滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第7話 カゲロウの口②
摂食することもなく、そのまま死んでいく。
カゲロウは何のために生きるのだろうか。
噴水を見に行くか訊(き)いても、芝生で日光浴するか訊いても、年配の男性たちが集まるベンチに行くか訊いても、一蹴するだけだった。本を取ってくるから読むかと、ミスター・アロンソンにとって最後の砦(とりで)を切り出しても、「どうせ結末はわかっているんだから、本なんか読む価値はない」といとも簡単にはねつけた。ミスター・アロンソンによると、何もかもが無駄で無意味で空虚なのだ。
でも、唯一の楽しみだった読書がなくなったら、ミスター・アロンソンはこれからいったい何をして毎日を過ごしていけばいいのだろう。そうやって一つ一つ排除していったら、ミスター・アロンソンの人生はますますスカスカになっていって、ますますつまらなくなっていくだけだ。
ミスター・アロンソンの苦々しい気持ちが伝染して、心に真っ黒な雲が広がっていった。
本を読むのは、結末を知るためでなくて、読むプロセスを楽しむためじゃないですか、そうでなきゃ、本のあらすじだけ読んだらいいんじゃないですか、人生だって、生まれてから死ぬまでの途中経過が肝心なはずじゃないですか、そんなに途中が無駄だったら、生まれてすぐに飛び越して死んじゃったらいいんじゃないですか、と、つい、言ってしまいそうになった。ミスター・アロンソンを連れ出したことを後悔して、もう二度と外へ出ようなんて言わないでおこう、と思った。ミスター・アロンソンの皮肉っぽい気持ちが伝染してきて、こっちまで生きているのが辛くなってくるから。
──空の空、空の空、いっさいは空である。日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。彼は母の胎(はら)から出てきたように、すなわち裸で出てきたように帰って行く。彼はその労苦によって得た何物をもその手に携え行くことができない。人は全くその来たように、また去って行かなければならない。これもまた悲しむべき悪である。風のために労する者になんの益があるか。人は一生、暗やみと、悲しみと、多くの悩みと、病と、憤りの中にある──。「伝道の書」が頭に響く。
結局、「こんなところにいても仕方ない」と言って、ミスター・アロンソンは、閉めっきりの、腐った野菜の匂いのする、暗くて散らかり放題のアパートへと帰っていった。