滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第7話 カゲロウの口④
人生は、指の間からこぼれ落ちる砂みたいに、
サラサラと流れ落ちていく。
ミスター・アロンソンには常に「マイ・ブーム」というのがあって、一時は、物理学者の書いた、存在と無についての哲学的な本を集中して読んだこともあったし、またあるときは、死後の世界についての本を読みあさったこともあった。それから、ホロコースト・ブームが到来して、送られてくる本のほとんどが収容所の生存者たちの手記になった。ホロコースト関連の本は、3便か4便、続けて送ったと思う。
ウルグアイでも、満足のいく本屋がない、など、いろいろな不満があるみたいだけれど、労働賃金の低い南米だから、住み込みのお手伝いさんも雇える。息子のデニスがペルーで見つけたお手伝いさんに、わざわざウルグアイまで行ってもらったおかげで、掃除の行き届いた清潔なところに住め、食事も用意して片付けてくれるし、外へ行くときは車椅子を押してくれるしで、ミスター・アロンソンも、ニューヨークにいるよりも快適な生活ができることになった。それに何よりも、お手伝いさんのドラは、気難しいミスター・アロンソンを受け止められる器量のある人らしかった。
モンテビデオのカフェに杖をついて行って、たむろしている老人たちと会話を楽しむ、という当初の計画は実行していない気配だし、眠れないだの逆まつげで目も開けられないだの、やっぱり難儀なことが多いらしいが、少なくとも、周りにだれか人がいるということで、それほど孤独ではないだろう。ウルグアイに行ったのは正解だったと思う。
などと思っていたら、11月になって、デニスからメールがあった。
「金曜の朝、父は息を引き取りました。
ぼくは今夜モンテビデオに飛びます。
ミーガンは、火曜に来ることになっています。
父は、木曜の夜、床について、金曜の朝、目覚めることはなかったと聞いています。
静かな、平和な死だったようです」
信仰心はなかったミスター・アロンソンだったけれど、その後、間もなくユダヤ教の儀式で、青春を過ごしたウルグアイのユダヤ人墓地に葬られた。