ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第139回
編集者にだって
漫画を見る才能が
あるとは限らない。
やはり出版やメディア業界というのは他の業界に比べるといろいろとファジーなのだ。サンドイッチ工場であれば「ピクルス担当の後任がいないので今日からノーピクルスです」とはならないだろう。
そんな適当がある程度許される業界だから、私が存在できると言える。
毎回「ピクルス載せろ」と指示しない限り、ベルトコンベアーを無言で見送る奴が許される世界というのはなかなかないのだ。
投稿や持ち込みを続けているが一向にデビューできない、才能がない、と嘆く作家志望者に対し、プロが「作品を最後まで描ける時点でとんでもない才能を持っている」と真顔で言っていることがある。
相談した側は「君は2本脚で立てているんだから、空も飛べるはず」と、虚ろな目をしたスピッツみたいなことを言われて困惑するかもしれないが、プロ側は至って真面目にそう言っているのだ。
連載作家は、毎月、下手をすれば毎週、原稿を締切前に完成させているのだから、完成させるだけ才能があると言われてもピンとこないかもしれない。
しかしプロは、催促してくる編集者、自分の仕事如何で帰宅時間が激動する印刷所やコーディングの人、待っているかもしれない読者や読者の幻、自分の生活、など背中に当てられる銃口を4つぐらいご用意されてやっと完成させているのだ。
よって、銃口が1つもない趣味や投稿作を完成させる方がよほど困難であり、実際「漫画を完成させたことがない漫画家志望」はたくさんいるので、そこをクリアできている時点で作家になれる資質はあるのだ。
漫画家の才能がなかったとしても、それを見る編集者側にだって漫画を見る才能があるとは限らない。
そもそも出版社の入社試験に漫画審査力テストなどないだろうから、見る目ゼロで編集者になっている奴もいるはずだ。
作品を完成させることさえできれば、あとはそういうセンスが死んでいる編集者に当たるまで投稿や持ち込みを続ければ、いつか活路が開けるだろう。しかし未完成ではそれすら難しい。
よってプロは心の底から「何の強制力もないのに原稿を完成させるだけでもすごい才能だ」と言っているのだが、多分志望者は「そういう話を聞きたいわけじゃねえんだよな」と、ホッピーの泡でカールおじさんみたいになっている老害が語る根性論を聞かされているような目になると思う。