ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第21回

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第21回

漫画家生活10周年になる。
とはいえ、「10年間ツイッターをやっていた」
と言った方が正しいかもしれない。

では、ヒットもなく名も売れないまま、10年漫画家を続けられたのは何故だろうか。

誰もそんな志が低いコツ興味ないと思うが、どうせ「漫画家10周年」自体妄想なので、いつも通り幻覚たちに聞いてもらえればいい。

それは、描き続け、発信し続けたからだと思う。

突然「将来何になるの」と聞かれたら「起業」と答える大学2年生の鳴き声みたいなことを言ってしまったが、実際漫画家は特にそうだと思う。

いくら、雑誌から「何か連載してくださいよ」と言われても、こちらが何か描いて出さないと、絶対はじまらないし、話はそのまま流れる。

漫画の仕事は必ずしも描けば載る、というわけではなく、時には没ということもある。
しかし、そこで心折れてやめるのではなく、ガチャのように「出るまで回す」の精神で「OKが出るまで描く」ことが大切なのだ。

よってこの10年間、声がかかれば、それが面白いかどうかは置いておいて、とりあえず何か描いて出していた。
流れてしまうものもあるが、それで掲載や連載になったものも多いので、やはり、描かないよりは、とりあえず何か描いた方が良いと思う。

だが、当然「声がかからない時」もある。
そんな時、デキる作家なら自分から売り込んだり、出版社など通さず自分だけで売り出したりするのだろう。
自分にはまだそんな能力はない。

しかし、声がかからず、自分から売り込む度胸もなくても、とりあえず「独り言」ぐらい発信し続けるべきだと思う。

具体的にはツイッターという名の壁などに、仕事募集中と言ったり、漫画を描いてアップしたり、その他どうでも良いことをつぶやいたりすることだ。

最近はツイッターでバズって連載や書籍化する漫画も少なくない。
もちろん、それも一握りだろうが、下手な鉄砲も、描いて撃たなければ絶対当たらない。

一発屋のことを「時代と事故った」と表現することがあるように、絶対当たらないような弾でも「弾の方に人が飛び出て来た」という事故は起こり得るのである。
だが、とにかく撃たなければ、事故すら起こりようがないのだ。

また「どうでもよいつぶやき」も、バカにならない。
空や自分の足元の写真、みたいな真の意味でどうでもよい投稿はダメだ。

しかし「自分は小5男子が好きでたまらない」というようなことをつぶやき続ければ、「小5男子アンソロジー」とかが出版される時「そういやあいつ小5男子好きだったな」と声をかけてもらえたりするのだ。

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カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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