ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第29回
お願いだから、燃やせ。
さらに芸能人ともなれば、己の顔面が印刷されたものが捨てられているという事態にも遭遇することがあるだろう。
つまり、誰かのお気持ちを考慮したら何も捨てられなくなってしまうということである。
よって、自分が関わったものが無下にされている姿は出来るだけ目にしないよう努力し、あとは遭遇しないように天に祈り、見つけたら抱きしめるしかない。
もしくは、売られているということは「買った奴が存在する」ということだ、とポジティブに考える。買った奴がいなければ売られることも捨てられることもなく、知らないところで断裁されるだけだ。
自分の本が売られている=読者が離れたことを意味するのだが、それ以外でも、ネットの普及により読者離れが作家にわかりやすくなってしまった。
前にネットやSNSなどにより、読者は作家との距離が近くなったと言ったが、逆に作家も読者が近くなったのだ。
ファンが多い作家ならいちいち読者を把握したりしないだろうが、ド地下アイドルが3人しかいないファンとズブズブになってしまうように、読者数が少ない作家は把握したくなくても把握できてしまうのである。
すると、今まで必ず新刊を買ってくれて感想を書いてくれていた読者が徐々に自分の作品のことを話題に出さなくなっていくという現象をつぶさに見つめ続けることになってしまう。
もちろん自分もSNSで軽率にソシャゲにハマり、軽率にやめる姿を晒しているので全く責めることはできない。
しかし今でさえ「俺の漫画は誰か読んでくれているのか」という疑問にぶち当たることがあるのだから、ネットがない時代の作家はもっと「無読者疑惑」に苛まれていたと思う。
それを考えると3人でも見つけられるネットがあって良かった。
人の興味は移ろいゆく。読者に永遠の愛を誓わせることなど不可能だ。
ただ「フォロー解除はブロックで」とお願いするように、「手放す時は燃やしてください」とお願いすることしか出来ないのだ。