごく重要な感覚ですね。私も締め切りに追い詰められて、こんなの間に合うわけないっていう時に、スリルと興奮を覚えることがあります。ある一線を越えたプロは、みんなこの感覚を味わっているのかもしれない。

古澤
 火事場の馬鹿力なのかもしれませんが、自分でも思ってもみなかった結果が出るのを楽しんでいるんですよ。そのためには楽しみながら全力でやるしかない。転倒覚悟で突っ込むしかないんです。

真山
 古澤さんのそういうスタイルは、若い頃にたくさん読んだという本の影響もあるそうですね。

古澤
 吉川英治が好きで、10代の頃にたくさん読んだんですけど、彼の作品には「人生の達人」という表現が出てきます。たとえば絵師の俵屋宗達などを指しているんですが、それを読んで自分も達人になりたいなと思ったんですよ。

真山
 人生の達人、古澤さんにぴったりの言葉ですね。それを10代から目指していたというのがまたすごい(笑)。

古澤
 どこまで達人の域に近づけたかは分かりませんが、これからも目指していきたいですね。

『ハゲタカ』を読んで人生が変わったんです

真山
 これまで研究者として歩んできた古澤さんが、ついにベンチャー企業を起こす決意をした。近い将来こうしようという計画はあるんですか。

古澤
 ユニコーン企業(評価額が10億ドル以上、設立10年以内の未上場ベンチャー)を作って、海外のベンチャーをM&Aしようと思っています。これは明らかに真山さんの『ハゲタカ』の影響です(笑)。あの小説を読んで、自分もハゲタカになってアメリカの企業を食ってやろうと決めたんですから。

真山
 そこからして常人の発想じゃないですね(笑)。研究との両立は大変だと思いますが、起業は起業で刺激的でしょうね。

真山仁さん

古澤
 面白いですよ。人集めもお金集めも未経験のことばかりだから。

真山
 古澤さんはどっちが面白いですか。

古澤
 どっちもですね。優れた人を集めれば、お金も集まってくる。23年間東大で研究室を主宰してきたので、卒業生がそれだけの数いるじゃないですか。優秀な東大卒業生に声をかけられたのは、自分のアドバンテージだと思います。

真山
 そこはやっぱり人徳ですよね。学生時代の教授が起業したといっても、そんなに大勢の卒業生がはせ参じることは普通ないですよ。古澤イズムの賜だと思います。

古澤
 優秀な理系の人たちがまっとうな給料をもらえる国にしないと、日本の未来はないと思うんです。理系の優秀な子がエンジニアを目指したくなる世の中を作らないと。そのためにも成功させなければと思っています。しかし真山さんに取材してもらわなければ、こんなことになっていなかったと思います。僕の人生において真山さんとの出会いはすごく大きかったです。

真山
 こちらも同時代に古澤さんのような人がいるのは、とても励みになります。常に挑み続ける。負ける勝負はしない。言うのは簡単ですが、古澤さんは実際それをやってみせてくれるわけですからね。古澤さんの会社が世界に打って出る時は、密着取材に行きますよ。

古澤
 ええ、楽しみにしています。

真山仁さんと古澤明さん

失敗する自由が超越を生む 量子物理学者 古澤明の頭の中

『失敗する自由が超越を生む
  量子物理学者 古澤明の頭の中
真山 仁=著
小学館新書


真山 仁(まやま・じん)
1962年、大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。新聞記者・フリーライターを経て、2004年、企業売買の壮絶な裏側を描いた『ハゲタカ』でデビュー。同シリーズはドラマ化、映画化され、大きな話題を呼ぶ。他の著書に『タングル』『マグマ』『ベイジン』『プライド』『コラプティオ』『黙示』『グリード』『そして、星の輝く夜がくる』『売国』『トリガー』『神域』『ロッキード』『レインメーカー』『墜落』『ブレイク』など多数。

古澤 明(ふるさわ・あきら)
1961年、埼玉県生まれ。東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻・教授。東京大学工学部物理工学科卒業後、同大学院工学系研究科物理工学専攻修士課程修了。株式会社ニコン、カリフォルニア工科大学客員研究員等を経て、2007年より現職。21年からは理化学研究所量子コンピュータ研究センター・副センター長も務める。さらに、内閣府ムーンショット型研究開発事業のプロジェクトマネージャーとして「誤り耐性型大規模汎用光量子コンピュータ」の研究開発に取り組んでいる。スパコンに代わる「光量子コンピューター」の世界的研究者として注目を集めている。


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