ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第88回

ハクマン第88回
才能を見つけるのも大事だが、
才能がないと理解することも
大事である。

「小栗くん童貞だったことある?」

これはあまりにも童貞の気持ちがわかっていない、小栗旬に対して発せられた名言である。
確かに小栗旬ともなれば生まれた時から童貞じゃなかった可能性は十分にある。

しかし、我々は皆生まれる時に女性器を通過しているのだ。
しかも、体の一部を入ったかと思ったら出す、どっちつかずな態度を取り続けた上に「やっぱ今日はやめとくわ」と、小さくなって帰っていく行為に対し、こちらは体全体で、しかも内側から躊躇なく貫通してきているのだから、やっていることはこちらの方が高度である。

つまり我々は生まれながらにダイナミック童貞喪失しており、そういう意味では私も童貞ではない。
しかし、そうなると「帝王切開はどうなるんだ」という論争が起こってしまうため「生まれた時の1回はノーカン」が暗黙のルールになっているのだろう。

何が言いたいのかというと、いつも通り言いたいことなど何もないが、先日 Twitter のスペースで、フルタイムの会社員をしながら漫画家をやっている人と話す機会があった。

その時、私が昔書いた「兼業作家を続ける理由」を読んですごく共感したと言われたのだが、自分が何を書いたのか一文字も思い出せなかったし、なんだったら自分が兼業作家だったということも忘れていた。
小栗旬が生まれながらに童貞じゃなかったかのように、私も無職としての貫禄がありすぎて、生まれながらの無職だったような気がしていた。

冷静に考えれば、人間生まれた時は皆無職なのだが、無職は捨てるものではなく「死守」するものである。
つまり「無職」と書いて「誇り」と読むのだ。

それを捨てて職についていた時期があったというのは私にとってはもはや黒歴史なので、無意識のうちになかったことにしていたのかもしれない。

しかし逆に言えば童貞だって、捨てられないのではなく守っているのだと言えるのだ。
最近は童貞が馬鹿にされるのはおかしいし、童貞いじりはそろそろやめるべき、という風潮も強くなっているが、そのためにはまず童貞自身が堂々とする必要がある。

目的地に着くまでに何回職質されるかを競っているとしか思えないパリコレの服だって、モデルが「俺がこの瞬間世界で一番オシャレ」という顔で着ているから、こちらが逆に「このオシャレさを理解できない俺が世界一ダサい」と恥じいってしまうのである。

つまり、それを誇りとするか恥とするか決めるのは、いつでも自分自身だ。
自分が恥ずかしがるから、それは恥となり、周囲もそれに乗っかって馬鹿にするのである。

人に馬鹿にされたくなければ、まず自分が自分を馬鹿にするのをやめなければいけない。

よって、私も生涯無職を貫けなかったことを恥じていてはいけないのだ。
むしろ私がそういう態度をとると、次世代の有職の過去を持つ無職も肩身の狭い思いをする。

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第201回