ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第86回

ハクマン第86回
私も夫や実家のことは
エッセイに相当書いており、
もちろん無許可だ。

私も小6でウンコを漏らした時は「これは一生の秘密」と思っていたが、気づけば3回ぐらいその話をしてしまっている。

その時は「締め切りに間に合ってよかった」という安堵しかないのだが、時間が経ってから猛烈に恥ずかしくなることはある。
しかし現代において一度世に出したものを完全に消し去る、というのは地球ごと消滅させなければほぼ不可能である。

そして人間というのは時間と共に考えが変わることもある。しかし世の中には「考えが変わった」という言い訳を許さない人もいる。
よって一度エッセイに「ゴボウとレンコンならゴボレン固定ですね。正直レンゴボの人は足の裏に目がついているとしか思えない(笑)」と書いてしまった後、唐突にレンゴボに目覚め「レンゴボ良いですよね」と書くと、ゴボレン、レンゴボ両陣営から吊し上げをくらい、野菜界隈から永久追放となってしまう。

またフィクションであれば「主食が生娘の心臓の赤子の脳みそ漬け」という残虐非道なキャラクターを出しても、それを作者の人間性と直接結びつける読者は少ないだろう。

しかしエッセイは作者の人間性と直通である。
認識の違いから「地元では腕利きの万引き小僧として有名で単騎で書店を潰した」という話を武勇伝風に語って大炎上することもしばしばだ。

おそらく量刑的には生娘と赤子を踊り食うより万引きの方が軽いと思うのだが、作者が負うダメージは、キャラの虐殺より本人の万引きの方が格段に重いのである。

それでも自分で自分の話を書いて燃えるのは自己責任である。だがそれを他人でやったら他人が怒るのは当然だ。

よってエッセイをやる人間はできるだけ自分のことを書き、他人を書くときはそれなりに気を使っている場合が多い。

ここで被害を被りやすいのが「エッセイをやる奴の家族」である。
他人には気を使うエッセイをやる奴も家族に対しては「家族だから良いだろう」という甘えから、無許可かつかなりディープなことを書いてしまうのである。

私も夫や実家のことは相当書いており、もちろん無許可だ。

家族なら大丈夫かというと、当然相手は自分とは違う人間であり人権があるので、今回のように告発されることもあるし、いつもは実家で会っていた親族と、家庭は家庭でも家庭裁判所で面会する事態になることもある。

家族を軽い気持ちでネタにしてしまうのは、家族なら許してくれるだろうという甘えもあるが「家族は俺の書いたものなど読んでないだろう」という油断もある。

実際夫は私の仕事に関して何か言ってくることが全くない上、愛読書がジャンプマガジンサンデーという私と宇宙一関係ない雑誌なので、見ていないものとして割と好きに書いてきた。

しかし、ある日突然夫のラインのアイコンが私の漫画のコマの切り抜きになっており、さらに夫の枕元に夫が出ている私のエッセイ漫画が置かれていた。

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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