ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第95回

ハクマン第95回
ついに。
部屋に○が現れた。

それの何が問題なのか、素人にはわかりづらいかもしれないが、エベレストも山頂付近になると10メートル登るのに1時間かかるし、滞在しているだけで体力がなくなっていくのだ。
私の部屋はそれと同じ「デスゾーン」であり、パソコンが置いてある机から出口まで1メートル強しかないがその間に数々の難所が待ち受けているし、免疫力が低い人間だと入っただけで咳とかが止まらなくなる。
まず床の物をどかす、という土木工事の必要があり、やるとしたら国が予算消化のために道路を掘り返しはじめる3月ぐらいに合わせるのが好ましいだろう。

だがそんな悠長なことは言っていられない事件が起こった。

部屋にGが現れたのである。

Gとは、あの昆虫のことだが名前も聞きたくないし、想像もしたくない人が多いと思われるので、ここは便宜上「ゴリラ」とでも思ってほしい。

ある夜、何か物音がすると思ったら、そこにはかなり大きめのゴリラがいたのだ。
不思議と驚きはなかった。「その時の筆者の心境を答えなさい」という国語の問題であれば「ついに」が正解である。

部屋の状況的にはいつ出ても不思議ではなかった。「意外と遅かった」でも△ぐらいはつけてもらえるだろう。
だが「平気」というわけではない、正直私はゴリラに一人で対処することができない。
部屋の外なら夫に何とかしてもらうところだが、私の部屋の中に関しては夫も「不可侵」を宣言してしまっているため、助けを呼ぶわけにもいかない。

しかし、身体能力では圧倒的にゴリラに劣る人間だがこちらには「知恵」という武器がある。よって私はその最大の武器を駆使して「自分が部屋を出ていく」という英断をくだすことができた。

どちらかというと、ヒモ野郎がケンカで「出てけよ!」と言ったらさらにドスのきいた声で「てめえが出てけよ?」と言われたような状況だが、これは戦略的撤退だ。

とりあえず私はアイパッドだけ持って部屋をゴリラに明け渡した。

どこでも仕事ができる、というのがアイパッド最大の利点だが、どうせ私は部屋から出ないのでその利点を生かすことはないと思っていたが、この時ほどアイパッドで良かったと思ったことはない。
デスクトップだったら詰んでいた。

ともかく、いつゴリラが登場するかわからない部屋で仕事をするのは無理だし、だからといってゴリラを自力で仕留めるのも無理である。
よって一旦、みんな大好きブラックキャップを豆のようにまいたあと、バルサンで一度部屋全体を浄化したのち、再度ゴリラが出現しないように部屋を片付けることにした。

家屋へのダメージが少ない水バルサンを通販で購入し、それが届くまでアイパッドを使い別の部屋で仕事をすることにした。

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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◎編集者コラム◎ 『バタフライ・エフェクト T県警警務部事件課』松嶋智左