ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第30回
大概、出版社か、担当編集者に対してである。
もちろん告発で見るような酷い編集者が実在しないわけではない。
そういう、酷い編集者の話はたびたびツイッターを賑わすのだが、そういう話題になるたびに「幸い自分は編集者に恵まれていますが…」とツイートする作家も毎回現れる。
おそらく、そのツイートは担当に鋭利な刃物を突き付けられながら投稿しているのだと思うが、本当に特に担当と揉めたことがない作家、むしろ恵まれていると感じている作家も存在するのだ。
つまり、担当編集というのは当たりハズレがデカいということである。
相手が単純にクレイジーサイコ高学歴ということもよくあるが、ただ「相性」が悪かった、という場合もある。
ボニーとクライドが出会ったかのように、そういうインテリ殺人鬼みたいなタイプと良い仕事をする作家もいる。
逆にお互い有能でも「貞子」と「伽耶子」だったら「VS」するしか道はない、という話だ。
そういう相性が悪い相手と仕事をしてもお互いあまり良い事はない、よって一応作家には「担当を代えてくれ」と言う権利がある。
一応デビューした時に「担当を代えたい時は編集長に言え」と言われたので言って良いのだと思うが、言ったことがないので、本当に代えてもらえるかは知らない。
しかし、デリヘルにさえ「チェンジ」と言うのはなかなか勇気がいるという。こちらが金を払う立場でですら難しいというなら、貰う立場なら尚更である。
だが逆に、編集者が作家を代えられるシステムだったら大変だ。鬼滅の刃の担当が32人ぐらいになってしまう。
1つ言えることは「厳しい」ではなく「恐怖」を感じるような編集者は代えた方が良い気がする。
親が高圧的だと、子どもが親を怒らせないためだけに行動するようになってしまうように、担当を怖いと感じると、担当にダメだしされない、担当が気に入る話だけを描くようになってしまうだろう。
たった一人のために作品を描くなんて、病床に伏した運命の相手にぐらいしかありえないだろう。
編集者は運命の相手ではない。運命だとしたら、担当は前世、吉良上野介、こちらは浅野長矩というパターンのみだ。