ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第4回

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第4回

漫画家になる前は「〆切り」という現象に
憧れすら感じていたのに。

よって漫画家になる前は、この「〆切り」という現象に、憧れすら感じていた。
漫画家が主人公の「漫画家漫画」を読んでこの「〆切りに追われる描写」「修羅場」が出てくると「ウオー!漫画家っぺー!!」と、中学生男子が巨乳を見たかのような興奮を覚えた。

この〆切りに追われ、後ろで修羅像のような顔をした担当が詰めているという「三十三間堂かよ」という状況こそ「漫画家」であり「かっこいい」とさえ思っていた。

実際、趣味で漫画を描いている内はこの「〆切り」という事象も楽しみの一つと言えなくもない。
物書きにも、生活の手段として書いている者と、趣味で書いているものがいる、たとえ趣味でもイベントで売る同人誌を作るという場合は「〆切り」が存在する。

私の主観だが、SNSなどで「〆切が…」や「かつてない修羅場」等、〆切りに追われる辛さを書きこんでいるのは、趣味で描いている人が多く、職業作家の人はあまりそういうことは書いていない印象がある。
何より私も、同人誌を作る時は「まだ白紙が10ページも(-_-;)」などと逐一やばさ加減を実況したくなるのだが、仕事の原稿の〆切については全くそんなこと書く気にならない。

つまり趣味における「〆切り」というのは登山の8合目みたいなもので、辛いには辛いが、その先には「完成」という絶景が待ち受けているためその辛さも醍醐味の一つと言えなくもなく、せっかくだから「今一番辛いところです!」とSNSでアピールしておきたくもなるのだ。

それが仕事になると全く楽しくないのだ。最初の内は「漫画家っぽい」という興奮があったかもしれないが、今はただただ楽しくない。そして今まさに楽しくない。
そんな楽しくないことを、わざわざギガを消費してネットに書く気など毛頭起こらないのだ。

無視してよい自称人生のパイセンのアドバイスランキング堂々第1位に「好きなことは仕事にしない方が良いよ」というのがある。

好きなことを仕事にして未だに大好きだという異常者はこの世にいくらでもいるし、むしろ漫画家として大成している人はこの手の変態が多い。(当社調べ)

好きなことを仕事にして楽しくなくなるかどうかは、やってみなければわからないし、何もしたいことがない、そもそも働きたくない、でござる、ゼッタイ、と薬物乱用防止ポスター状態になっている者に比べれば、好きなことがあるから、それを仕事にしたいと思うのは実に前向きなことである。

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カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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