滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 特別編(小説) 三郎さんのトリロジー⑤

滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ

よい条件の転職を、
「せっかくですが、いいです」と断る三郎さん。
使命感に燃える私は説得をし続けた。

「ね、だからね、言ったように、これは三郎さんにとっていいことずくめなのよ。お給料も上がるし、それに、大きな会社だから、ある日突然、会社をたたみますってなことにもならないし。だって、銀子さんによると、高柳は今にもつぶれそうな会社なんでしょう。ホームセンターの人たちもいい人たちばかりで、すごく働きやすいところなのよ」

 言いたいことを言ってしまうと、コップに入っていた氷水を飲んで、三郎さんの返事を待った。

 三郎さんは、天井に目をやってから、弱々しく息を吐くと、

「せっかくですが、いいです」

 とぼそっと言った。

 どこからどう見てもこれ以上いい話はないというぐらいいい話を断るなんて、三郎さんは何を考えてるんだろう。

「三郎さん、わかってるの、何もかもが今よりずっとよくなるのよ。お給料だって、条件だって、環境だって。高柳じゃ残業やっても残業手当ももらえないでしょう。そんなのもちゃんともらえるんだよ」

 それからなぜ三郎さんが高柳をやめるべきなのかを力説したのだけれど、しかし、三郎さんはあんな問題だらけの高柳商店にいても何ら問題がないようなことを、ふにゃふにゃと言うだけだった。

 そんな三郎さんが歯がゆくて、

「安月給でこき使って、三郎さんの仕事ぶりをきちんと評価しないようなところのどこがいいの。あそこにいて、ある日突然、クビになったり、会社がつぶれたりしたらどうするの。銀子さんは、三郎さんにはそろそろやめてもらわないとって言ったんだよ」

 いつの間にか、声が尖(とが)っていた。三郎さんを何とかしてあの環境から救い出さねばならないという使命感に燃えていたのだ。

 しかし、あろうことか、三郎さんはくねくねとして一向に話に乗ってこないのだった。

 それでもあきらめずに、何度か待ち伏せして三郎さんを説得し続けた。

 最初はけっして首を縦に振ることのなかった三郎さんも、

「これもみんな三郎さんのためを思ってのことなんだよ。悪いことは言わないから、話だけ聞きに来たら」

 と言っているうちに次第に耳を傾けるようになり、とうとうホームセンターに面接に来させるのに成功したのは、年の瀬も押し迫ったころのことだった。

 いったん面接に来るや、人事課長と造園担当主任の間でトントン拍子に話が進み、三郎さんは、押し切られるような形で、2月の頭から働くことになった。

 何が何だかよくわからないようすの三郎さんに、

「三郎さん、これで万事うまくいくんだよ」

 と声をかけると、三郎さんは少々ためらってから、まるでヘチマが風にゆれているみたいな感じで、へほへほと笑った。

「最初のひと月は研修期間だから、三郎さん、肩の力を抜いて、あせらずにね」

 別れるとき言うと、三郎さんは、また、へなっと笑った。まるで泣いているみたいな笑い方だった。
 

(つづく)
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桐江キミコ(きりえ・きみこ)

米国ニューヨーク在住。上智大学卒業後、イエール大学・コロンビア大学の各大学院で学ぶ。著書に、小説集『お月さん』(小学館文庫)、エッセイ集『おしりのまつげ』(リトルモア)などがある。現在は、百年前に北米に移民した親戚と出会ったことから、日系人の本を執筆中。

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