田口幹人「読書の時間 ─未来読書研究所日記─」第41回

田口幹人「読書の時間 ─未来読書研究所日記─」

「すべてのまちに本屋を」
本と読者の未来のために、奔走する日々を綴るエッセイ


 書店にとって2月から3月にかけては、年度末の対応と、新年度の準備が同時に来る季節である。片方だけならまだ整理できるのだが、片方をやりながらもう片方が始まってしまうので、終わらせる仕事と、始める仕事が、同じ机の上に並ぶ。机の上には、処理待ちの伝票の束と、これから並べる新しい本のリストが積まれていく。足元には、学校別に束ねた教科書の山ができていくのだ。どちらも、この時期の重さなのだ。

 年度末は「締める季節」で、学校や役所の予算が動き、まとめての発注が入り、納品が重なり、請求や伝票の処理が増える。数字を合わせ、日付を合わせ、宛名を合わせ、間違いがないように、ひとつひとつ確かめる作業がひたすら続く。派手ではないのだが、手が取られ、静かに時間が削られていく。
 そして、新年度は「整える季節」である。教科書が動き、学習参考書が動き、辞典が動き、棚を作り直さないといけない。欠品を埋め、版を確認し、指定の紙を見て、出版社と書名と学年を確かめて、間違いのないように何度も確認をして子どもたちに手渡すのだ。急ぎたいのに急げないのだ。速さより正確さが先に来るのは致し方ない。
 バックヤードでは箱が増え、開荷し、冊数を数え、仕分け、束にし、伝票と照らした後、もう一度照らす。ほんの一冊のズレが、あとで大きな手間になることを知っているから。
 3月はいくら人手があっても足りないのだが、割ける人件費は決まっていて、しかも最低賃金の上昇に伴う人件費の高騰を抑えるため、金額は同じでも人員は減るという状況下、無事に今年度の納品を終えることができると肩の荷が下りた気がしているうちに、まだ4月になったばかりだが、2026年が終わった気持ちになっている。

 毎年、年度末がやってくるのは分かっているが、相手があることなので前倒しで準備をすることもできず、いつも何かに追われる日々が続き、新年度に向けての前向きな提案も、調整もできないのが難点なのだ。弱小チームである我々には、人を雇うだけの余裕もなく、自分たちの身の丈でしか事業をすることができない。20年コツコツとやってきたが、歳を重ね、これが僕たちの限界なのかも、と考えることが増えてきた今日この頃である。
 そんな中、子どもたちに本を手渡すために、僕たちが最も効果的だと考えている図書カード配布事業について嬉しいニュースが届いた。

 山形市が、市内の小・中学生に図書カード3,000円分を届けると発表した。読書の楽しさを通して学びを広げてほしい、そして書店に足を運び、お気に入りの本と出合ってほしい、その願いが、制度の説明よりも先に、文章の体温として伝わってくるリリースだった。
 物価高騰が続くなかで、家計の負担は確実に増えている。食費も、光熱費も、日用品も、ひとつひとつは小さな値上げに見えても、積み重なると生活の余白を削っていく。だから「本を買ってあげたい」という気持ちはあっても、どうしても後回しになりやすく、悪気があるわけではないのだが、優先順位の問題で、まずは今日を回すために必要なものが先に来るのは当然だろう。それでも、子どもに直接届く〝本のためのお金〟があるというのは、現金給付とは違う意味で、子どもたちと本との出合いのための重要な支援だと僕たちは考えている。
 本は、すぐに役に立つ道具ではないかもしれないが、読んで得たものは、あとからじわじわ効いてくる。言葉が増え、世界が広がり、自分の気持ちを説明できるようになり、誰かの痛みを想像できるようになり、学力の話だけではなく、子どもが社会とつながっていくための足場となってくれる。さらに読書は、生きるための言葉を少しずつ蓄積していく時間でもあると僕たちは考えている。
 さらには、読書は「読む」という行為だけではないのだ。本を選ぶところから、もう読書は始まっている。棚の前で迷い、表紙を眺め、ページをめくり、いったん戻して、もう一度手に取って、買うかどうかを悩む。その時間には、間があり、余韻があり、子どもが自分の関心を確かめるための静かな集中があるのだ。受け取るだけの支援とは違って、選ぶという行為が子どもの主体性を呼び起こす。その一冊が家に帰ってからも机の上に残り、心の中にも残っていく。
 その出合いの場が書店であってほしいという想いから、書店という場にこだわってきたんだよな、と自分に言い聞かせている。

 この前、書店で小学生くらいの子が、レジ前で最後まで迷っているのを見かけた。片手に本を一冊、もう片手に別の本を一冊持って、どちらを選ぶかを決めきれないまま、表紙を見て、背表紙を見て、もう一度ページをめくって、静かに息を整えるようにして決めていたのだ。
 親は急かさず、店員も急かさず、その場には「決める時間」を皆で守る空気があった。ページをめくる小さな音が聞こえたとき、たぶんあの数十秒は、その子にとって小さくはなかったのだと思う。選ぶというのは、自分の時間を自分で使い、自分の関心に賭けてみることなのだ。読書の入口には、いつもそういう場面があるのだ。その後の親と店員が会釈し別れる合間の子どもの晴れ晴れとした顔が印象的だった。
 書店には、そんな瞬間がたくさんあるのだ。

 話を図書カードの配布事業に戻そう。
 山形市と同じような取り組みは、すでに各地に広がっている。福岡県古賀市は、子育て世帯への支援策として0歳~高校生年代までに1人あたり5,000円の図書カードを配布している。佐賀県嬉野市でも、子育て世帯等支援の位置づけで、胎児・未就学児を対象に1人あたり5,000円分の図書カードを配布している。北海道江別市でも、子育て世帯応援図書カード配布事業として、0~18歳を対象に、2023年には10,000円、2024年には5,000円の図書カードを配布している。対象年齢や金額は違っても、「子どもに本を」という芯の部分は共通しているのだ。そこに自治体の意思が見える。
 これらはいずれも「物価高騰対応重点支援地方創生臨時交付金」を活用して図書カードを配布する事業である。交付金という言葉は硬いのだが、やっていることは、物価高騰の影響を受ける生活者を支え、地域の消費や事業者を下支えするために、自治体が地域の実情に合わせて使い道を設計するということなのだ。現金を配ることもできるなかで、図書カードという手段を選ぶ自治体があるのは、支援の目的を「子どもの読書」や「学び」にきちんと結びつけたいという意図があるからだろう。
 図書カード配布という施策は、現金給付ではなく使途を一定程度誘導できるギフトカードであることがポイントで、子どもの学びや読書に確実につながりやすい点にある。現金は自由で、その自由さが生活を守る力にもなるのだが、目的を「本」に寄せたいときには、図書カードのほうがまっすぐ届く。
 子どもが「自分のために用意されたもの」として受け取りやすく、親も「せっかくだから一緒に選ぼう」と言いやすく、支援が家庭の会話を生み、何が好きか、どれにするか、読み終えたら教えてほしい、という短い言葉が家の中に増えていくことまで想像することができる。
 さらに、図書カードは書店に人を連れてきてくれる。ここが大事なのだ。書店は、本だけの場所ではなく、学用品や文具を扱う店も多く、参考書も雑誌も地域の棚もあり、平台には季節が並び、レジ前にはつい手に取ってしまう一冊が置かれている。ネットで買うのとは違って、偶然があり、寄り道があり、出合いがある。出合いは検索ではつくりにくいのだ。棚の前で立ち止まったときに生まれ、ページをめくったときに生まれ、店員のひと言で生まれることもあるだろう。
 そう、書店は本との出合いの装置なのだ。

 子どもが「ここに来れば何か見つかる」と思える場所が、まちにあること。公共図書館とも違い、学校とも違い、学校図書館とも違い、家とも違うけれど、どれともつながっている「場」なのだ。場があると、人は育ち、文化は蓄積される。場がなくなると、蓄積が途切れ、途切れたものを戻すのは難しくなる。だから、書店が減っていく現実のなかで、自治体が「書店に人を戻す」導線をつくる意味は極めて大きい。図書カード配布は、子ども支援であると同時に、書店支援の側面もあるのだ。
 だからこそ、国の書店振興プロジェクトが立ちあがったときから、僕たちは一貫して図書カード配布事業の有効性を訴えてきた。
 そういえば最近、国の書店振興プロジェクトの状況を見聞きする機会が極端に減少したような。一区切りついたということなのかな。それとも、水面下で進んでいるのだろうか。

 また脱線してしまった。
 フランスには、若者に文化体験のためのクレジットを付与する「文化パス」という制度があるのだ。日本でも文化パスを、という機運が高まった時期があったのだが、国が文化の対象範囲を全国一律で線引きし、運用し続ける難しさと、大規模な行政と運営主体の常設オペレーションが発生することから、同じ形では動き出せなかった経緯は聞いている。理想を語ることは大切なのだが、動かすためには現場の手触りに合う仕組みが必要なのだ。全国一律の巨大制度は、その手触りを保つのがどうしても難しくなる。
 その点、図書カード配布は現実的だ。自治体が対象年齢や配布額を決められ、地域の実情に合わせられ、小さく始めて改善しやすい。大きな理想を掲げて止まるより、できる形で動き、子どもたちの時間に間に合うようにまず届けるのだ。まず出合いを届け、まず場につなぐのだ。そういう姿勢が、結果として地域の文化を守る力になるのではないだろうか。
 僕たちは、より多くの自治体に図書カード配布事業を実施してほしいし、そして、その地域に図書カードで買い物ができる店が残っていくことを願っている。そのために、これからも各自治体に声がけを続けていきたいと思う。


田口幹人(たぐち・みきと)
1973年岩手県生まれ。盛岡市の「第一書店」勤務を経て、実家の「まりや書店」を継ぐ。同店を閉じた後、盛岡市の「さわや書店」に入社、同社フェザン店統括店長に。地域の中にいかに本を根づかせるかをテーマに活動し話題となる。2019年に退社、合同会社 未来読書研究所の代表に。楽天ブックスネットワークの提供する少部数卸売サービス「Foyer」を手掛ける。著書に『まちの本屋』(ポプラ社)など。


「読書の時間 ─未来読書研究所日記─」連載一覧

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