ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第128回

「ハクマン」第128回
「人間には向き不向きがある」
と言いたいが、
向きが存在しない人間はいる。

それとも私が最後まで聞いていなかっただけで、コマーシャルの後で「さて折れた母の肋骨から出て来たものはなんでしょう」という、クイズ&爆笑のオチが待ち受けていたのだろうか。

だが夫曰く、高齢により責任能力が低下した両親に代わり、現場検証、保険の手続き、そして先方や近隣への謝罪行脚に向かったが、父親と母親の言うことが異なっているため、なかなか上手くいかず、それが面白かったそうだ。

「おとうさんはハロワ、おかあさんはフリンにいきました、たのしかったです」という、子どもの絵日記の如く、過程と結論に隔たりがあるような気がするが、私だったら3年は引きずる気の重い出来事がすでに笑い話になっているのだから、やはり数十年会社員と長男をやっている夫は鍛えられている筋肉が違う。

しかも、この筋肉は肛門括約筋のようにどこへ行っても一生使える筋肉である。
片や漫画家やって鍛えられる筋肉というのは「手を使わず耳をピクつかせられる」など、他では全く使いどころがなく、漫画家としても役に立っているのか不明なものが多い。
ただ、漫画家をやることで筋肉はつかなくても、物理的に全身の筋肉が衰えるのは確かなので、筋肉が邪魔だという人や、無駄な社会性を削ぎ落してコンパクトに生きたいというミニマリストにはお勧めの職業だ。

そもそも、高齢者が運転をしていること自体、歩行などをしている人からすると笑いごとではなく、すぐに免許を返納した方がいいと思われるかもしれないが、一部の都市を除く老とその家族は、免許を返すと買い物はおろか病院にすらいけないというデッドオアデッド問題に直面している。
よって、夫はその件について、明日兄弟交えて家族会議をしに行く、とのことだ。

このように、気が重いことに総当たりしている夫を見ることにより、ただ原稿や編集者という無機物に向き合えば良いだけの自分の方が5億倍ぬるいと実感できたので、聞いて良かった。

しかし人間には向き不向きがある、と言いたいが、向きが存在しない人間はいる。
だがロシアにも寒い日とすごく寒い日があるように、得意がない人間も、向いていないことと、むしろやらせた方が悪いレベルで向いていないことぐらいの差は持っている。

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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