【クイズで学ぼう】“異化”ってなんだ? 小説用語を徹底解説
小説についての批評や感想文の中で用いられる、“異化”、“異化効果”という小説用語・批評用語。この“異化”を解説するとともに、“異化”の手法を使った現代小説やライトノベル、短歌をクイズとしてご紹介します!
小説についての批評や感想文の中で、“異化”、あるいは“異化効果”という言葉に出合ったことはありますか?
“異化”とは、ソ連の文学理論家であるヴィクトル・シクロフスキーによって概念化された小説用語・批評用語のひとつ。今回はこの“異化”について、実例を挙げながら解説していきます。記事の後半では、実際に“異化”が用いられている現代小説やライトノベル、短歌などの作品を、オリジナルのクイズ形式でご紹介します!
異化とは、見慣れたものを“見たことのない変なもの”に変える力
まずは“異化”の正体に迫るため、この用語を最初に概念化した人物であるヴィクトル・シクロフスキー自身による解釈を見てみましょう。“異化”(原語では「アストラニェーニエ」)はもともと、1910年代から1930年代にかけて起きた文学運動、ロシア・フォルマリズムの中で生まれ、シクロフスキーによって初めて概念化された用語だとみなされています。
シクロフスキーは、1917年に発表した「手法としての芸術」という論文の中で、“芸術の最も重要な目的”について以下のように述べています。
芸術は、人が生の感触を取り戻すために存在する。それは人にさまざまな事物をあるがままに、堅いものを「堅いもの」として感じさせるために存在する。芸術の目的は、事物を知識としてではなく、感触として伝えることにある。
……「事物を知識としてではなく、感触として伝える」というのは、少々分かりにくい表現かもしれません。ここで、シクロフスキーが実際にこの論文で例として挙げている、トルストイの『戦争と平和』の中の一節を見てみましょう。
多くの人間が走り出てきて、さっきまで白い衣装を着ていたのに今では空色の衣装を着ている娘を引っぱっていこうとしていた。だが、すぐには引っぱっていかず、しばらく娘と一緒に歌を歌ってから引っぱっていった。
この奇妙な文章は、実はヒロインのナターシャ・ロストワが劇場でオペラを見ているシーンの描写だ……と言われたら、納得する読者の方も多いのではないでしょうか。
多くの人間がひとりの娘を“引っぱっていく”必要があるのに、それをすぐにはせず、なぜか“一緒に歌を歌ってから”引っぱっていく。舞台の上では当たり前と思える振る舞いが、オペラを見たことも聞いたこともないような人間の視点で文章化されることによって、まったく違った世界の出来事のように思われる──。この効果こそ“異化”だと、シクロフスキーは言います。異化とはつまり、見慣れたものを、見たことのないおかしなものに変えることなのです。
“異化”されたものごとは、読者に世界の新たな見方を与える
では、なぜこんなに回りくどく奇妙な言い回しをあえて使う必要があるのでしょうか? それはひと言で言えば、日常生活の中の慣習や決まりごとが、私たちの感覚を鈍らせてしまうことを避けるためです。
イギリスの作家・英文学者であるデイヴィッド・ロッジは著作『小説の技巧』の中で、“異化”のもたらす作用を説明するために、シャーロット・ブロンテの『ヴィレット』という作品を引き合いに出しています。
そこに描かれている女性は、等身大よりもかなり大きめに見えた。私の目算によれば、質量が評価基準となる商品にふさわしい計量単位に換算して、まず確実に体重が九十から百キロはあろうかと思われた。(中略)彼女は、理由はよくわからないが、長椅子にもたれかかるような感じで寝そべっており、その周りには日の光が燦々と降り注いでいる。血色もよく、普通の料理人二人分の仕事を軽くこなしそうなほど頑健そうに見え、とても腰が悪そうには見えない。(後略)
──シャーロット・ブロンテ『ヴィレット』(1853)
このシーンで主人公、ルーシー・スノウの視点によって描かれている絵の中の女性は、名画『クレオパトラ』。デイヴィッド・ロッジはルーシー・スノウが“異化”してみせたこの絵の描写の効果について、以下のように語っています。
ここで鑑賞されている絵画は、神話や歴史から題材を採ることによって、その威圧的な大きさによって、そして洗練された文化に属することを示すコード化されたさまざまな記号に酔って、言わば「名画」となった堂々たる裸婦画の典型である。(中略)シャーロット・ブロンテはその絵を女性の本当の生活という文脈の中に置き、それを鑑賞する際の「慣習」を形作ってきた美術史や芸術鑑賞の言説を無視し、真実の姿をあるがままに描写してみせるのだ。
名画の中の女性といえば、理由は分からないが決まって長椅子に寝そべり、豊満な体に薄い布をまとっているもの──。
私たちはいつしか常識によって、ものの見方をそんな風に固定化されてしまっていないでしょうか。読者は、作品の中で常識をものともしない登場人物たちに出合い、彼ら・彼女らの“異化”した世界に触れることによって、固定概念を捨て新たな視点を獲得することができるのです。
……ここまでで、“異化”という概念の基本的な意味やその効果はお分かりいただけたことと思います。後半では、実際に“異化”が用いられているさまざまな現代作品を、クイズ形式でご紹介していきます!
【Q1】実際に動いている時間はおよそ“10%”。役立たずな機械とは?
【第1問】
次の文章は、スミレとココアという2匹の猫が会話をしているさまを描いています。2匹が話題に挙げている「〇〇〇」とは何か、推理して答えてください。
スミレが鼻をうごめかせていった。
「機械油の匂いがするね。自分で走れる速さで十分なのに、ヒトはどうしてこんな機械をつくったんだろうね。わたしたち、いつも踊り場の窓からここを見ているよね。〇〇〇って、ほんとに動かないよね。何割くらいだっけ」ココアも刺激的なマシンオイルの匂いをかいだ。
「実際に〇〇〇が動いてる時間は十パーセントもないわ。〇〇〇というより自停車ね。ヒトはこんなものをつくったうえ、わずかなボディサイズの違いにノミの背伸びほどの極小サイズのプライドをかけている」
【解説】
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この問題は少し簡単すぎたかもしれません。引用したのは石田衣良による短編作品、『ココアとスミレ』からの一節です。
ココアとスミレという仲良しの猫2匹は、近所の散歩道を歩きながら、自分たちをとりまく景色についてあれこれと思いを巡らせます。そして、道端で自動車を目にした2匹は、普段ほとんど稼動することのないその機械を皮肉を込めて“自停車”と呼ぶのです。猫の目から人間社会を風刺的に描いた本作には、ハッとするような視点が詰まっています。
ところで、“猫の視点から人間社会を描く”と聞けば、まず初めに夏目漱石の『吾輩は猫である』を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか(『ココアとスミレ』も、『吾輩は猫である』をオマージュした作品集『吾輩も猫である』の中の1篇です)。
『吾輩は猫である』、そして『吾輩も猫である』のように、動物の視点を借りて日常風景を違ったものに見せるというのは、“異化”の代表的な手法のひとつ。動物の他にも、子どもや世間知らずな人物、好奇心旺盛な人物に物事を描写させることで、効果的な“異化”を狙うというケースが小説では多く見られます。
【Q2】真っ白でふわふわの、甘くて冷たい“雲”とは?
【第2問】
次の文章は、アーデルハイドという幼い帝国の皇女が、人生で初めて“ある食べ物”を食べたときの描写です。“ある食べ物”とは何か、推理して答えてください。
帝国の皇女、アーデルハイドは子供の頃、雲を食べたことがある。
それがなんなのかは、アーデルハイドには分からなかった。
ただ、食べるのがもったいないと思うほど綺麗で…そんな気持ちが一口食べただけで消え去ったのは鮮やかに思い出せる。
はじめてたべるそれはまっしろななかにくろいもようがあってふわふわしてやわらかくてあまくてつめたくて…
とにかく今まで食べたどんなものより美味しかったと言う記憶しかない。
【解説】
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小さな子どもがチョコレートパフェを“雲”と表現する、なんとも愛らしいこの描写は、犬塚惇平によるライトノベル『異世界食堂』の中の一節です。特定の曜日にだけ“異世界”と繋がってしまう不思議な洋食屋を描いたこの作品は、2017年にはアニメ化もされ、大きな話題を呼びました。
ごく普通の主人公がひょんなことがきっかけで“異世界”に転生し、そこで自分の性格やスキルを活かして活躍するという“異世界転生もの”は、ライトノベル・アニメのジャンルとして近年人気を集めています。
“異世界転生もの”の作品の中では、非常に頻繁に“異化”表現が見られます。それは、普段“当たり前”と思っている私たちの世界の光景を、“異世界”から来た登場人物たちが面白がり、奇妙なものとして捉えてくれるからに他なりません。
【Q3】どこか神秘的な、“呼吸する色の不思議”とは?
【問題】
次の現代短歌を読んで、“〇”に当てはまる言葉を推理してください。
呼吸する色の不思議を見ていたら「〇よ」と貴方は教えてくれる
【解説】
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呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる
この神秘的ながらも優しい一首は、ニューウェーブ短歌を代表する現代歌人・穂村弘の歌集『シンジケート』の中の作品です。この短歌の中では、“火”というものが“呼吸する色の不思議”と異化されて描かれています。
穂村弘の作品の中には他にも、
指さしてごらん、なんでも教えるよ、それは冷ぞう庫つめたい箱
など、“冷蔵庫”を異化して描く短歌も存在します。
“異化”は、現代短歌の中にも頻繁に登場する技法です。それは、現代短歌、ひいては詩が、誰もが分かっているけれど普段は見落としている言葉の働きを、改めて読み手に認識させるものであることの証明とも言えます。
おわりに
用語解説とクイズを通して、“異化”という概念についての理解は深まったでしょうか。デイヴィッド・ロッジは“異化”について、『小説の技巧』の中で以下のように語っています。
異化とは、つまるところ「独創性」の同義語である。
私たちが「知識」として頭の中に持っているものを、一瞬にして現実の生々しい「手ざわり」に変えてしまう技法、“異化”。異化は、すべての表現者にとって、世界をいかにリアルに、新しく見せるかという腕の見せどころでもあるのです。
次に小説を手にとる際は“異化”に注目し、その作家独自の視点や表現を楽しみながら読書をしてみてはいかがでしょうか。
【参考文献】 デイヴィット・ロッジ『小説の技巧』 |
初出:P+D MAGAZINE(2018/08/06)