ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第88回

ハクマン第88回
才能を見つけるのも大事だが、
才能がないと理解することも
大事である。

BBA自身が、前歯の隙間から飴ちゃんを出して見せるなど、BBAの自虐ギャグを率先してやってしまうと、BBAは笑ってよい存在という世間の意識は変わらないし、これからBBAになるミニBBAも右に倣わなければいけない圧力が発生し、それに準じないと「BBAのくせに生意気だ」というジャイアニズムが猛威を奮ってしまう。

最近、実写化のキャストが発表され「飛影はそんな髪型しない」と話題沸騰中の幽遊白書に躯というキャラクターがいる。
私は幽遊白書の中ではこの躯様が一番好きである。
躯は女性キャラであり、凛とした美女なのだが、凄惨な過去をもち、右半身が完全に焼け爛れている。
しかし彼女は「この右半身はオレの誇り」と言い切り、それが余計彼女を美しく見せているのだ。

私も躯様に憧れる身として、この「焼け爛れている」としか言いようのない有職時代を隠すことなく、逆にこの時代が、現在私の無職としての深みを出しているという態度でいかなければならない。

むしろ、闇があるから光があるように、有があるからこそ無があるとも言える。
生まれた時は誰しも無職である、しかし失って「無」になったわけではなく、最初から何もなかっただけなのだ。
喪失による「無」になるには一度「有」を経験する必要がある。

つまり私は「持たざる者」そして「失いし者」両方の称号を持つ無職ということだ、私にとって有職の過去は傷であり、勲章なのである。

実際、今の専業無職状態になる前に、会社員経験をしといて良かったと思う。

その経験が今の漫画に生きている、ということは全くないが「自分に社会人の才能がない」と、言葉ではなく魂で理解することができた。
ちなみに学生時代は「デザインの才能がない」ということを理解するためにデザイン学校に通っていた。

己の才能を見つけるのも大事だが、才能がないと理解することも大事である。
人間というのは向いていないことをやると過度のストレスを感じてしまうし、周囲にも「なんでこいつ領収書出すのがこんなに遅いんだ」というストレスを与えてしまう。
つまり、社会からストレスを減らすには「適材適所」が非常に大事なのである。

私のようにどこにも適所しない、何に使うかわからないままずっと存在するネジ、みたいな人間も大勢いるが、それでも「絶望的に向いていない仕事」を回避し「辛うじてできる仕事」につくことは可能である。

わざわざ、トラウマやそれに対する嫌悪を植え付けるだけの、体育や音楽、創作ダンスの授業はなくした方がよいという意見もあるが、あれはあれで「自分はダンスの道に進むべきではない」と早めに判断するためには必要だったりする。

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第201回