ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第141回

「ハクマン」第141回
漫画を描き続けて15年。
作家として成功したと
言えば嘘になる。

キース教官が「何の成果も得られませんでした」と号泣したのは、本来ならこれからもっと輝いたであろう若い命を無為に散らせてしまったことに対する無念と絶望からである。

漫画家になってなかったとしても、その時間を有効利用したとは思えず「何もしないまま40歳になった」になるだけなので、悔やむ必要は特にない。

そもそも、私は漫画家になるまで暇だったのだ。暇だから「隣の家の木に火をつけたらどうなるだろう」と、いらんことを考え、いらんことをしてきた人間である。

海原雄山の「バカどもに車を与えるな」は暴論であるが、ある意味正しい。

バカゆえに信号の意味を理解してないかもしれないし、バカだから「邪魔だった」という理由で前方の車に全力体当たりする可能性もある。そういうバカには車を与えないのが一番である。

同じように、暇ゆえにいらんことを考えたりする人間には暇を与えない方が良い。よって私から暇を奪ってくれた漫画には感謝している。

それに、漫画家だって数ある仕事の一つでしかなく、仕事の最大の目的は「食っていくこと」である。

どれだけ楽しくやりがいがあっても、この目的が果たせてなければ、それは仕事ではなく搾取だ。

漫画家だって「高名な賞を受賞したが、賞金は白菜半玉現物支給であり、授賞式からバイトに直行した」では、漫画家として成果を上げたとは言えないのだ。

15年間漫画を描いて原稿料をもらい続けた、という意味では私も十分成果を上げたと言えるだろう。

むしろ、作家が周年を祝うのは、何十年も作家業を続け、それで食ってきたこと自体がすごいからでもある。

今は多少違うが、昔は掲載場所あっての漫画家であった、いくら自分が漫画家を続けたくても依頼がなければ漫画家として食っていくのは難しく、単純に労働として過酷すぎて、体を壊し続けられなくなる場合も多い。

昔は子どもの死亡率が高かったため「7歳までは神の子」と言われてきたように、漫画家も「存命のまま数十年続けた」だけで快挙であり、売れたかどうかなど二の次である。

そういう意味では私も15年漫画家を続けただけでもよくやったと言えるし、同じことの繰り返しだったが、逆に漫画というルーティンを15年もさせてもらったことにも感謝している。発注がなければ永遠にネームを作り続けるだけで次の工程に行けないし、その内廃業するしかなくなってしまう。

そして発注があったのは、何より読者のおかげである。

確かに、センスのない編集者の独断によるところも多いが、それでも需要が皆無の作家に15年間仕事が来るはずがない。

もしかしたら、年度末に予算消化のために無駄にアスファルトを掘り返すのと同じ感覚で、私に発注しているのかもしれないが、漫画界の公共道路工事になれたのは読者あってのことだろう。

自虐ネタとして「誰も読んでいない」「読者数ゼロ」ということもあったが、それは読者に失礼である。

むしろ「いない」ということで「俺が見えないのか」と数少ない読者が紅に染まって消えてしまう恐れすらある。

スカイフィッシュは今更いないと認定されたらしいが、逆に今までUMAとされていた私の読者は15周年を機に「いる」と認定したいと思う。

今まで幻覚説がぬぐえなかった、サイン会などのイベントに来ていた読者も、実体であったとここに宣言する。

「ハクマン」第141回

(つづく)
次回更新予定日 2024-10-23

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

中澤日菜子『シルバー保育園サンバ!』
赤神 諒『碧血の碑』